二章 修学旅行

2-1 雛見日向

「ろーん」

 少女の宣言とともに、彼女と同じボックス席に座っていた私たち三人は、あんぐりと口を開けた。そんな私たちの反応を、実に心地良さそうに睥睨してから、少女は得意満面で手札を晒し、

四暗スーアンドラ三~。ふふふ、ありがとね~正樹、またボクに振り込んでくれて」

 びらりと広げたカードで口元を隠しつつ、細めた眼差しは、どこか相手を小馬鹿にしたような風情すら漂わせている。

 小卓を挟んで対面にいた正樹は、彼女の視線を真っ向から受け止め、憮然と呟いた。

「ずりぃ……」

「何だよー、イカサマなんてしてないぞ? 勝てないのは正樹が下手くそだからだろ~」

「ッざっけんな! もし仮に何の細工もしてないんだとしても、こんだけ運に差があるんじゃ勝負になんねぇだろーが!! 何だ四巡目で四暗刻スーアンコって!?」

「うっさいなぁ。運も実力のうちって言うだろー」

 半ば腰を浮かしつつ正樹が凄んでも、少女は唇を尖らせながら嘯いてみせる。同じ卓を囲んでいた私とカナは、無言の苦笑でそのやり取りを見守っていた。

 修学旅行初日、フクオカへと向かう高速鉄道の中、同じ班を組む私とカナ、正樹、そしてもう一人のメンバーである雛見ひなみ日向ひなたは、日向の持ち込んだカード麻雀に興じていたところだ。

 が、結果は正樹の反応がこれでもかというほど如実に示している。より詳しく言うなら、ほとんど毎回日向が正樹を狙い撃ちにするような形で圧勝していた。

「まぁまぁヒナちゃん。この調子じゃあわたしたち、ヒナちゃんにはいつまで経っても敵いそうもないし、別のゲームにしない?」

 やんわりとカナが提案する。私もそれに合わせて、何度か首を縦に振った。正樹の肩を持つわけではないけど、流石にここまで一方的では、そもそも半ばゲームとして成立していない。

 窘められた日向は、やや不満そうに眉を曲げながら、

「え~、でも麻雀以外だと、流石にここまで一方的に正樹をボコる自信ないなぁ」

「テメェ今聞き捨てならない台詞吐きやがったな! 俺に何か恨みでもあんのか!?」

 カナに対する返事に、正樹が一層表情を険しくしながら食いついた。

 勿論、平然とそんな台詞を言ってのける日向が今さらそれで臆するわけもない。彼女は不快そうに顔を顰めて、横目で正樹を視界に捉えた。

「ぎゃんぎゃん騒がないでよ~。迷惑でしょ。っていうか、あんまストレス溜めると禿げるよ? 坂本みたいに」

「誰のせいだ誰のっ。つーか、誰があそこまで禿げるか!」

 さり気に担任の名前を挙げて心無いことを言う日向。正樹の方は、一応指摘は気になったのか、声のトーンを落としつつも反論する。

 その背後に、ヌッと人影が迫った。

「……人の頭をどうこう言う前に、お前はその粗末な頭の中身をどうにかした方がいいと思うがな、栄生」

 彼が一声発した瞬間、車両の中に暗雲が垂れ込めた。少なくとも、その場に居合わせた私たちはそう感じるほどの重圧が、いきなりその場に出現した。

 耳から臓腑に響く重低音。ぽんと正樹の肩を叩く、角張った大きな手。私たちの担任である坂本先生の、禿頭の巨躯から放たれる圧力に、正樹は背後を振り返ることもできず凍りついた。

 小刻みに痙攣する正樹の口元は、断末魔すら連想させた。縋るような、助けを乞うような目でこちらを見てくるが、私は咄嗟に目を逸らした。薄情なようだが、断固としてこんな場に口を挟みたくなどない。

 しばしば「カタギには見えない」とすら揶揄される坂本先生の炯眼が、銃火のごとく私やカナを薙ぎ払う。とんだとばっちりだ。恐らくは騒ぎ過ぎたことを、一同纏めて軽く注意している程度のつもりなのだろうが、当人の意識とは裏腹に、先生の眼差しには些か迫力があり過ぎた。

 私は思わず身を竦ませる。普段から父の眼光に慣れている私でさえこの様だ。カナに至っては涙目である。だけど先生はそんな私たちを捨て置き、視線をさらに巡らせて日向を見た。私と同様に強張った顔を見せる彼女へと、先生は重々しく口を開いた。

「麻雀はいいが、間違っても賭けたりはするなよ?」

「わ、分かってますよーだ」

「それと、袖からカードが零れているぞ?」

「え……ぇえっ!?」

 精一杯軽口で返してみせた日向だが、続く指摘に、彼女は泡を喰ってセーラー服の両袖を覗き込む。だが、右にも左にも、先生が言ったような状況は見られなかった。

 と、それを確認した後で、日向はハッと顔を白くして、正樹と先生の方を見た。豆鉄砲を喰らった鳩のように呆ける正樹の後ろで、坂本先生は冷めた目でニヤリと笑んだ。

「冗談だ。ほどほどにしておけ」

 しれっと告げて、先生は自分の座席へ戻っていった。

 彼がいなくなり、総身に圧し掛かっていたプレッシャーが消える。女子三人で大きく安堵の息を吐く中、正樹だけは一人、その双眸に炎を揺らめかせていた。直前までとは違う理由にこめかみを痙攣させつつ、極彩色の眼差しを日向に突き刺した。

「雛見ィ……」

「……何だよう」

 バツが悪そうに、それでも口調だけは平然と、日向が返事をした。

 さながら、それはガス漏れを起こしたボンベにマッチの火を近づけるが如く。その声を耳にした瞬間、正樹は髪を逆立てる勢いで、先にも増して怒りを露わにした。

「何じゃねーよ! なーにが「運も実力のうち」だ!? テメェやっぱイカサマだったんじゃねーか!!」

「ふーんだ。証拠もないのに決めつけないで欲しいな」

 生憎というか、いくら正樹が吼えようと、日向の方はどこ吹く風の体でそっぽを向いている。カナはちょっとうるさそうに、渋い顔をして耳を手で押さえている。私は私で、極寒の眼差しで日向を見据えていた。

 まさかここまで堂々とイカサマしているなどとは夢にも思わなかった。正樹をからかうため、というのは分かるし、自分が狙い打たれたわけでもないとはいえ、一緒に遊んでいたゲームで不正が行われていたというのは、どうしたって気持ちのいいものではない。

 日向の反応に、正樹も容易に落ち着きを取り戻すことはできなかった。彼は片手を日向の方へ突き出しつつ、

「まだしらばっくれんなら、俺が確かめてやらあッ! その服、こっち寄越せ!!」

 よくよく考えなくても爆弾発言が飛び出し、周りの席からも「何事か」と言わんばかりの視線が集中した。

 対する日向は、わざとらしいくらいにしなを作り、甘ったるい声音で言い返す。

「えー、公衆の面前で裸になれなんて~。大胆だなぁ、正樹のすけべ~」

「いや、お前のヌードには微塵も興味ない」

「ほほう」

 からかいの言葉に、しかし正樹は手を出したまま、極めて真剣な表情で首を左右に振った。今度は日向が両目に怒気を込め、静かに吐き捨てる。

 ビキリ、とガラスにひびが入るような音を立てて、こめかみに青筋が浮かぶ。爛々と灯った瞳の輝きは、抜身の刃物もかくやという不穏さだ。もし正樹の台詞を聞いた瞬間に思わず吹き出してしまっていたら、その怒りの何割かはこっちに向けられていたかもしれない。

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