2-2 ガールズトーク

 一応程度に身振りで落ち着くよう訴えかけてはみるものの、当然と言うべきか、日向の怒りが収まる気配はない。彼女は私を一瞥するや、口元に毒気に満ちた微笑を浮かべて、三日月のような眼差しを正樹の方へ戻す。

 そして、

「なら、正樹は誰の裸なら見てみたいのかな~。紗良ちゃんとかかな?」

「なっ!」

「ちょ!?」

 いきなり何言い出してんの!?

 突然訳の分からないセクハラの矛先を向けられ、私は盛大に顔を引き攣らせた。カッと火を噴きそうなくらい、一瞬で顔が赤くなったのが分かる。

 狼狽えたのは、正樹も同じだった。彼は、ひょっとすると私と同じくらい真っ赤な顔で、日向に食ってかかる。

「ふざッけんなよ!? んなもん余計興味ねぇッ!」

 まさに必死の形相で正樹が断言する。まるで彼に怒りを吸い取られたように、私の思考は急速に冷静さを取り戻していった。ついでに、独り静かに安堵してもいた。正直、もしもここで正樹が、言葉に詰まって欲情の籠った視線をこっちに向けて来ようものなら、悪寒で心臓が止まっていたかもしれない。

 後から考えれば、これはこれでムカつく台詞ではあるのだけど。

 声を荒げる正樹に対し、日向はニヤニヤと笑いを浮かべたまま、何やらいかがわしい感じに手を蠢かせた。

「ホントにぃ? 何度か見てるけど、こう見えて紗良ちゃん、着やせする方なんだよ。ボクよりいいカラダしてるよ?」

 舐めるような眼差しが私の身体をなぞった。反射的に背筋が震える。

 流石にそろそろ一発殴っておいてもいいだろうか。柄にもなく、そんな暴力的な発想が脳裏を掠めたが、そんな私の心中は知る由もなく、正樹はやはり脊椎反射のテンポで、

「ンなもん比較対象がゴミだろうが!」

「……そこまでストレートに言われると流石にキレる」

 放たれた正樹の怒声に、日向は作り笑いを一層不気味に歪め、目元を引き攣らせる。今度こそ、私は堪らず吹き出した。

 日向の眼が、ぐりんっ、と勢いよく私の方へ回転してきた。だけど、私だって散々妙な言いがかりに巻き込まれた不満がある。彼女の声なき非難に、細めた目と薄い笑みで応じてやった。内心「いい気味」と呟きさえしたが、そこまで伝わっていたかは定かではない。

 と、私たちが視線を交わす中、再び正樹の背後に不穏な影が現れた。正樹も寸前で察したものの、それでどうにかなるわけでもなく、一瞬後にはその両肩をむんずと掴まれていた。

「さっきの今で、よくこんなにも騒げるものだな栄生。そこまで元気が有り余っているとは羨ましい限りだ」

「……いや、あの、センセー、これはそういうんじゃなくて」

「そうか。言い分は聞いてやろう。向こうで」

 鷹揚に頷きながら、坂本先生は正樹の肩を引っ張り上げる。みしり、と何かが軋む音が聞こえたような気もしたが、その場にいる全員は―正樹も含めて―それを黙殺した。

 表情の抜け落ちた顔をしたまま、されるがままに立ち上がり、正樹は先生とともに隣の車両へと消えていった。何となく、警察官に連行される犯人のような姿だ。その様を、私たち三人は固唾を飲んで見送っていた。

 正樹と先生の姿がなくなってしばらく、日向は大きく肩を落としながら、

「あ~、やっと落ち着いた。心臓に悪いったらないよ、坂本のヤツ」

 嘆息しながらぼやいた彼女は、次いで眉を急角度に曲げ、口をへの字に歪める。

「にしても、正樹も失礼だよね。面と向かってゴミ呼ばわりなんて、女の子の身体を何だと思ってるんだろ」

 女性的な凹凸が極めて少ない身体を上下に揺すり、怒り心頭という声音で日向は零した。自分から話題を振っておいて何を、と思わなくもないが、そこを言及する必要もあるまい。

