第6話 五時間目

 五時間目の授業。それは、体育。

 あるいは試練。

 そう、着替えをいかにして済ませるか。女子高に潜入した男子ことボク、最大の挑戦がはじまる──わけもなく。

 いやだって、考えたら、トイレで着替えればいいじゃん。

 まあその前に女子トイレに入るという試練フェーズが無かったとは言わないけれども、女の子たちと一緒に着替えるよりは億倍マシというものだ。どっちにしろいつかは入らなきゃいけなかったし。

 たぶん、どうしても他人に肌を見せたくないシャイな女の子だって、学校にひとりくらいはいるだろう。この学校のそれはボクなのだ、きっと。

 というわけで、何事もなく体操着とハーフパンツに着替えたボクは、颯爽とグラウンドに向かう。

 着替えの問題さえクリアしたのなら、体育は簡単だ。数学ひとコマより体育十コマのほうが簡単なくらいだ。なにせボクはエージェントとして、身体の動かしかたというものを、座学実践共に徹底的に叩き込まれている。それが高校生の授業であれば、もはや癒しの時間とすら呼べた。

 さて、そんな体育の内容は、春秋に行われているという新体力テストである。

 準備運動をしていると、つばささんが声をかけてきた。


「優ちゃん、運動は?」

「え? できると思いますけど……」


 とはいえ、多少手を抜かないと、女子としては不自然な記録になりそうだ。


「つばささんは?」

「普通。ほい、背中」

「え? うわわわわ!?」


 背中合わせに腕を組まれたと思った途端、ぐぐっと背中が引き延ばされる。

 まあストレッチにはなる、なるけど!


「そっちよろしく」

「……いいですけど」


 思ったよりもだいぶ軽い体重を背負い上げる。筋肉足りてるのか?


「準備運動終わったかー」

「はい!」


 体育委員だという涼花さんが敬礼でも付きそうな勢いで答える。

 意外と体育会系なんだな。眼鏡かけてるのに……って言い方は失礼だけど。


「よーしそんじゃちょっと移動。ハンドボール投げからやってくぞー」


 扇状のラインが引かれた場所まで移動して、手ならしにキャッチボールが始まる。

 ふむ。これくらいの軽さなんだ。


「優ちゃん、どのくらいいけるの?」

「何メートルが満点なんでしたっけ?」

「え、あー、えー。涼花ちゃーん、ボール投げの満点っていくつだっけー」

「んー、二十三! たぶん」

「あんがとー。……だってさ」

「じゃあ、二十くらいを目指しましょうかね……」

「おー。じゃあたしも目指してみるか」


 けっこうシビアな調整だ。いっそ十メートルくらいにしてもいいけど、流石にそこまで手を抜いたらバレるよなぁ。


「よーしそろそろ肩あったまったかー。始めるぞー」


 周りの皆さんの記録は、けっこうまちまちだ。十メートル前半と二十メートル近辺に固まっている印象がある。莉音さんが三十メートルの大台を出していたのが最高記録。ちなみにというか、美香夏さんとつばささんは十メートル組である。


「がんばれー優ちゃん」

「がんばれ!」


 つばささんや涼花さんたちの声援に首肯を返して、白円の中に入る。

 軽く手首を振ったあと、ボクはゆっくりと振りかぶって、気持ち弱めに投球姿勢に遷移する。とりあえず、上のほうに投げればいいかな。


「それっ!」


 ボクの手から解き放たれたボールは、地面に対して七十度くらいの角度で大きく上空に浮かび上がり、どんどん加速して落下、白いラインの一部を抉り取った。

 お、二十メートルぴったり。


「萩原ー、二投目はもうちょい真っすぐ投げろー。記録伸びねーし危ねーし」

「……はい」


 怒られた。


「優、四十五度くらいで投げるといいと思う」


 ついでに涼花さんにアドバイスをもらってしまった。ううう、わかったよ! ちゃんとやるよ! まあ莉音さんも三十メートル出してくれてるし二人なら目立たない!


「そう、れっ!」


 二投目。ぴったり四十五度。力は、さすがにそれなりに抑えて。

 いた、つもりだった、のだけど。


「四十、三!」


 やべ。


 次いで行われた五十メートル走は、さすがに調整できる。ちょうど十点ぐらいだという涼花さんといっしょに走って、いっしょにゴールして、無事七・六秒。満点。


「優、速いんだね!」

「あはは、涼花さんも」


 ゴール後に爽やかな汗を流して青春の一ページみたいな会話をしていると、後ろからものすごい声が全てを耕していった。


「おりゃああっっ!!」


 莉音さんである。記録、六・八秒。はや……ボクがふつうに計ってそのくらいだけど、当然ボクは男子で莉音さんは女子だ。莉音さんって相当運動できるんじゃないか。

 しかし、つばささんはさっきのハンドボール十二メートルといい今回の九・六秒といい、本当にエージェントなのだろうか。うまく調整してると思いたいけど、どうも、あの息の荒れっぷりはマジなような……。

 まあ、若干トラブルもあったものの、いい息抜きの時間だったな。

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