第5話 アマハラ
「ふへぇぇあ」
欠伸だかため息だかわからない声再び。疲れた。ただただ疲れた。
休み時間はもちろん、授業中も目立たない範囲で教えを乞うていたが、とてもとても。化学と生物はまだ知識不足なだけとして、数学は追いつく追いつかない以前に、根本的な走り方が行方不明だ。
「あなた、よく編入できたわね」
「ぐっ……」
ボクに弱みを握られているはずの美香夏さんが、呆れ顔で暴言一歩手前のセリフを吐くレベルである。
「言わないでください、自分で一番感じてますから……。とりあえず、ご飯を……確か学食あるんですよね」
「ああ、うん。行ってらっしゃい。私はパンだから」
できれば一緒に食べたかったけれど、純利用者同伴といえ食堂を持ち込みで利用していいものかわからないので、大人しく引き下がることにする。
代わりにボクはつばささんの机を訪ねた。
「つばささん……ご飯行きませんか」
「お疲れだねぇ」
「ほんっと、疲れましたよ。学生ってすごいですね」
「いや君、どこ目線の感想だね」
「わかる。わかりますよ優さん」
「どっから生えてきた莉音」
僕も寸前まで気づかなかった。忍者か。
莉音さんはそのまま僕たちふたりの手を取ってにぱっと笑う。
「さあさ、数学さんたちのことは忘れて、ご飯。ご飯に行こうじゃありませんか。優さんの転入祝いです。このわたしが奢ったりますよー!」
「いや、そこまでしていただかなくとも」
「いいのいいの! 代わりに優ちゃんの話色々聞かせてください。ナゾの美少女転入生だなんて、こんな新鮮なネタ逃せません!」
「あー、そゆことね」
「どういうことですか?」
芝居がかった顔と口調で莉音さんはなおも続ける。
「何を隠そう、あっしの正体はこの学園一の文屋の娘。名を
「え、えっと……」
「莉音は新聞部なのだよ。いや、正式には部活じゃないんだけど。自称新聞部」
「自称じゃないです純正新聞部です!」
「どこがやねん。部員足りてなくてサークルとしてすら認められてないじゃん」
「な、なるほど? とりあえず、ボクは校内新聞の取材を受けるんですね?」
「そういうことです! さ、それでは急ぎましょう! 早く行かないとどんどん混んできちゃいますよ!」
「ちょっ、引っ張らないでください」
「全速前進デース!」
腕を掴まれたまま勢いよく廊下に飛び出したところで、誰かにぶつかりかけて急ブレーキ。見上げれば、そこにある赤縁眼鏡は、紛れもなく数学教師にして我らが担任である鶴見先生のものだった。
「廊下は走らない」
「すみません」
怒られた。
さて、微速前進で食堂に向かうと、そこには信じられない光景が広がっていた。
太陽の光をめいっぱい取り込む背の高いドーム様の空間に、圧迫感も無駄も感じない絶妙な数のテーブルが規則正しく並んでいる。学校の食堂というより、ファミリー向けのフードコートみたいだ。それも極めて上等な。
「おお……」
「優さん、何か食べたいものありますか? 色々ありますよー、ちなみにわたし的オススメはきつねうどんです!」
「き、きつねうどん?」
「知らないのです? きつねうどん」
「いや知ってはいるけど。ここで出てくるとは思わなかったです。本当に色々あるみたいですね」
「あるよあるよー、かけうどん、月見うどん、天ぷらうどん、肉うどん、カレーうどん」
「うどんしかないんですか!?」
「他にもありますよ! 味噌ラーメンとか醤油ラーメンとかざるそばとか!」
「なんで麺類ばっかりなんですかっ!?」
しかもラーメンって。まだうどんには欠片なりともお嬢様めいたものがないわけでもなくもなかったが、いよいよかけ離れてきた。
「まあ、大抵のメニューは頼めるよ。優ちゃんはなにか好きな食べ物あるの?」
「え、っと、カレーライス……ですかね。あっ、お嬢様っぽくないですよね!?」
「きつねうどんと大差ないっしょ」
「あはは! それじゃカレーライスにしましょっか。まずはあそこの券売機で食券を買うんですよ!」
莉音さんが指し示した先に、自動販売機より少し小さいくらいの券売機がずらりと並んでいる。しかもよく見ればひとつひとつ表示されているメニューが違うみたいだ。本当にどれだけあるんだ……?
