6.願いと代償
ベルは鳴らされる。あの豊かな鈴の音に魔法を掛けられていないのは俺だけだ。ベルが鳴らされる。俺は、分厚い本とカンテラを持って部屋へと向かう。カレンがそう望むから。
「あんたって私のいうこと何でも聞くけど、私が死ねって言ったら死ぬつもりなの?」
白い乳房と黒いレース、サテンの紐。部屋に下着姿でふんぞり返るカレンは俺に尋ねてきた。俺は用意してあった答えを返す。
「当然だ」
カレンはぎょっとしたようなそぶりを見せた。俺は何を今更、と思う。でも姉貴にとっては『今更』ではないんだろう。馬鹿だから。そうだ、姉貴は馬鹿だったのだ。俺はそれを今になって思い出す。全く、慣れたような気になってすぐに忘れてしまう。姉貴は馬鹿で道理を知らない。その通りだ。
「そう。私の命令だったら何でも従うわけ? あんたには恥ってもんがないの?」
「……俺の感情なんていうのは些細なことだ。偉大なる姉上さまのためならこの命、喜んで捧げよう」
俺は膝を折り、手の甲に口づける。命を捧げる。随分持って回った言い回しだ。この泥沼のような幽霊屋敷でこうして乱暴かつ道理の分からない姉貴の決定に従っている時点で俺の命などあってないようなものを。全くもって今更だ。信じてくれるか、などと馬鹿な質問はしない。信じるも信じないも、姉貴の御心に任せると俺は決めている。ただ、目を瞑っているこの瞬間に殴られたら嫌だな、とは思った。
「ばっかみたい。でもあんたがそういうならそれでいいわ」
それで話は終わった。カレンはハンドベルを鳴らした。青い顔をした男がいつもと変わらずやってきて、カレンの裸を見て恐ろしげに目を伏せた。全くもっていつも通りだ。きっと二十秒後に姉貴は男が視線を逸らした事を咎めて、再びその手のハンドベルが鳴らされるのだろう。
◆
「二人とも、さっさと全部脱ぎなさい。私を楽しませるのよ」
「えっ……」
与えられた言葉は唐突で、隣に男が顔を青ざめさせたのが見える。顔には何を言い出すんだ、と言わんばかりの表情が張り付いているし、似たようなことを俺も思った。カレンは俺に男を抑えるように命じる。俺はそれに従った。姉貴にはしないような抵抗を受け、ああ、普段の行いがこういうときに出るんだなと思う。俺は甘いのだろう。間髪入れずにハンドベルが鳴らされる。魔法のベルが。男はびくりと肩をふるわせて大人しくなった。俺は甘いのだろうな、と思う。
「抑えてなさい。私を楽しませるの、いいわね」
姉貴が男に命じる。どうなるんだろうな、と俺は思った。寵愛を受けることの意味をこの男は理解するだろうか。それとも、しないだろうか。正直、気が気でないが、カレンの言うことは絶対だ。俺は言われるまま、シーツを整え、耳を揉み、薄い体を抱え上げて、乾いた肌をさすった。俺の肩に頭をもたせかけ、男は体をしならせる。他人の頭が肩に乗っていると重い。そのようなことを思いながら俺は肩越しにカレンが跪くのを見ている。獣のようだ、と感じるのは四つ足をついた状態でも十二分に人を威圧するような雰囲気があるためか。
◆
拘束具じみて残った服をまくり上げ、カレンは男の腹に口づける。背筋がゾクッとするような瞬間だった。俺は、その仕草を恐ろしいと思った。男は気持ちが良さそうに体を震わせる。今、そんな場面だったか。俺は一体何を見た?
「ポラリス、ぼーっとしないの。あんたも手を動かして」
顔があがり、青い目が向けられる。言ってもいないことを言ったような気になって怒鳴りつけてくる姉貴の言葉のなかで、これだけは言い逃れのしようも無い事実だった。俺は今、考え事に気を取られていた。震えそうになる手を強いて、目の前の体に手を下ろし、シャツの裾から手を入れる。腰、脇、胸。俺は官能をあおり立てるように肌を擦る。自分の肩口で長い腕がぶらぶらと揺れるのが新鮮と言えばそうだ。そう、その通りだ。普段と少しずれた状態の中、俺はいつものように、冷静だ。冷静で、黙っていて、余計なことを何も言わない。
「……だらしのないこと!」
姉貴の声が上を飛ぶ。俺はマットレスにでもなったような気分だった。体の上で生っ白い体が快楽に揺れている。耐えがたいと言って。よくもまあ、カレン相手に乱れられるものだ。俺は耳を食む。うなじをなぞり、後頭部を掻いてやる。俺は落ち着いているから。薬を入れておけば良かったな、と思う。そうすれば、この押しつぶされるばかりの体も、もう少し違う楽しみを見いだしただろうものを。
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