1-5 栄生正樹

 校舎を出ると、そこで見知った姿を見つけた。相手もこちらに気づいたらしく、意外そうに目を丸くしながら声をかけてきた。

「上杉? なんで居んだよ、お前」

 口調こそどことなく粗暴だが、反してその声は女声と聞き紛うほどに高く、澄んでいる。声の主も、スポーツ刈りにした髪と生傷のついた肌が目立つ一方、肩幅は狭く背も低い。れっきとした男子なのだが、その容姿はしばしばからかいの対象にされているのを、私は知っている。何かにつけて粗暴な態度を取りたがるのも、そんなコンプレックスの裏返しであることも。

「自習」

「うわっ、真面目ちゃんかよ」

「そういうアンタは補習か何かでしょ。人のことをとやかく言ってる場合じゃないでしょうに」

 私の簡潔な答えに、そいつはこれ見よがしに顔を顰めたものの、続く指摘に絶句した。不機嫌丸出しで押し黙る彼を見やりつつ、内心「図星か」と呟く。

 栄生さこう正樹まさきは、中学からの腐れ縁だ。一応、友人といってもいいだろう。

 規律に反目することに格好良さを見出そうとする、ある意味標準的なやんちゃ小僧だった正樹に対し、私は今と比べても幾分生真面目だった。かつ、周りからはそれとなく、委員長的な取り纏め役を求められることが多かったし、私自身その期待に応えるのが楽しかったところもある。

 そんな私たちが衝突することは当然のことだったのかもしれない。けれど、互いにいがみ合う中で、私は正樹の抱いた劣等感を何となく理解できるようになっていた。

 同情もあったかもしれない。でもそれ以上に、正樹のコンプレックスの元になっている容姿を蔑むような真似が、私には酷く卑劣で、たまらなく不快なものに思えた。だから、衝突することはあっても、私はあくまでも正樹の行動にしか非難の矛先を向けなかった。

 正樹も、そんな私の心境を感じ取ってくれたのかもしれない。いがみ合うことがあっても、その場が済めばケロッとして、私と他愛ない言葉を交わしてくれるようになった。そんな奇妙な縁も、気づけば五年に及ぶ。

 正樹がここにいる理由を補習と推測できたのも、付き合いの長さ故だ。野球少年の正樹だが、中学の頃から学校の部活ではなく、学外のクラブチームに所属している。それ以外の部活に入っているわけでもない彼が、この時間まで校舎に残っているはずは、本来ないのだ。そして、彼の成績と学習態度を思えば、居残りをさせられる理由として真っ先に思いつくのが補習だった。

「……つーか、俺の補習なんかどうでもいいだろ。それより、自習って何だよ。わざわざ学校に残ってやるようなことか? 本当な何かやましいことでもしてたんじゃねーか?」

 自分のことを棚に上げ、正樹が噛みつくような口調で言いがかりをつけてきた。何の脈絡も根拠もない言及であるはずなのだが、その実、妙に鋭い指摘でもあった。どきりと心臓が高く跳ねる。

 危うく顔色を変えそうになったのを懸命に堪えた私は、目いっぱいの呆れ顔で肩を落とした。聞えよがしに大きな溜息を一つ吐いて、

「それこそアンタと一緒にしないでよ。何よ、「何かやましいこと」って。難癖つけるにしても他に言い様があるでしょ。自分が普段から具体性もなく「やましいこと」を考えてるって白状してるようなものじゃない。馬鹿丸出し」

「そこまで言うか!?」

 平静を装おうとしたものの、胸の高鳴りが落ち着くまで垂れ流し続けた罵声は、ちょっとばかりしつこかったかもしれない。だけど、正樹は怒りよりも驚愕が強かったのか、私の様子に違和感を覚える様子もなく叫んだ。

 すまし顔でそれを受け流し、私は少しだけ歩調を速めた。一歩遅れて、正樹がそれに追い縋る。

 揃って歩きつつも、正樹はそれ以上何かを言おうとはしなかった。私も、それ以上彼にかける言葉もなく、だからといって突き放す気もなく、そのままのペースで歩き続ける。並んで歩くことも、そう珍しくはない。互いに無言のまま、私たちは校門をくぐった。

 帰り道も途中までは一緒だ。いつしか正樹は私の隣に並び、歩みを揃えた。

 ふと気づくと、そんな彼の視線が、二度、三度と私に向けられたような気がした。

 気のせいかもしれない。だけど、直感的に勘違いではないような気がして、私は眉を顰めながら正樹へと向き直る。

「何かあるの?」

 問えば、正樹が言いにくそうに口をへの字に曲げる。しかし、用があることを否定はしない。彼にしては珍しい態度だ。怪訝には思ったものの、重ねて問い質すのも憚られて、私はそれきり口を閉ざした。

 答えが返ってきたのは、互いの通学路が分かれる交差点までやって来たときだ。正樹はなおも躊躇いがちに、断片的な言葉を落とした。

「いや、あの、さ。なんつーか……ちょっと相談があるんだけど……」

「相談? まぁ聞くだけ聞くけど」

 そう応じながらも、私は内心大いに首を傾げていた。台詞といい態度といい、いよいよ普段の正樹からは想像できない。一体何が起きるのかと、不安さえ感じてしまうほどだった。

 一方で、正樹の方は一度話し始めたことで何かが吹っ切れたのか、正面を向いたまま、それまでよりスムーズに言葉を紡いだ。

「ああ。来月の修学旅行の、班行動についてさ」

 ぎくりとして、ほんの一瞬顔が強張った。同時に思わず跳ね上がった肩を、慌てて引っ張り下ろしつつ、私は横目で正樹の顔色を窺う。こちらの反応を訝るような態度は見られなかったが、果たしてそれは気づかなかったからなのだろうか。

 気になって仕方なかったのは確かだが、かといって直接尋ねるなどもってのほかだ。もどかしい思いを噛み殺し、遣る方無しに私は押し黙る。

 そんな私には構わず、正樹はさらに続けた。

「そん時に……まぁ何だ。ちょっと、お前と小鳥遊に頼みたいことがあるんだよ」

「私と、カナに?」

 ますます意外な正樹の言葉に、私はおうむ返しで問う。それに、正樹は慎重に頷きを返し、


「実はさ――」

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