「カレーは、確か、右から四つ目のやつだっけな」
えっと、右から四つ。これか。
「ありました。カレーもバリエーションがあるんですね。ポークカレー、ビーフカレー、ドライカレーに野菜カレー……」
しかもそれぞれに辛さの調整が利くみたいだ。至れり尽くせりだな。
まだまだある。チキンカレーにカツカレー……。
「ん? この、チャレンジ激辛カレーっていうのは……」
「それは……やめておけ。悪いことは言わない。誰も頼まない禁断のメニューだ」
つばささんがわざとらしくひきつらせた顔でボクを止める。
「なんでそんなメニュー残してあるんですか。それで結局、これはどういうカレーなんですか?」
「九回死ぬほど辛いらしいです……」
「へえ。じゃあ、これにしてみようかな」
「はい!? いやいやいや! 駄目です優さん死んじゃいます! 九回死んじゃいます! それはもう猫でも死にます!」
「あはは、たぶん大丈夫です。ボク、辛いの好きなんですよ」
「そういうレベルじゃないんですってば! 一昨年の卒業生に頼んだひといたらしいですけど、そのときは救急車のお世話になられたんですよ!?」
「本当によく残ってましたね!?」
それを理由に抹消されてもおかしくなさそうだけど。
ていうかそもそも、なんで学食にこんなメニューが設けられたんだろうか。
「でもまあ、ものは試しですよ」
「やめて! やめてください優さん! せっかくお知り合いになれたのに、これでお別れだなんて悲しすぎます! 記事もまだ書いてないのに!」
「大げさな。……けど、そうですね。いきなりこれというのは少し不安もありますね。今日は普通のポークカレーにしておきましょう」
「よかった……って辛さ最大にしてる!!」
「うーむ、普通とは」
「さ、行きましょうおふたりとも! これをカウンターの方にお渡しすればいいんですよね?」
「まあ楽しそうだからいっか」
な、なんだよ浮かれてるみたいに。いやちょっと浮かれてはいたかもしれないけども。だって普段はそんなに食べる機会ないし。
少々の不服を小脇に抱えつつ、カウンターに食券を提出する。食券を受け取った気の良さそうなおばちゃんの目がすっと細められ、ボクをじっと見つめる。
「お嬢様、本当にこの内容で大丈夫ですか?」
「はい。お願いします」
「……では、こちらの同意書にサインを」
救急車は噂や冗談ではないらしい。ペンを受け取ってサインを済ませる。萩原優。
そのまま脇に逸れて待機していればいいみたいだ。
ボクに続いて注文を済ませた莉音さんとつばささんがやってきて、カウンターの向こうの厨房を三人なんとなく眺めている。
「ほとんど加熱するだけなんですね」
「まーそうでもないと捌ききれんよね。でも味はなかなか良いよ」
「企業努力がうかがえますね! 実はわたし、一回取材したことあるんですよ。ほとんどのメニューは
「有名どころじゃないですか。しかも凄い気合いですね」
「ですよね! 残念ながらそこは詳しく教えてくれなかったんですけど、たぶん偉いひとの娘さんとかが卒業生とかなんじゃないですか?」
「なるほど。ありえそうな話です」
「なんだかんだ、ここって良いとこの娘さんばっかだしね。莉音ちゃんだってそうでしょ?」
「そうなんですか?」
「えー、言うほどじゃないですよ。ただご先祖が超お金持ちだったのと、代々慎重気質なのとで、なんとなく資産が維持されてるだけで、いまは大したことやってないですから」
「一代で資産築くよりもそっちのほうが難しいと思うけどね」
「凄いですね……」
「そうだ、そういう優さんは?」
「ボクですか? ボクは……うーん。実は、お父様はお仕事のことをあまり話してくださらないので、よくわからないんですよね」
