第3話 香る夏

 それからボクは朝礼の直前まで莉音さんたちに捕まっていた。

 なんだか朝からどっと疲れた気がする。用意されていた自分の席に腰かけると、思わず、はーっと長い息が出てしまう。


 親しくしてくれるのは有難いのだけど。

 莉音さんたちから見て、ボクは完璧に女の子らしい。

 もちろんバレないのだからいいことなのだけど、それはそれとしてちょっとへこんだりもするのです。ボク、そんなに男の要素ないのか? 少しくらいおかしいなって思ってくれないものだろうか。男性としての沽券に関わるのだけど。

 ボクはまたひとつ深い溜め息を落とした。


 ふと、柔風がちょっぴり傷心のボクを慰めるように頬を撫でる。運ばれてくるのは甘く切ない氷の華の匂い。

 それに惹かれるように窓の方を見上げる。


「あ──」

「……何か」


 ボクの隣の席には美少女が座っていた。

 学校一と噂の美少女、神辺美香夏さんが。

 とりあえず笑顔で挨拶してみる。


「朝、お会いしましたね。美香夏さん……で、よろしいですか」

「会ったっけ?」


 首を傾げられてしまった。僕たちのことは本当に意識の外だったらしい。


「……いや。ボクが勝手に見てただけでした。ボクは優。萩原優です。よろしくお願いします」


 あの大騒ぎでボクがボクっ娘であることはクラス中に知れ渡っている。いまさら直すのも不自然だろうし、もう一人称はボクで通すことにした。だから誰かちょっとくらい違和感抱いてくれてもいいんだよ。いやよくはないけど。


「ふうん」

「えと……はい。あはは」


 しかし、美香夏さんの反応は違和感以前の問題だった。

 外見だけじゃなく中身も冬景色みたいだ。

 こういう人と友好を築きたいのなら、とにかく時間をかけるか、何か決定的な出来事を経験するしかない気がする。

 隣人としては非常にやりにくいタイプの人である。


「用がないなら、いい?」


 言うが早いか、美香夏さんはふいっと窓の外に視線を向けてしまう。


「用はないですけど、その……」

「私ね。人と話すの、嫌いなの」

「そうなんですか?」

「朝、仲良くしてくれそうな子たちがいたでしょ? 私より、あの子たちと仲良くすればいいよ」

「でも、せっかく席も近いですから。やっぱり美香夏さんとも仲良くしたいですよ」


 ボクはめげない。なにせ、美香夏さんがボクらの護衛対象である可能性は捨てきれないのだ。

 この分だと、いざというときぎくしゃくしてしまって任務に差し障りがあるかもしれない。

 出来ることならば、こちらの言うことをある程度聞いてくれそうなくらいには心を許してもらいたい。

 しかし美香夏さんは、今度こそはっきりと迷惑そうに言い放った。


「……そうね。……不愉快なの。仲良くしようとか、友達になろうとか。結局友達になんてなる気がないのに」


 一瞬どきりとする。まさか、他人の心を覗く星辰でも持っているのか。内心の動揺を圧し殺して、ボクは首を振る。


「そんなことは」


 しかしそこで始業のチャイムと共に担任教師が入ってきて、話は尻切れとんぼになってしまう。

 ボクは転入生で、その最初の朝には自己紹介をするものだと決まっているのだ。

 教師の目配せに従って席を立ち、壇上に昇る。

 莉音さんたちや、あるいは朝のボクらの会話を見聞きしていた人たちもいるだろうけれど。ボクは努めて明るく微笑えんで、改めて自己紹介をした。

 ちらりと確認してみると、美香夏さんは机に突っ伏していて、まるで聞いていなかった。


 それからは始業式や掃除等々を経て、十二時前に解散となる。

 移動や何やらでわたわたしていて美香夏さんとは話す機会がなかった。願わくばこの放課後にいくらかの接近を図りたかったが、ホームルームが終わるや否や、呼び止める間もなく美香夏さんは教室からいなくなってしまう。


