2.浮かぶ泡沫
カレンは馬鹿だ。姉貴は道理が分からない。俺は時々、どうすれば姉貴に気に入ってもらえるかを考える。
「ヘタクソ、髪が痛んだらどうしてくれるわけ?」
裸足のかかとは俺を蹴りつける。女のものとはいえ、容赦の無い一撃はぶたれたところへ相応の痛みをもたらした。じんじんと痛む腿に、俺は何でもないように首を振って、不機嫌に顔をしかめたカレンへ声を掛ける。
「……悪かったよ」
「誠意が足りないったら」
言い足りなかったのか、あんたってねえ、と忌々しげに言葉が続く。湯気に煙る室内へと、それは殊更に響いた。もっともらしく相槌を打ちながら、今日も機嫌が悪いなと思う。それもまあいつものことだ。汚れが落ちて白くなった肌へと再びブラシを滑らせる。泡が立ち、香油の匂いと石鹸が混じる。捲った袖に湯が飛び、袖口に跡がつく。飛んだ泡の塊が腕を滑る。俺はそれを指で拭った。
「ちょっと、変なとこ触らないで!」
「……言いがかりだ」
鋭く発された声に俺は手を止める。裸体を晒しているうえに体を洗わせていて変なところも何もないだろう、と思う。が、口には出さない。こうなったカレンを説き伏せるのは大抵の場合徒労に終わる。逆らわないのが一番だった。俺は逆らう意思などないと分かるようにカレンの目を見る。俺の陳情は空しく、怒っているらしいカレンは食い下がってきた。
「そうやってごまかそうとするのね? 自分のしたことくらい認めたらどうなの」
ああ、面倒なことになった、と俺は思う。俺は目をそらさないようにしつつ、握っていたブラシをワゴンへ降ろす。さて、どうしたらこの暴君は拳を降ろしてくれるだろうか。俺は突き刺すような青い目の前に丸腰で立つ。見つめられると恐ろしい。いかに俺が血を分けた弟であっても。
「……下心があったか確かめてみるか? 俺の腹は探られても痛くない」
害意がないとアピールするために両手を上げながら、殴られるか、湯をかけられるか、今日はどっちだろうな、と考える。石鹸をぶつけられることは無かろうが。カレンは首元のタイを引っ掴んで、泡立つ湯船へと俺を引き込んだ。けして浅くはない湯桶の中に俺はしりもちをつく。じゅぶ、と染みた湯がじわじわと布地を伝った。俺はなすがままにしていた。素っ裸のカレンは馬乗りになって体をまさぐってくる。このケースは初めてだな、と思う。濡れた布地のまとわりついた背中が気持ち悪かった。シャツをめくった腹や、ズボンの中に、泡立つ湯とカレンの手のひらが押し入ってくる。眉をひそめていたカレンは手を止め、伏せていた睫毛を上げた。青い目が俺を見据える。まっすぐ見つめられる。答えは出たのだろう。
「……あんたのいうこと、嘘じゃないのね」
「分かってくれたなら光栄だ」
俺は答える。立ち上がったカレンの股が目の前にあったが、殊更に目を伏せれば顔面を蹴りつけられるのは分かっていた。全くもって損な役回りだ。俺は両腕を下げたまま、カレンの許可を待っている。
「ポラリス、あとお湯使っていいわよ」
シャワーを頭からかぶり、カレンはさっさと出ていった。湯からは花の匂いが立ち上る。解放された俺はしぶきで濡れた顔を拭った。濡れた髪が口に掛かって不快だった。早いとこ片付けないと後が面倒だ、と思う。こういう時はなんていうのが正解なんだろうなと思いつつも、文句を言うべき相手はもはやいない。俺は湯桶の中でタイを外し、シャツを絞った。
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