「ふむふむ? どこかの秘密結社のヒーローとかですかね!」
「ふふ、そうかもしれませんね」
なになにいきなり真相突いてこないで。いやA-フォーはヒーローというよりは別の何かな気がするけど。どちらかといえば悪の秘密結社の重要幹部。
ちょうどカレーもできあがったようなので、都合の悪い話はここまでに。トレイを受け取って空いている席に向かう。
すると席に座って手を合わせかけたところで、莉音さんの動きが止まった。
「あっ……」
「どうかされましたか?」
「なに。スプーン忘れた?」
「いえ、そのう、転入祝いにわたしがお支払いしましょうって話でしたのに」
「あはは。ボクも忘れてました」
「新聞の取材料じゃなかったっけ?」
「それもありました。ぐぅぅ、ではアストロノートのパンケーキを今度ご馳走します! ので、どうかお話を!」
「アストロノート?」
「学園から徒歩五分のカフェ。なかなか凝ってるからウチのお嬢様がたにも超人気だぜ」
「です! 他にもおすすめスポットはいろいろありますので、今度遊びに行きましょう!」
「はい、是非に。でも、わざわざ食べ物で釣ろうとしなくても、莉音さんの取材ならお答えしますよ」
「ぐっ!?」
「なんですその『ぐっ』て」
「優ちゃんの人たらし笑顔にハートをグッとされた音っしょ」
「グッとされました!」
「なんですかそれ、もう……いただきます」
軽く手を合わせてから、カレーとライスを半々に口に運ぶ。あ、辛い。美味しい。辛美味しい。
「それで、ボクは何をお話しすればいいんでしょう?」
「あ、じゃあ質問させていただきます。まずは、そうですね、どうしてこの三原女に?」
いきなり面倒なとこ来たな。
とはいえ、このくらいはさすがに予想済みだ。
『萩原優』のプロフィールを瞬時に思い起こし、すらすらと読み上げていく。
「はい。実は、以前通っていた高校で、生徒による星辰事件が起こってしまいまして。お父様がより安全度の高いところに移るようにと」
「あー、ありましたね。上白土高校でしたっけ」
「あ、ご存知でしたか」
「ニュースで見ました。学生の事件としてはけっこう大事でしたよね。転移系は一歩間違えたときが本当に怖いです」
「いしのなかにいる」
「洒落になりませんってば」
もちろんボクは上白土高校になんて行っていないが、書類の偽造はもちろん、生徒職員の記憶にも星辰による情報挿入が行われているはずだ。万一調べられても問題はない。そして、七月末に星辰事故が起こったのもまた事実である。
星辰は便利で有用なものだけれど、やはりその反作用というのは存在する。だからボクたちがいる。まあ、件のそれは単独事故だったらしいけれど……。
「あ、そうだ。これはその、全然嘘ついていただいても大丈夫なんですけど、優さんは星辰使いなんですか?」
「はい。ボクも星辰使いです。しかしその、内容は……あまり外聞がよくないので、秘させていただきます」
「あーいえいえ! ここは記事には書かないでおきますね。お詫びといってじゃないですけど、わたしも星辰使いなんですよ。『気配遮断』です。効果は、読んで字のごとしですね」
「あはは、確かに記者向きかもしれませんね」
「いえいえ、わたしは誠実な記者を目指してるので、盗み聞きみたいなことはNGです。なので誠実にお聞きします! 好きな異性のタイプは!」
「い、異性のタイプ?」
「同性でもいいですけど、それ書いちゃったら明日から優さんの休み時間は告白祭りになりますね。そんなの嫌です! それならわたしと付き合ってください!」
「落ち着いてください。ボクに恋愛はまだ早いかなというのが本音なのですが……強いて言えば、一緒にいて落ち着ける方、でしょうか」
「なるほど……わたし、落ち着きますか?」
