9.空虚な仮定

俺は男の目を覗く。涙で潤んだ瞳は俺を見返してくる。目は青い。髪も青い。備えるべき特徴を持たない髪は透き通っている。ブラウンの髪とは違う、向こうが見透かせてしまうほどの透明な青色。人間とそれ以外。その対比においてこの青い毛髪は、これ以上ないほどの本質に思える。



姉貴が次に俺を呼び出そうとするまでにはまだ十三時間ある。俺はカンテラを腰に差し、小さなベルを鳴らした。扉の向こうの暗がりからはゆっくり男が現われる。びくびくと何かに怯えているのはいつも通り。俺は目を覗き込む。そう何も。何も問題は無い。

「その傷はどうした? 姉貴にやられたのか」

返事を返せ、俺の目を見ろ、といえば、男は従う。これでいい。俺は男を座らせる。

「……どうして、従うんだ?」

じっと男は俺を見つめる。それはあの姉貴に、という意味だろう。俺は目を見つめ返す。瞳の中に映る俺の、口元が切れている。なるほど、殴られているのはこの男だけではないということか。そしてこの男はそれを訝かしんでいる。俺が気にしていないことを。俺がとうに忘れたことを。

「理由が必要か? その質問は初めてじゃない。だがそうだな。教えてやろう、ちょうど時間もある」

俺は男の手を引いて、ベッドの淵に座らせた。俺は椅子を持ってきて、向かい合わせになるよう座った。

「前に姉貴は天才だといったのを覚えているか? 今現在、この屋敷の縁者で、領主としての務めを果たせるのはあれだけだ」

馬鹿なんだよな、と俺は思う。道理知らずの馬鹿だから、務めなんてものを請け負ってしまう。それに付き合う俺も馬鹿だ。ここには馬鹿と馬鹿しかいない。それと有象無象のクソバカどもだ。俺は暗がりに目をこらす。誰もいない屋敷の誰もいない闇。そこにはやはり、誰もいない。俺は顔を伏せていた男の目を覗き込む。青い目。俺とよく似た。俺は目を細めて椅子に戻り、足を組む。こうして向かい合わせに座っているというだけで、恐ろしいと思っているのが伝わってくる。この男は何も知らない。この先も、本当の意味で知ることはない。いっそ哀れになる。

「……だから、従うっていうのか?」

「それだけじゃない。あれは俺が壊したんだ」

男の肩がわかりやすく跳ねる。俺のことを安全だと思っていたのだろうな、となんとなく分かる。仮に俺が領主になったとして、何も変わることがないのだと知ったら、この男はなんというだろうな、とも。俺はそれを思うだけで口にしない。それは考えるだけ無駄も良いところの、つまらない仮定だった。

「俺が壊した。見届けなければならない。それが誠意というものだ。俺たちが壊した。俺が、最後の一人だ。領主になるのは誰だって良かったんだ。姉貴にしか務まらなかったというだけで」

男は黙っている。俺は頬を手ではさみ、顔を上げさせる。

「俺はこのまま運命に委ねてしまっても良いような気になっている。だが、それをすれば姉貴はどうなる? カレンはそれを望まないだろう。当然俺の首は飛ぶ。そうなれば姉貴はひとりきりだ。この誰もいない屋敷の中で担ぎ上げられた役目を降りることも出来ないまま一人生き続ける? それとも誰にも必要とされず一人死ぬのか?どちらにしたってろくなもんじゃない」

それは可哀想だ、と俺は思う。俺は逃げ切って、たった一人、暗闇に置いていく。それはだめだ、と俺の心は言う。殊更に顔を寄せて目を細めれば、怯えたような目が変わらず俺を映している。俺は涙に潤むその瞳に、ふと思いついて聞いてみた。

「おまえが、二人目になるか?」

それが叶わないと知っていながら。

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