 伸ばしかけた手を引き戻して、はあとまた溜め息。

 一体どうしてあんなにも拒絶されているんだろう。なぜかが分からないと対処のしようがない。

 流石に僕よりは詳しいだろうと思い、寮への帰り道につばささんに訊ねてみることにした。


「つばささん。ちょっとお聞きしたいんですけど」

「どしたの?」

「ボク、美香夏さんに嫌われているみたいで」

「あー……美香夏ちゃんはね。それがデフォルトだと思う。美香夏ちゃんあの美少女っぷりじゃん? まあ絶対モテるじゃん?」

「そう見えますね」

「告白されまくっちゃって嫌になっちゃったんだって」

「なるほど。想像できますね。……でも、その話だと、要するに男性嫌いということですよね?」


 まさかボクが男だとバレているのか。嬉しさ半分焦り半分のボクを置いて、つばささんは苦笑いをこぼした。


「そう、だから女子校ってことでここに来たらしいんだけど。そしたらまあここの女子からもモテちゃって」

「えー……」


 そんなことある?

 しかしまあ、友達になる気がない云々には合点がいった。きっと近づいてくる人がみんな恋愛目当てに見えているのだろう。いや、見えているだけじゃなくて、過去実際にそうだったのかもしれない。

 美少女も大変だなあ。他人事じゃないけど。


「一年生も初めのほうは結構お節介なくらいの子だったんだけどね」

「うーん。でも、そういうことなら、仕方ないですね。実際、モテすぎるのも困りものですよ。こちらの都合を考えない人も多いですし」

「優ちゃんも体験済みか」

「はは……」


 機関では、組織内での恋愛は基本的に黙認されている。とくに配慮はされないが、処罰もないというくらい。立場上恋愛をしようと思ったら身内でするしかないので、機関にはそれなりの数のカップルがいる。

 いるのだけど、だからってボクに告白されても困る。だって恋とか愛とか、ボクにはまだよく分からないし。それはそれとして告白された内訳の七割が男性ってどういうことだ。ほんとに。


「でも、とすると、その気がないと分かってもらえたら仲良くなれますかね」

「どうかなあ。まあ、運が良ければ仲良くなれるよきっと。それより、帰ったら報告なんだよね?」

「はい。とりあえずのところは不都合なしとだけ」

「……そんだけ?」

「それだけです。もっと込み入った話は定期報告の場所を設けてありますから」


 任務に深く関わる話は顔を突き合わせてと決まっている。

 だがそれはそれとして、『新生活は順調です』というだけなら、誰に聞かれたって構わない、転入生として至極自然な電話である。


「長くなると思ってお誘いを断ってきたのに」

「お誘い?」

「恵那ちゃんたちがカフェに行くって。優ちゃんと部屋の色々を決めるから~って言ってきちゃった。行けばよかったなぁ……終わったらカフェ行かない?」

「部屋の整理をしなきゃいけないのは嘘じゃないでしょ。また今度にしましょう」

「え~。可愛い制服の女の子たくさんいるよ?」

「いるから何なんですか。というか、それを言ったら学院だってそうですよ」

「最近すごい可愛い子がバイトで入ったって」

「はいはい」


 そうこうするうち寮に着いた。部屋は最上階だが、エレベーターが設置されているので階段の苦はない。

 荷物を下ろしてうーんと伸びをひとつ。したところで、ふと違和感を覚えて首を傾げる。


「何か……足音がしませんか? 上から。ここって最上階ですよね」

「ボイラーとかでは?」

「それとは別です。屋上って上がれるんですか?」

「一応あるけど、立入禁止。っていうかあたしには配管の音すら聞こえんのだが。優ちゃんってそんなに耳いいの?」

「まあ、人よりは。……つばささんの星辰で屋上を確認できませんか?」

「あ~。ごめんね、その場所をはっきり想像できるくらい知ってないと使えない。屋上は入ったことないから無理」


 なるほど、人間監視カメラというのは言い得て妙だったらしい。つばささんの星辰はあくまで定点を監視するカメラのようなものなのだろう。事前設置が必要な。


「では、やっぱりボクが見に行って来ます。屋上への階段はどこでしょう? 階下からのものには繋がってませんでしたよね」

「出て右、一番奥の扉。外付けされてる。一緒に行こうか?」

「お願いします。でも、屋上へ立ち入るのはボクだけでいいです。つばささんはボクの後ろで退路を確保しておいてください。ボクに何かあったら、すぐにこの場を離れて機関に連絡を」

