第7話 料理研究部 上

「英語、得意なんだ。この学校、英語だけはかなりレベル高いはずだけど」


 ホームルームが終わり、浮き足立つ教室の中で美香夏さんが話しかけてくる。

 体育のあと、六時間目は英語だった。

 ひとつ収穫、火曜日の午後の授業は楽だ。午前は地獄そのものだけど!


「ああ、はい。実用してますからね」


 エージェントとして。


「やっぱり? じゃあ、別に地頭は悪くないんだ。教え甲斐があるね」

「お手柔らかにお願いします……」

「どうかな。まあ、今日の授業はこれで終わりだ。部屋に戻ったら予習復習をきちんとやっておくこと」

「明日って、数学ありますか?」

「あるよ。というか、数Ⅱ数Bを問わないなら毎日あるし」

「滅びればいいのに」

「ふ。……あ、そうだ。部活は何にするか決めた? 私は放課後はわりと暇してるから、そっちが空いてるなら見てあげてもいいよ。まあ今日は部活なんだけど……」

「もしかして、料理研究部なんですか?」

「ああ、知ってるんだ? そう。活動は火・金だけ、それもわりとすぐ終わる」

「へぇ、いいですね。ボクも料理研究部にしようかな」

「ちょっと、部活まで入って来ないでよ」

「えええ。放課後教えてもらうのと大差ないじゃないですか」

「それは……違うし」

「……どのあたりが?」

「違うの。違うから。絶対来るな」

「あぁ待ってください! 明日の漢字テストの範囲だけ教えてください」


 聞いた話、国語の授業では、毎回冒頭に常用漢字集から十問の漢字小テストがあるらしい。昨日つばささんに聞いたのだけど、そのつばささんはテスト範囲を紛失していた、という。


「ん、ああ。あとで送るから、SEIN《ザイン》交換して」

「あ、はい」


 軽やかな通知音と共にボクたちはフレンドになった。何の感慨もなく。

 なんか、クラスいちの美少女と連絡先交換するって、もうちょっとドラマが欲しかったような。いいけどさ。


「それじゃ、また明日。さようなら」

「はい、また明日」

「……数学でも何でも、分かんないとこあったら、送ってくれれば答えないこともないから。寝てなければ」

「ありがとうございます。頼らせてもらいますね」

「じゃ」


 手を振って美香夏さんと別れる。

 うん、まあ、わりと歩み寄れた一日だったのではないでしょうか。……しかし、ボクはてっきり──。と、そこでボクの席に近づく影。


「やっほー、優ちゃん。なんか、美香夏ちゃんといい感じじゃん」

「いい感じとまではいきませんけど、悪い感じではなくなりましたよね」

「いやいい感じだよ。美香夏ちゃんのあれは相当いい感じだよ。優ちゃんの可憐さに絆されてきてるよ」

「それは違うと思いますが。でも僕、むしろ避けられる覚悟だったんですけどね」

「なんかしたの?」

「ああ、まあ……」


 ちょっと心を読んだから。

 おっと、また来客。鶴見先生だ。


「萩原さん。少しよろしいですか?」

「はい。なんでしょうか」

「ご存知かもしれませんが、我が校の生徒は基本部活動に所属することとなっています。萩原さんも早めに所属する部活動を決定し、来週末を目処に申請書を提出してください。こちらがその申請書です。部長と顧問のサインが必要になりますので、お忘れなく」

「ありがとうございます」

「各部の部長さんには話を通してありますので、活動場所に行けば見学ができると思います。急かしておいてなんですが、よく考えて決定してください。それでは、お邪魔しました。お気をつけて」


 プリントをしっかりとファイルにしまう。

 幸いにして候補は既に決まっている。というよりほぼ一択だ。


「部活、どこにするの?」

「料理研究部を考えています」

「おー、料理好きなの?」

「そういうわけでは。拘束時間が短いようなので」


 エージェントとして動きやすい時間が確保できるのはそれだけで魅力だ。


「だったら文芸部でよくない?」

「教師受け悪そうじゃないですか。後々そこの信用が明暗を分けるかもしれませんよ」

「あー……」


 この顔、さてはこいつ既に暗の側に分けられてるな。


「まあ、頑張りたまえよ。はっはっは。とりあえず帰ろうぜ」

「え、ボクはこれから料理研究部に見学に行こうかと」

「真面目か?」

「真面目でもなんでもいいですけど、そういうことなので。また後ほど」

「えーやだひとりじゃつまんなーい」

「子供ですか」

「だって莉音も文化祭前で生徒会忙しいしさー。他のみんなは普通に部活だしさー」

「子供かって。それなら、莉音さんのお手伝いにでも行ってあげたらいいんじゃないですか?」

「それはめんどい」


 おい。

 つばささんは放っておいて、ボクはさっさと部活に向かうことにした。

 料聞いた理研究部の活動場所は、誰かに確認したわけではないけれど、その活動内容を思えば、やはり調理室だろう。

 果たして調理室に行ってみると、おっとりと落ち着いた雰囲気のお姉さんが出迎えてくれた。いや、印象としてはお姉さんだったが、よく見れば襟のリボンの色が緑なので、ボクと同じ二年生らしい。


「あの、ボク、転入生の萩原です」

「ああ、聞いとる聞いとる。私は部長の島村みおや。よろしゅうな」

「よろしくお願いします」

「うんうん。話題の転入生が我らが料研に見学とは、光栄の至りやなあ。どうぞ、お好きに見てってな」


 澪さんが細い指をさっと伸ばし、教室前方のホワイトボードに書き記されたレシピを示す。一番上には、ポップな字体で『本日の料理:ブラウニー』と書いてあった。


「ご覧の通り、今日はブラウニー作ります。毎週火・金の活動日のうち、火がスイーツ、金がご飯料理なんよ」

「へえ……」

「ま、刃物と火の扱い以外はゆるっゆるなとこやから、あんま気張らんとってええよ。んーそやな、二年生やったよね? ここ誰か知り合いとかおる?」

「あ、神辺美香夏さんとか」


 おや、それに恵那さんもいるみたいだ。エプロン姿がよく似合う。


「まじ? なかなかやるんやな。神辺ちゃーん、お客さんよー」

「なに……って、ちょ、ちょっと! 来ないでって言ったじゃない!」

「あはは」

「あははじゃないし!」

「ほーん、意外や。ほんまに仲いいんやな」

「どこが!?」


 美香夏さんが語気を強めにツッコミを入れる。ボクとの仲はともかく、澪さんとはかなり良好な関係を築いているみたいだ。


「まあまあ、そんじゃ神辺ちゃん、見学者のお世話よろしゅうな。やさしく、やさしーくやで」


 澪さんは手をひらひらと振って離れていき、ボクと美香夏さんだけが残される。


「えっと……よろしくお願いします」

「あーもう……こっち。エプロンと三角巾あるから」


 美香夏さんに連れられていく途中、恵那さんにも軽く手を振ってみたのだけど、ぎこちない笑顔で返されて終わってしまった。あれ?

 ま……まさか、つばささんが言ってたこと。恵那さん本人にもバレてたのか。じゃない、誤解されてたのか。悲しい……別に見たくて見てたわけじゃないのに……。


「エプロン。で、これ三角巾。……なんで悲しそうなの? 他の柄がいい?」

「あ、いや、全然別のことです! ありがとうございます」


 首を通して、腰の上で紐を結ぶ。

 エプロンを着るなんていつぶりだろうか。

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