 とはいえ、「ゴミ」はあまりに言葉が悪すぎるとしても、日向の体型は彼女本人が言うところの「いいカラダ」とは言えないだろう。平均よりも低い私より、さらに頭一つ分背の低い体躯は、見本のようなまな板体型だ。加えて若干丸みを帯びた顔立ちといい、さらには大きな瞳といい、その姿は三つ四つばかり若く――というよりは幼く見える。肩まで伸ばした癖の強い髪も、ロクにセットせず踊るがままにしてあるが、その様もズボラな大人というより、まだおしゃれに興味を持つ前の子供のような印象を振りまいていた。

 まあ、彼女の怒りはともかく、私だって言わなければならないことはある。

「それはそれとして、日向こそ、勝手に私を引き合いに出さないでくれる? しかも何よ、「いいカラダしてる」って。オヤジか」

「あー、ごめんごめん。正樹のヤツ、紗良ちゃんの名前を出した方が面白い反応するからさぁ」

 ジロリと凄む私の瞳も恐れた風はなく、日向はいかにも反省などしていなさそうに手を振りながら、訳の分からない言い訳を嘯いた。「何言ってんだこいつ」という心情を思いっきり込めて、私は呆れ顔を作って日向の顔を覗き込む。

 そもそも体つきの話をするなら、と、私の目は、隣でただ静観していたカナに吸い寄せられた。

 折れそうなほど細い腰や、白磁のようにきめ細かな肌に反して、背丈は平均程度で私よりは高く、胸の膨らみも私たち三人の中で一番大きい。肉感的――男子に言わせれば「エロい」という体型ではないものの、きちんと女性的でありながら、同時にガラス細工のような繊細さを感じさせる。カナの方が、私や日向なんかよりずっと男受けする体つきをしているはずだ。実際、夏場の水泳の授業中なんかは、たまに漏れ聞こえる下世話な話題の中にカナの名前も混じっていた。

 ところが、日向から返ってきたのは、私と同じくどこか呆れたような、それとともに何かに同情するような笑みだった。いよいよ、彼女の意図が分からない。私は半ば無意識に腕を組み、首を傾げていた。

 一方、それまで傍観に徹していたカナが、場を仕切り直すように掌を叩く。

「ヒナちゃんも好きよねぇ、栄生くんのこと」

「ちょっ、変なこと言わないでよ」

 瞬く間に日向が渋面になった。ニコニコと微笑むカナを面倒くさそうに見やり、彼女は小さく溜息をつく。

「そりゃ、正樹をからかうのは楽しいけどさ。リアクションいいし」

「うんうん。よく言うわよね、好きな相手ほどちょっかいかけたくなるって」

「一緒にしないでくれる!?」

 ここぞとばかりに、私もカナと一緒になって畳みかけた。日向はすぐさま不服げな声で言い返す。唇を尖らせた表情は、幼い容姿と相まって独特の愛嬌を醸し出していたが、恥じらうような心境が微塵も感じられないあたり、単なる照れ隠しというのは可愛げが足りない。

――正樹も大変だな

 口に出すことなく、私は胸中でぼやいた。本人がいれば慰めの一瞥でもしてあげたかもしれないが、あいにく彼は既に去った後だ。

 私の胸の内なぞ知るはずもなく、日向は拗ね混じりの眼差しをこちらに向けて、相変わらず不機嫌そうな声で呟く。

「っていうか、それこそ紗良ちゃんに言われるのは心外なんだけどな~」

「?」

 これまた、いまいち理解しかねる台詞が飛んできた。私は思わず首を捻る。

「口論になることは、まぁよくあるけど……私は別に、正樹をからかったりしたことないわよ」

「いや、そうだろうけどそうじゃなくて……まぁいいけど」

 私の反応のどこが気に入らなかったのか、日向は細い目をしたまま顔を逸らした。どことなく、言外に「何も分かってないなこいつ」というニュアンスが含まれていたような気もしたが、やはり思い当たる節はない。

 私たちのやり取りを聞いていたカナが、ふとその視線を、隣の車両へ続くドアへと投げかけた。口元には、心なしか投げやりな笑みが刻まれている。彼女は唇をほんのわずかに震わせて、ほとんど聞き取れないような声で何かを呟いた。

 可哀そう、と言ったように聞こえたのは、果たして気のせいだろうか。

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