第7話 料理研究部 下

 ところで、周りを見る限り、調理は三人前後の班で行っているらしいが、美香夏さんの班(?)は……ボクだけに見える。

 美香夏さんは特に気にしている風でもないが、これが普段通りなのだろうか。


「はい。ナッツはもう準備できてるから、本体のところから」


 奥の小皿にはナッツと、フードプロセッサの中に鈍い黄色のペースト。こちらもナッツ由来だろうか。手前には計量済と思しき砕いたチョコレートとバター、クッキングシートの上に小麦粉の山が用意されている。


「ありがとうございます。ところで……えっと」

「なに?」

「美香夏さんは、おひとりでやられてるんですか?」

「そうだけど……?」

「みなさんは班でやってらっしゃるようなので」

「ああ。予め班は決まってるの。でも島村は部長になっちゃったから。あとは、三年生だったし。年度初めまではこのままかな」

「ふうん。じゃあ、ボクが入部したらここに割り振られるんでしょうね」

「……本気で入る気?」

「まあ、本気で嫌と言われたら考えますけれど」

「そうは言わないけど……あ。お湯できた」


 チョコレートのボウルよりもひとまわり大きなボウルにお湯を注ぎ、湯煎の手順を始める。


「料理って、よくやるの?」

「いえ。普段は出来合いのものか外食かで」

「そうなんだ。ちょっと意外」

「意外、ですか?」

「だって、得意そうな顔だから」


 なんだそれ。


「はい。こんなところでいいよね」

「たぶん……?」


 正直よくはわからないけれど、思い描くべき感じにはなっていると思う。

 滑らかかつ艶やかで、ゆったりとした優美な雰囲気が見て取れる。


「それじゃ、そっちのペーストとこれ、混ぜておいて。私は卵のほうやるから」

「あ、はい。わかりました」


 お湯から引き上げたチョコレートの中にペーストを投入して、まんべんなく混ぜ合わせていく。これだけでもけっこう美味しそうな、そういう香りだ。

 ……どこまで混ぜればいいんだろう?


「それじゃこれも」


 声に従って、細かく泡立った卵がボウルの中に入れられると、優しい重みを感じていた指先に、どろりとした奇妙な感触が加わる。

 かき混ぜるストロークの中にもぺちゃぺちゃという滑稽な音が生まれ、何だろう、なんだか少し裏切られたような気分だ。

 それでも混ぜていくうちに少しは元のチョコレートに近づいた、かと思えば、また、今度は大量の白い粉がボウル一面を覆い隠してしまった。

 お菓子作りは……破壊と創造……?


「ゆっくり混ぜてね」

「はい」


 しばらくして、粉っぽさが無くなってきたところで、美香夏さんからお疲れの声がかかる。


「じゃ、型に入れようか」


 出来上がった生地を型に注ぎ入れ、美香夏さんがその上にナッツをかける。


「あとは焼くだけ、ですか?」

「ん」


 調理室の机には流し台、コンロ、そしてオーブンが備え付けられているらしい。

 美香夏さんは型を手早くオーブンに入れ、扉を閉める。


「あと二十五分。その間に洗い物を進めておこう」

「そうですね」

「私が洗うから、拭いてしまって。場所は棚に書いてあるから」

「わかりました」


 泡立て器、ゴムべら、ボウル、等々。美香夏さんがから受け取ったものをふきんで拭いては棚にしまっていく。とはいえ、それもそう多く量があるわけではない。やがてボクたちは手持ち無沙汰になって、二人並んで椅子に座り、焼き上がりを待っていた。


