第4話 優

「はい。ボクは大丈夫です。父さんもご自愛くださいね。それではまた」


 通話を終えたスマートフォンを机に置いて、うーんと大きく伸びをひとつ。

 もちろん相手は父親などではなく、ボクの上官A-フォーだ。

 向こうからも、差し当たって大きな動きはないとのことなので、ひとまずは学園生活に馴染んでいこう。


「さて。片付けをしないと」


 部屋の隅にはまだ段ボールが二、三積まれている。昨日開けたのはその日必要だった日用品と制服くらい。特に明日使う教科書やら筆記具やらは必ず出しておかなければ。

 そうして段ボールのひとつの封を切るが、ボクはそこで天を仰ぎ頭を抱えることになった。


「イレブン……!」


 あいつまたやりやがった。

 教科書とノート類の隣でぶ厚い箱がピンク色の存在感を放っている。中身は、見なくてもだいたいわかる。イレブンがボクの支給品で遊ぶのは初めてじゃないから。良くて美少女フィギュア。悪ければ年齢制限がかかりそうな何かだろう。

 果たして。嫌々ながら箱を確認する。

 悪い方だった。


「うお。乙姫シリーズの新しいのじゃん。女装で女学院に潜入してるときにこれは狙ってますねぇ、ははーん」

「つばささん!? 違いますよ! ボクにこんなもの申請した覚えはありませんからね!?」


 てか申請しても通らねーよこんなもん!


「うむうむ、みなまで言うな。あたしそういうの気にしない。何ならやるとき言ってくれればちょっと出かけたりするから」

「やりませんから!!」


 っていうかこの人、やけに詳しいな。

 しかしこれ以上この話題を続けたくはないので、そこのツッコミは入れないでおく。

 教科書類を救出して悪魔の箱を封印。よし、深呼吸だ。この段ボールにはもう何も入っていない。よし。


「しかし……意外と男の子なんだよね、キミは。女装に全然恥じらいがないから、昨日顔を合わせたときには心が女の子とかなのかなあと思っていたのだけど」

「意外と男の子って、さっきのゲームは本当にボクじゃないですよ。H-イレブンっていう、ボクの後方支援担当がいてですね」

「それもそうだけど」


 そうじゃないっつってんだろが。


「美香夏ちゃんに見とれてみたり、恵那ちゃんのおっぱい注視してみたり」

「いや恵那さんの胸は見てない……」

「見てたしょ」

「……まあ、見てなかったわけではないかもしれませんけど」


 だって。大きかったから。自然と目に入る。よ。


「しかし、そうですか。傍からみて分かってしまうくらいですか」

「まあほら、あたし一応エージェントだし」

「面目ないです。女装任務自体は初めてではないんですけど、これまでとは違って、差し迫った危険というものが目の前にないというか。莉音さんたちとか、目の前にしている皆さんは本当に普通の女の子たちだなって思ってしまうと、一挙一動まで意識が及ばないといいますか」


 うっかりボクっ娘になってしまったことなんて、その最たるものだ。七年それなりにやってきた自負はあったけれど、ボクはエージェントとしてまだまだ未熟の身なんだなと思い知らされるばかりだ。


「確認なんだけど、性自認は男性なんだよね?」

「最初からそう言ってるじゃないですか!」


 ボクだって好きで女装をしているわけじゃないし、許されるならすぐにでもやめてやりたいよ!


「じゃあ……この任務、だいぶつらくない? あたし男装して男子校通えって言われたら胃がマッハだよ」

「まったくつらくないとは言えませんけど、仕事ですから。女子高生で通用する見た目のエージェント自体、数が少ないですからね」


 これは、例えば学生が所定の制服を着るように、今回のボクの仕事服が女装だったというだけの話なのだ。

 申し訳ないことに、実際には潜入エージェントとして少し未熟だったわけだけど。そんなボクなりに、任せられた務めは、最大限遂行しなくては。A-フォーとボクの首のためにも。


「ふうん。お仕事熱心なんだねえ」

「はい。機関のエージェントとして、客星が沈むその日まで戦い続けることが、ボクの生きる意味ですから」

「どうして?」

「それは……。すみません。あまり人に聞かせる話でもないので」

「そか。じゃあ、別の質問」


 つばささんは、これまでのちゃらんぽらんな印象とは一転して、どこか険を帯びたような、鋭い目で問う。


、キミはどうするの? 全部終わって、機関が万歳三唱で解体されて、そのあとは? キミにも、エージェントアフターケアプログラムで、可能な限り希望通りの経歴と生活が贈られるはずだよね。そのとき、キミはいったい何を望むの?」


 なにしろ機関のエージェントは表の顔を持たない影の住人だ。そのまま機関が無くなってしまったら、住居も戸籍も過去も、何もかもが存在しない人間が世に放たれることになる。それを防ぐために、また同時にエージェントたちの士気向上のために設定されたのが、アフターケアプログラム。

 客星が沈むとき、星の眷属は人に帰る。

 あるひとはなんでもない普通の家庭を望むかもしれない。あるひとは日夜豪遊することを望むかもしれない。あるひとは幼いころからの夢だったパティシエになるかもしれない。そのほとんどを叶えるか、そうでなくとも強力に後押しするだけのプールが機関にはある。

 年一回で希望書も取られているのだけど、ボクはいまだに希望らしい希望を出したことがなかった。


「……捕らぬ狸のなんとやら、です。そのときに考えます」

「皮算用を前提で動くと痛い目を見るってだけで、皮算用を期待して動くことは何も間違いじゃないと思うんだけどな」

「つばささん、なにかおかしいですよ。どうしてこんなことを聞くんですか?」

「A-フォーさんに聞いてるから。このままじゃ、その日あいつは機関と一緒に夜に溶けちまう、って」


 ……ああ。そういう。あいつも変なことを吹き込んだものだ。

 まさか、協力者という体で、同年代のエージェントと生活を共にさせたのは、ボクの将来を気遣って? あるいはもしかしたらこの学園生活そのものが?