「何かあったらって……」

「天翼会の手の者かもしれません。不良生徒とかであることを願いますけど」

「お嬢様学校で屋上に不良生徒っていうのは、それはそれで衝撃だけどな」

「ですね……」


 屋上への扉の前でつばささんと別れて、銀色の階段を足音を殺して登る。

 独特な鼻につく臭い。これは、タバコの臭いだろうか。

 残り数段のところで頭を屈め、ゆっくりと屋上を覗く。


 果たして、そこには予期した通り人影があった。

 貯水槽の裏。ほとんどはタンクに隠れてしまっているが、足元はここからでも見える。デニム生地の裾と、女性ものの靴。

 静かに貯水槽に近づいていくと、それと共にタバコの臭いが強くなる。


「はぁ」


 タバコを吹かす音に重なるようなため息。そこに警戒の色はない。

 絶対にとは言えないが、天翼会の間者ではなさそうだ。少なくともこの気の抜きようはプロではない。星辰なしでも十分対処できるだろう。

 上着の仕込みから抜いたナイフを後ろ手に、貯水槽の裏に回る。

 そこに居たのは──。


「あ……っ」


 ボクに気づいて慌ててタバコを口から取るが、今さらだ。

 うん、不良生徒だった。良かった。とりあえずボクは後ろ手にナイフをウエスト部分に隠す。

 さて、少しばかり居たたまれないのは、相手が顔見知りだったからである。


「美香夏さんじゃないですか」

「ここは立入禁止だけど?」

「ボクのこと言えないでしょう?」

「まあ、そうだけど。で、あなたには何か言いたいことでも?」


 紫煙の中に潜む感情が、僕の中に流れてくる。

不安。諦念。そして、もっと深いところに……駄目だ、気分が悪い。タバコの煙に集中するというのは中々苦痛だ。


「ボクとしては、自己責任だと思ってますから。ただ、あえて言うなら、ボクみたいに耳の良い人は、屋上に人がいるか足音で分かることもありますよ、とだけ」

「……そう。そっか。じゃあ、ここで吸うのは今日で最後かな」


 美香夏さんはポケットから新しいものを取り出して、短くなっていたタバコをティッシュに丸めた。予想とは裏腹にティッシュに火は移らず、気づけば元のタバコの火は消えていて、代わりに新しい方が燃焼を始めていた。


「星辰魔法ですか?」

「パイロキネシスの派生形。タバコくらいにしか使い道のないくず星だよ」

「そうかも、しれませんね」


 パイロキネシス。発火能力。一昔前、星辰魔法が超能力と呼ばれていたころは花形のひとつだったものだ。けれど、星辰魔法が一般常識になってしまった今では、見世物では稼げない。この現代、焼却処理なんかを担えるレベルの相当強力なものでない限り、パイロキネシスが有用とされる場面なんてほとんどない。星辰魔法としてはかなりのハズレ枠と言えてしまうだろう。

 もっとも──荒事には、かなり使えるのだけれど。


「あなたは? あなたも星辰使い?」

「どうでしょう」

「それは、フェアじゃないんじゃない」

「タバコのことは黙っておきますから、それが代わりということで」

「……なら、仕方ないか」


 タバコを吹かす美香夏さん。

 さて、長居は無用だ。つばささんにいらない心配をかけてしまうかもしれないし。僕は早めにこの場を切り上げることにした。


「ええと、それでは。また明日から、よろしくお願いします」

「……それは、脅迫?」

「違いますよ! どういう聞き取りかたしてるんですか。変に言いふらしたりなんてしませんよ」

「ふうん……」


 相変わらず訝しげな視線を投げかけてくる美香夏さんを残して、ボクはつばささんの元に戻った。


「どうだった?」

「ボクの気のせいだったみたいです」

「だよねえ。普通聞こえないよ」

「あはは。とりあえず、報告をしましょうか」

「そうだね。でもその前にご飯食べない?」

「用意があるんですか?」

「いや、カップめん」

「……まあ、つばささんがそれでいいなら、いいですけど」

 

 つばささんと一緒に部屋に戻る。

 ……ところで、何も言われないし、タバコの臭い、ついていたりはしないよね?

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