「莉音さんとお話しするのはすごく楽しいですよ」
「うう、褒められてるのに褒められてないです……与太話はさておき。皆さんがおそらく一番気になるところ。ズバリ、部活はどちらを希望されますか!」
「ええと、まだはっきりとは。でも、あまり拘束時間が長くないものがいいですね」
確か、感性を豊かにすると共に学友との絆を云々とかで、生徒会所属を除いて部活動は全員参加のはずだ。本音を言えば任務に回したい時間だが、悪目立ちするのはよくないので、何らかの部活には所属せねば。
「でしたら新聞部、どうですか?」
「新聞部、部になれてないというお話では」
「イコール帰宅部っすね」
「違います!」
「あと何名部員がいれば成立するんですか?」
「いまわたしひとりなので、あと三人でサークル、あと七人で晴れて部活になれます」
それは、イコール帰宅部で間違いないですね。
「……というか、もしかして、この取材は実際の新聞にはならないんですか?」
「あ、いえ! 活動はしているんですよ。個人的に掲示板の使用権をいただいて、毎月一回掲示する形で。ネタはありがたく来月分に使わせていただきます!」
「なるほど……。あれ。しかし部活動は強制なのでは?」
「莉音ちゃん、生徒会書記なので免除です」
「新聞部カッコカリのために入りました!」
「それはまた……」
「ね、ね、やりましょう新聞部。楽しいですよ。活動時間も短いですし」
「でも、部活動の認可って、もう少し人数がいるんですよね」
「はい、なので、それまでは一緒に生徒会で頑張りましょう!」
それは、結局かなりの時間を取られるのでは。本末転倒ここに極まった。
ボクはやんわりと断ることにする。
「とりあえずは、他の部活を見てから決めようと思います。イメージとしては、料理研究部や文芸部なんかは時間にゆとりがありそうですけど」
「料理研究部に負けるなら仕方ないかもですが、文芸部はあってないようなものですよ。いわゆる幽霊部員集団の、実質帰宅部です。新聞部に分霊してほしい」
「分霊」
「分霊です」
「ははは。その幽霊、ここにひとりいるけどね」
……それは、つまり。
「莉音さんのことイコール帰宅部とか言えないじゃないですか」
「いやつばささんはちゃんと文芸部ですから」
「やっぱり分霊しましょう分霊!」
「なんか霊媒あったら行くかもね」
「……ぐぐぐ。今度のアストロノート、優さんだけじゃなくてつばささんのも奢るので」
「えーそれだけじゃなあ。一年奢ってくれたら一年所属するよ」
「むぅぅ……!」
「真面目ですか。こんなところで悩まないでください」
「しかしつばささんは優しいからね。半年に負けてあげよう」
「なんと半額!」
なんか、このままだと本当に悪魔の契約を結んでしまいそうな雰囲気がある。先に悪魔を祓っておこう。
「つばささん、あーん」
「へ? あむ。……んだこれ辛ッッ!! かっ……辛いってか痛い! 喉、喉が、いや胃が絶対に発しちゃいけない痛みを発してるってッ!」
「あはは」
「ゆっ、優さん優さん! わたしにも! わたしにもあーんってしてください!」
「なんで!?」
「どんな拷問でも優さんにやっていただけるならご褒美です!」
「ボクは莉音さんを拷問するのなんて嫌です。大切なお友達なんですから」
「ひゃー!!」
「あたしはいいの!?」
「え、はい。どうでもいい」
「ちょおい!」
隣で立ち上がった抗議の声をスプーンで封殺して、最後に残った一口ぶんを自分の口に運ぶ。やっぱり、普通の辛さじゃないんだろうなぁ。
……ていうかこれ、あれ? 間接キ──。
ボクは思考を捨ててスプーンを置いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます