1-3 『特区』

 現在、ここヒノモトで一言に『特区』と言った場合、その略称を持つ数多のものの中でも、特定の一つを指す。

『恋愛関係及び婚姻に関する特別法施行区域』

 地理的にはヒノモト最西端に当たるキュウシュウ半島、その海上に創られた人工島上にある。島の名はウツロ島。この島の歴史を語る場合、始まりは百年以上昔まで遡る。

 その昔、長きにわたった鎖国政策に終止符を打ち、海外諸国との貿易の解禁に踏み切ったヒノモト。果たして、堰を切ったように次々押し寄せる貿易船は、ヒノモトに多大な利益と新たな品々、文化、そして需要を生み出した。そんな華々しい変革の舞台となったのが、鎖国時代から細々とではあるが交易を続け、大規模な港の確保にもいち早く目途をつけた、キュウシュウ半島でも西に位置するナガサキだった。

 辺境の島国に過ぎなかったヒノモトには、いち早く自分たちの文化を根付かせ、関係を結ぼうと画策する者たちが、世界各国から集まった。しかしその目論見とは裏腹に、彼らはヒノモトの地に降り立つたび、その一風変わった文化に触れることで、逆にそれらに感化され始めた。「郷に入っては郷に従え」という言葉通り、ヒノモトでは多くの国々から訪れた者たちが、大なり小なりヒノモトの色に染まって肩を並べるようになったのだ。

 そんな特異な場所と化したヒノモト、わけても交易の一大舞台であったナガサキでは、次なるステップとして、別々の国からナガサキを訪れた人々が一様に集い親睦を深められる場が求められるようになっていった。無論、ここで言う「親睦」というのが、字面通りの和やかな交流を示すものであったはずはないのだが。

 新たなニーズに応えるべく白羽の矢が立ったのが、港からほど近くにあった無人島、ウツロ島だった。今でこそ人工島と呼ばれているが、元々はその島を中心に大規模な埋め立て工事を行い、拡張、開発された場所なのだ。

 かつては単なる無人島に過ぎなかったウツロ島は、数多の国から訪れた人々に、交流と駆け引きの場を与えることで収入を得るための場所に、さらには、国内外からの旅客と資本を受け入れる歓楽街へと変化していった。

 進む開発、広がる埋め立て地、立ち並ぶホテルと賭博場。ヒノモトに在りながら異次元の情緒を――煌びやかな輝きとともに、破滅の危うさをも同時に予感させる雰囲気を帯びた空間。それが、四十年ほど前のウツロ島だ。

 しかし、同時に訪れた複数の変化が、その道行きを遮った。

 一つは、大都市圏、特に首都圏における海外からの渡航者の急増だ。渡航や輸送の主役が船から航空機に移り変わっていく中、首都圏には相次いで国際空港が建設される。さらには、そこへ来る観光客、また外交に訪れた来賓たちに娯楽を提供するべく、様々な遊興施設が台頭した。その規模たるや、十年を待たずしてウツロ島を上回るほどだった。首都圏は政治と経済の中心という立場をより強固なものとしたのみならず、娯楽文化の発信地としての立場も、ウツロ島から奪い取ってしまった。

 当然、外国人はおろか、かつてはウツロ島に足繁く通った国内の富裕層も、首都圏に集中することになる。そして、苦境に立たされたこの島を、さらなる困難が襲った。震災である。

 鎖国解除以降初めてとなる震度六クラスの地震に襲われたウツロ島は、甚大な被害を被った。島の活況にあやかるようにして作られた後発組のホテルやカジノ群は、相次いで倒壊。我先にと開発を急ぐ中、耐震性偽装が横行した結果だった。津波による被害も大きく、沿岸部の施設は軒並み営業が不可能なほどの損害を受けた。さらには、埋め立て地の一部では地盤の強度不足が露呈。これにより、ウツロ島は一時、完全に経済活動が停止するまでに至った。

 地盤の補強工事を含む復興活動は行われたが、肝心要たる『再起の方向性』を見出すことが出来たものは、その時点ではいなかった。決まっていたのは「同規模の地震にも耐えることのできる安全な基盤を作る」という方針だけで、復旧した舞台に何を乗せるかというヴィジョンは一切ないまま、十数年の時が流れていった。一時は復興の断念まで検討されたほどだが、その善し悪しはともかく、実際にはそうならなかった。

 そんな中、次の転機が訪れる。

 当時、同性愛や性同一性障害など、性の多様性に関する国際的な議論が活発化しつつあった。それまでの『男女』という、単純かつ狭い括りの外にある認識に目を向け、社会全体で理解を深め、肯定的に捉えていこうとする機運が、一気に高まったのである。