「どう?」

「へ?」


 突然、美香夏さんが会話を向けてくる。


「料理研究部。体験してみて」

「大事な実食フェーズがまだですけど。でも、そうですね。楽しいですよ。思っていたよりも、ずっと」

「そう。なら、いい」


 美香夏さんは少し困ったように、けれどどこか満足そうにも見えるような微笑みを口元につくる。


「……美香夏さんって、どうしてボクにここに来てほしくなかったんですか?」

「それは……別に、もういいよ。入りたいなら、入れば。元々、究極的には私の口出しできることじゃないんだし」

「いや、気になるじゃないですか。教えてくださいよ」

「本当になんでもないから。どうしても知りたいなら、心読むやつやればいいじゃん」

「基本自分のためには使わないって決めてるんです。それにあれ、心を読むんじゃなくて、感情を読む星なので」

「それ、何が違うの?」

「いや、だからこう……えっと……例えば、いま本当に美香夏さんに星を使ったとしたら、ボクが知りたい美香夏さんの事情ではなく、不快感とか、そういうものが感じられるという」

「ふうん?」

「なのでやっぱり、美香夏さんの言葉で説明していただくか、でなければボクが勝手に想像するしかありませんね」

「じゃあ、想像してみてよ」

「えぇ? うーん。あ、わかりました。独りのほうが気楽で好きだから、ボクが入部し、班員が生まれることを阻止したかったとか!」

「まあ、間違ってはいないよ。別に、孤独が好きなわけではないけど」

「つばささんにも聞きましたよ。最初のうちは世話焼きだったって」

「…………世話焼きだったことなんかない」


 目を逸らしながら言う。


「それは星使わなくても嘘だってわかりますが。しかし、だったら別に、独りじゃなくてもいいじゃないですか。他の班にも二人になってしまっている班はあるようですし、相談してみれば、すぐにでも班の再編は行えるのでは?」

「だから、間違ってはいないってば。独りが好きなわけではないけど、独りのほうが楽なんだ」

「ああ。なるほど。例の」


 無限に惚れられちゃった事件か。


「でも、本当に誰もが誰も惚れるものなんでしょうか? 確かに美香夏さんの女性としての魅力には特筆すべきものがありますが、だからといって百人が百人振り向くわけでもないでしょう。まして女性しかいないの環境ならなおさら。一のために九……では流石にないですか。それでも、三のために七を捨てるのでも、勿体ないと思います」

「それくらいは、わかっているけれど。でも、三に割かれる意識が三とは限らないでしょう。逆に私はあなたに訊きたいわ。あなたも、そんなに可憐な容姿なのだから、私と似たことは経験しているでしょう?」

「ええと、まあ、多少は」

「でも、あなたは、私とは違う。誰にでも笑顔で、親しく接しようとする。どうしてそんなことができるの?」

「うーん。難しい質問ですね。でも、たぶん、ボクは、ボクよりも、みんなのほうが素敵だと思うから……かな……いや。すみません」


 何言ってるんだボクは。


「やっぱり、わからないです。感覚的なものですかね」

「……そう」

「ようし、それじゃ、美香夏さんも友達作ってみましょうか!」

「は!?」

「だってそうやって人に慣れるのが一番手っ取り早い解決策でしょう。ボクも転入したばかりで友人が多いとは言えないと思いますけど、皆さんいい人たちばかりですから、お望みとあらばご紹介くらいは致しましょう。莉音さんとか、涼音さんとか、つばささんも……まあいい人には違いないですね」


 つばささんに関しては悪いひとでもあると思うけど。


「いや、私、別に友達が欲しいわけじゃないし」

「今度みなさんとカフェに行くんですよ。莉音さんが生徒会で忙しいみたいなので、いつになるかはわかりませんけど。ご一緒にどうですか?」

「いや、だから、いいって。私が行っても微妙な空気になるだけでしょ」

「そんなことないと思いますけど……まあ、無理にとは言いません。でも、気が変わったら、いつでも教えてくださいね」

「はいはい。そろそろ焼き上がるかな」


 さて、オーブンから取り出されたブラウニーは、外はさっくり中はしとやか、完璧な出来栄えと言って差し支えない珠玉の一品だった。

 しかしまあ、あえて言うなら。


「うん。美味しいね」

「はい、とっても」

「ただ、私はもうちょっと、甘いほうが好き、かな」


 おや、意外にも同意見。

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