第8話
「ただいま戻りました」
「おー、おかえりー」
寮の扉を開けて靴を脱いだところで、ボクはその光景を前に硬直することになった。
なにかつくってる。つばささんが。キッチンに立って。
「えっと、え? な、なにしてるんですか?」
「何してるんですって、見たまんま。ご飯を作っているのです」
「え、えええええ! つばささん料理できるんですか!?」
「ちょっと驚きすぎじゃないかい?」
「だって、こんなに適当な人が料理だなんて!」
「あっはっは、つばささんも傷つくものは傷つくぞー」
料理研究部の皆さんのなかにつばささんがいることを想像してみる。ほら。つばささんのとこだけ闇鍋作り出しそうじゃん。
「ま、昨日は流石にバタバタしてたからカップめんで済ませちゃったけどさ。毎日そんなんでもいけないしね」
「も、もしかして、偽物?」
「本物だよ! 疑い過ぎだし!」
珍しく頬を赤らめて激しめの口調で言う。
「えぇー。わ、おいしそう……」
つばささんの隣に立って鍋の中を覗いてみると、水滴でびっしりになった透明のなべぶた越しに、こぶしよりもやや大きいくらいに成形されたキャベツが煮立っているのが見えた。コンソメの香りもするし、ロールキャベツだろう。
「ふっふっふ、見直したかね?」
「はい! 正直つばささんのこと、がさつで能天気で職務怠慢なひとだとばっかり思ってましたけど!」
「そろそろ怒るぞー」
「でも、本当に素敵です!」
「ふふ。優ちゃんもそのうちできるようになってくれるんでしょ? 料研で勉強してさ。それまではつばささんの当番ということにしておいてやろう。さーて。あとは煮込むだけ。遊ぼうぜ優ちゃん」
かん、とおたまを小さな皿の上に置いて、エプロンを外す。
「遊ぶって、なにするんですか?」
「んー、あ、このあいだのギャルゲとか?」
「それはもう封印しました」
「それは先ほど解放しておきました」
「だぁぁっ!?」
指さされた先、ボクの机の上に禁忌書物が立てられていた。
「もう、もう、もう! ちょっと持ち直したばっかりの株が大暴落してますけどいいんですか!?」
「いやあ、これこそが嘘偽りなきつばささんですし」
「認めんな!」
頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、ゆっくりと息を整える。
「……だったら、そうですね。仕事の話でもしましょうか」
「えーめんどくさー」
やっぱこのひと、少なくとも職務怠慢は事実だよね。
「二日間、いちおうクラスのみなさんを見てきたわけですけど……正直、ボクはさるお方がいったいどなたなのか、皆目見当もつきませんね」
「まあ、つばささんなんか一年半気づいてないわけだし。身内にすらバレてないんだから、外部の人間にはまあバレないっしょ。A-フォーの指示通り、広く浅く守ってればいいと思うよ」
「そう……なのかもしれませんが」
本当にこのままでいいのかなぁ。
「それに、天翼会のスパイのほうもよくわかりませんね。莉音さんに聞いてみましょうか? 何か妙な噂がないか」
「まあ世間話のネタくらいってならいいと思うけど、別にあたしたち、スパイを見つけるのは仕事じゃないでしょ?」
「仕事ではありますよ。優先目標ではないというだけで」
「そりゃー仕事じゃないってことさね。あんま気にしなさんなって。それよりさ、逆に誰がお嬢様だったらいいと思う?」
スマホをいじりながら言う。ただの世間話みたいに。
「はい? どういう意味ですか?」
「だから、彼女をボクが守る! 的な決意を漲れそうな感じのヒロインだよ」
「なんか失礼なことを言ってる気がしますけど……親しみのあるかたってことですか?」
そういう話なら、なんだかんだで、いちばん距離が近いのは美香夏さんだろう。あのタバコの一件がこうも化けるとは想像だにしなかったが。それか、莉音さん?