 が、ヒノモトはこの潮流に乗らなかった。古くから根づく性別観を覆すことを拒む声が、国内に数多く存在したためである。

 無論、この姿勢には世界各国から非難が集中する。国内においても、性的マイノリティ容認に賛同する意見が徐々に高まりを見せたが、その内容に理解を示し共感したというよりは、国際的なスタンダードに準ずるべきという意味合いが強かった。

 針のむしろに座らされたヒノモトは、ある政策を起死回生の一手と目して打ち出した。先述の『恋愛関係及び婚姻に関する特別法施行区域』、構想段階では『恋愛特区』もしくは『婚姻特区』と呼ばれたものだ。

 端的に言えば、「性的マイノリティに対し優遇措置を設ける地域を国内に用意する、代わりに、それ以外の地域では特段の配慮は行わない」という方針だ。言うまでもなく、国際的な非難は止むことはなく、それどころか一層強まったと言ってもよかった。だが、国内における異論は急速に萎んでいくこととなる。元々性的マイノリティに対する理解でなく、保身のために容認を訴えていた人間たちは、形だけの譲歩というべき政策にも、十分な配慮を行ったという達成感を抱き、優越感に浸った。

 残る問題はあと一つ。『何処を』恋愛特区として指定するか。その答えとなったのが、ウツロ島だった。

 新たな役割を見出したウツロ島の復興――もとい開発は急ピッチで進められた。それと並行して法整備が行われ、最終的にウツロ島が『特区』として生まれ変わったのが、十数年前。奇しくも、今やウツロ島に注がれる世間の関心は、最盛期のそれと比較しても劣らぬほどだ。


「まあ、一筋縄でいく場所じゃないのは間違いないでしょうねぇ」

 難しい表情で、カナは低く呟いた。私は再びそれに頷き返しながら、

「分かってる。言葉以外は、ほとんど外国だと思ってもいいかもね。けど……」

「……「わたしたちには必要」?」

 これまで幾度か私が繰り返してきた台詞を、カナが口にした。私は少し驚いたものの、すぐに我に返ると、それにも首肯を返した。

「幸い、あそこは来るもの拒まず。辿り着きさえすれば、中には入れるわ。勿論、入ったら特別な許可無しには出られない、ってことに批判が集まるのも当然とは思うけど、私たちに関してはむしろ都合がいい。保護者の都合で連れ戻されたりしない、ってことだからね」

 これも何度か確認した事実を、整理するように口にしてみせる。今度はカナが頷いた。

 ヒノモトの『恋愛特区』に、極めて強い国際的非難が存在する理由としては、ヒノモト全土における平等が考慮されなかったこと以上に、ウツロ島が実質的な隔離施設と化したことが大きい。『特区』における住民登録を済ませれば、その外には出られない。その事実こそ、多くの人が『特区』入りを躊躇する要因だ。それを繰り返し指摘されながらしかし、ヒノモト政府がこれを撤回する姿勢を見せたことは一度たりともない。

 その理由として挙げられているのが、自ら望んで『特区』へやってきた者、特に、保護者による束縛の強い年少者の意思を担保する、ということだった。彼ら彼女らが、当人以外の意思によって『特区』から出ることを強要されることのないように、という主張である。ここで言う「当人以外の意思」というのには、保護者を含む第三者による説得や恐喝も含まれる。

 無論、建前でしかない。本質的には、『理解しがたい異常者』を檻から出さぬための措置であることは明白だ。私自身、それを理解していないわけではない。それでも、親の束縛から逃れられることもまた事実なのだ。

「勿論、入ってからの生活が楽だなんて思わないわ。働かなきゃ暮らしていけないし、住まいはともかく、仕事は中に入ってから探さざるを得ない。治安だって正直よく分からない。『特区』の中からの個人発信の情報って、不自然なくらい無いからね。良い、とは思わない方がいいと思う」

 不安要素を挙げるたび、どうしても気分は暗澹あんたんとしてくる。既に理解しているつもりでも、改めて口に出すと、どうしても不安ばかりが募る内容だ。

 私の顔を、カナは口を真横に結んで凝視していた。そんな彼女の視線に自分の視線を重ねて、私は錆びたように重たい唇を、それでも躊躇いなく動かし続けた。

「それでも。絶対に私たちの仲を、父さんは認めてくれない。父さんだけじゃなく、祖父母も、親戚も、友達も。仮に少しは理解してくれる人がいたって、世間全体で見れば圧倒的に少数よ。その圧力に、きっと私たちも、味方になってくれた人たちも、耐えられない」

 そう語る自分の顔が、きつく強張っているのが分かった。

 だから、私たちは『特区』を目指す必要がある。私はそう確信していた。当然、そうすれば全て安泰だなんて思ってはいない。『特区』を目指すことにも、『特区』で暮らすことにも、大きな困難が付きまとうだろう。それでも、現状と未来の困難を秤にかけ、より善い道を選ぼうと考えた結果が、その選択だった。

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