 もしそうならば、過去一番に直接的で、最も大胆で、そして最高に余計なお世話だった。


「…………。それでいいんですよ。ボクは七年前に死んだんですから。聞いたことくらいはあるでしょう? 七年前の星辰事件のこと」


 七年前のあの日、ボクはすべてを捨てた。すべてを捨てて、機関のエージェントになった。星辰使いは、普通じゃない。強く輝く星であればあるほど、まともな生活はは送れない。送らせてはいけないんだ。

 くるりと向き直り、背中で追及を拒否しながら、またひとつ段ボールを開く。

 菓子袋のカモフラージュの中には拳銃とそのアタッチメントのほか、各種携行品が詰まっている。すぐにすぐ必要なものではないので、申請との一致確認を終えた後は箱に詰め直してクローゼットに閉まっておく。


「ごめんよ優ちゃん。ちょっとばかしマジ顔しすぎたね。ほら、こっち向いて? 仲直りのしるしに、一緒にゲームをしようじゃないか」

「別に怒ってるわけじゃ……ぴゃあああ!?」


 つばささんだってボクのためを思って言ってくれたんでしょうし、と続けようとした口から情けない悲鳴があふれ出したのは、振り返った先でつばささんが封印から解き放たれた禁忌の箱を手にしていたからだった。

 しかも裏面、女の子たちが乱れに乱れたイラストの並ぶほうをこちらに向けて。


「あはははは」

「もう!!」


 ボクはつばささんから奪取したブツに今度こそとこしえの封印を施すべく、段ボールをガムテープで厳重に閉ざし、ベッドの下に滑らせた。





「ふはああぁぁ……」


 登校途中。ついにこらえきれずに、欠伸とため息の中間みたいなものが出てしまった。


「どしたん?」

「いや、その……よく眠れなくて」

「枕変わると寝れない人?」

「そういうわけでは……」


 言えない。同年代の女の子と一緒の部屋で寝るのが初めてで緊張しましただなんて、当の女の子本人には。

 しかしつばささんがあんなものを見せてくることさえなければ、ボクだってそこまで意識せずに済んだとは思うのだけど。


「生理?」

「あははー」

「ごめん、ごめん!」


 半ば発動しかけていた星辰魔法を引っ込めて、またひとつ欠伸をする。

 今日から授業開始だというのに、この寝不足の頭で大丈夫だろうか。いや、大丈夫ではないかっこ反語かっことじ。……もうだめかもしれない。

 ただでさえ中学校未就学というカルマを背負っているのだ。もはや授業についていける要素なんて微塵もない。


「ふと気になったんですけど、つばささんって、いつ頃からさるお嬢様の黒い人やってるんですか?」

「小学生」

「……中学校も、黒い人として行ってたってことですよね」

「そうだけど……え。なに。どういうこと?」

「深く触れないでください。でもあとで勉強教えてください」

「あいわかった。とは言ってもあたしも成績よくないけどな、わはは」


 それでもこのお調子者にすらボクはきっと劣るんだろうなあ、などと、ちょっと憂鬱になりながら教室に入り、席に着く。


「おはよう」

「はい、おはようございます。って、美香夏さん?」

「……何?」

「い、いえ。ちょっと意外だっただけです」


 まさか向こうから挨拶をしてくれるなんて思ってもみなかった。いや、考えてみれば昨日つばささんだって、元はお節介なくらいの娘だったと言っていたじゃないか。きっと昨日はああは言っていたけど、転校生のボクを気遣って──。


「話すのは嫌いだけど、用があれば話す。昨日のこと。誰にも言ってないよね?」

「言わないってのに」


 明確な答えはなかったが、態度から少しはわかる。不安、というより不信。でも、決定的ではない。仕方ない。もうちょっと深く見てみよう。

 ボクは美香夏さんの手にそっと指先を触れさせた。


「な、なに。触らないで」


 信用できない。だって、善意なんて。あり得ない。

 近寄ってくる人間には、近寄ろうとする理由がある。

 善意の中には必ず隠された悪意がある。

 それは。

 伝わってくるのは、感情そのもの。


「すみません。でも……わかりました」

「は?」

「ボクは昨日のことは誰にも言いません。でも、確かに、美香夏さんの弱みっていえば、皆さん飛びついてくるかもしれませんね。美香夏さん、有名人みたいですし」

「……」

「これを黙っておくっていうのは、ちょっともったいないですよね。売ろうと思えば十万円くらいで売れるかも」

「やめて!」

「言いませんって。でも、言わないなりの対価はいただいておこうかなって思って」

「あ……。そういう、こと」

「なので、勉強教えてくれませんか? 恥ずかしながら頭がよろしくないもので、きっと一人では授業を理解できないんです。寮ではつばささんに教えてもらうつもりですけれど」

「分かった。約束だからね。あと……ありがとう。それが、あなたの星?」

「……ありがとう、ですか」


 ボクは適当に微笑んで会話を終わらせた。

 まあ、成り行きだけど、勉強を教えてくれる人ができたのはいいことだ。万一にも補習なんかで自由行動の時間が潰されてしまうと痛い。そういうことにしておこう。

 そうして、土壇場で頼れる先生を手に入れて、ボクの学園生活は本スタートを切ったのだった。

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