莉音さんは、彼女の側からはかなり良く接していただいている感触はあるけれど、ボクのほうは莉音さんのことをまだ深く知らないんだよな。
あとは、普通に涼音さんたちとか。
うーん、お嬢様というから、どこか近寄りがたい風味を感じていたのだけれど、実際過ごしてみた感じ、全然そんなことはなかったなあ。みんなボクに優しくて、ちょっとうれしい。
「うん。強いて言うなら、美香夏さんとか?」
「あーやっぱそこだよねぇ。初見から一目ぼれだもんねぇ」
「いや惚れてはないですけど」
「あとは、莉音さんだったらちょっと意外ですよね」
近寄りがたい云々で言えば、莉音さんこそ、そのイメージから最もかけ離れたお嬢様だった。活発で、明るい笑顔を振りまく、夏のひまわりみたいな女の子。
それが秘密結社の最高権力者の娘というところからも同じく最も離れていることは言うまでもないだろう。
「たしかに。面白いよね。初見から一目ぼれだもんね」
「惚れてはないですけど?」
「いや、莉音が、優ちゃんに」
…………ん?
「え、あれは、方便とかじゃないんですか?」
「あの目は本気だと思うけどなあ」
「だとしたら、それ、ボクの正体バレてるってことですかね?」
「え?」
「いやだから、男だって」
「ぷ。ないないない! 莉音ちゃんが百合なだけでしょ!」
むう。もしかしたらボクの奥底から湧き出ている男らしさにキュンとされちゃっているかもしれないじゃないか。言ってて悲しくなってきたけど。
「まあ、そもそも惚れられてないと思いますけどね」
「どうかねえ……っと」
スマホをスクロールしていたつばささんが、突然顔を強張らせる。ボクも自ずと思考を仕事用に切り替えた。
「どうかしましたか?」
「うん、しちゃったみたい。星辰事故だって。ここからはちょっと離れてるけど」
「見せてください」
つばささんが開いていたのは、地域系のネットニュースだ。おおよそ都内二十三区範囲のニュースを取り扱っているらしい。
速報のタグ付けと共に目に飛び込んできたのは、痛ましい文面だった。
『星辰事故、再び高校生が犠牲に』
今日十六時ごろ、港区路上で星辰暴走が発生。星辰は冷気を操る系統のもの。暴走発端となった男子高校生(17)は死亡し、当事男子高校生と共に下校していた同級生二名と五十代の通行人一名が重軽傷を負った。
「……先月の転移事故から立て続けですね」
星辰事故自体は、そこまで珍しいことではない。百人が百人、超常の異能を完全な制御下におけるわけではないのは当然だ。数件が重なるくらいであれば、偶然にも起こり得なくはない話なのはわかる。
だけど、ボクたちはそれが偶然ではないことも想定しておかねばならない。
というより、偶然だと割り切るには少し奇妙すぎる。
「ま、なんか季節外れの風邪でも流行ってるんじゃない?」
体調が悪ければ集中力に欠ける。集中力を欠いて星辰を発動すれば暴走しやすい。
だが、ちょっとした風邪くらいで暴走していては、星辰使いはいまごろ弾圧され島流しにされていたことだろう。暴走の危険性を帯びてくるのは、高熱で意識がもうろうとしているようなレベルでの話だ。もちろん、誰だってそんな状態で星辰を使ってはいけないのは知っているし、今回の件に関して言えば、そもそもそこまで具合が悪いのなら、呑気に同級生といっしょに歩いているわけがないだろう。
だからおそらく病気ではない。
では、なぜ?
「この近くで起きないといいけどねえ」
「そうですね……」
「いかんいかん。暗くなってしもうた。やっぱギャルゲやろうぜ」
「やりませんって」
「じゃあいいや、あたしがひとりでやるから」
「やめろって! 封印して! せめて食事前にやらないで!」
「……それもそうか。満腹になってからのほうが興奮しやすいっていうしな……」
男性としては空腹時のほうが興奮しやすいらしいけど、そこはもちろん言わない。
「ちょっと早い気がするけど、アク取って塩コショウしてくるか……」
「どれだけやりたいんですか……」
「わりと?」
にしし、と笑う。心臓が静かに跳ね、思考が寸断されていく。ああもう。
……まあ、港区まで足を延ばす余裕はないしな。この件は他のエージェントに任せるとしよう。何かこちらが関与するべきなら、改めて連絡が入るはずだ。
ボクはボクにできることをしよう。
ちなみにというか、ロールキャベツはとても美味しくいただいた。
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