第2話 春の翼
と、いうわけで。
「いいねぇ、似合ってるよ。可愛いよ。いいね」
ボクは学徒寮の室内で、制服姿を激写されていた。スマホを握るのはE-ナインこと、篠崎つばささん。寮は本来二人一部屋だが、恐らく機関の根回しだろう、彼女はこの一年半、一人で部屋を使っていたらしい。
そこに、今日からボクがルームメイトとして入る形になっている。
……事情を知る同僚とはいえ、女性と同じ部屋で過ごすんだよな、ボク。
幸いなことに、さすがに権威あるお嬢様がたが通う学校ということで、ちょっと高めなホテルくらいの機能は備えた部屋だ。おかげでひとまず今朝の着替えには困らなかった。そうは言っても、ベッドは隣り合っているわけで。
いやいや、これは任務なんだ。変に意識するのは悪いというもの。落ち着くんだ。ゆっくり息を吸って、吐いて。
ボクがやるべきことを思い出せ。そう、すなわち。
「ちょっと。撮りすぎです」
落ち着いたボクは、しっかりとツッコミを入れた。
が、つばささんはのほほんとどこ吹く風である。
「まあまあ、もう一枚。はーい優ちゃん、笑って~」
「あのですね、そもそもボクらは写真を残すこと自体リスクになるんですよ?」
「気にしなさんな! あたしのスマホから出ることはない!」
「だといいですけど」
「とにかく、そろそろ時間ですから、行かないと」
「仕方ない。あ、でもちょっと待って」
「な、なんです……?」
何か変なところでもあっただろうか、と視線をそらしてしまったのがまずかった。
虚を突くようにつばささんの腕が伸びてきて、僕の肩をぐっと引き寄せる。流石に彼女もエージェントで、人体を理解した拘束術は、大した力も感じさせずに、僕の自由を奪っている。
「はい、ピース」
「……ピース」
幸い、すぐ近くにある女の子の顔とか甘い香りだとかを意識するより、いつまで撮る気だよという苛立ちが勝った。
「満足したなら、行きましょう」
「んー。うん。そろそろいいかな。あ、学生証持った?」
「もちろん、持ちましたよ」
「うん、オッケー。ないとロッカーとか使えないからね」
話の学生証は単なる身分証明だけでなく、構内のあらゆる設備のセキュリティパス的な役割も持っているとのことだ。個人ロッカーや寮室の鍵はもちろん、各種教室での出席確認、特別教室や部室の使用履歴なんかもこれで管理されているらしい。
カードひとつが持っている役割が多すぎることはやや懸念点ではあるが、セキュリティレベルは高いと言ってもいいだろう。さすがやんごとなき身分のかたが通い遊ばされるだけはある。ボクらにとっても、不審者の疑いが少ないのは好都合だ。
さて、校舎は、寮から徒歩十分ほどの距離にある。そして現在時刻は七時半。始業にはまだ四十分ある。
焦る必要こそないものの、今日は転入初日。早く着くぶんに支障はない。ボクたちは鞄を手に部屋を後にする。
「しかし嬉しくなさそうだね。制服、似合ってるのに」
「似合ってるのが嫌なんです」
「こんなにかわいいのに」
つばささんがスマホを僕に見せてきた。笑顔のつばささんと遠い眼をした僕の写真が、既にホーム画面に設定されている。こんなんでほんとに流出しない? 大丈夫?
無言でいると画像は更に目前に迫ってきた。スマホをつばささんの元へと押し戻し、僕は前へと向き直る。
「だってボク男ですからね……どちらかと言えばね、かっこいいって言われたいんですよ、ボクは」
「いやあ。一生無理でしょ」
「言っていいことと悪いことがあるんですよ!」
「そもそもね、つばささんは思うのですよ。男らしさとはなんぞやと。それは本当に『かっこいい』だけで合っているのかと」
「じゃあ聞きますけど、『かわいい』は男らしさに含まれるんですか?」
「……まあ、うん。含まれるという意見も、ないわけではないかもしれないし」
「ないじゃないですか!」
こいつ本当に一回星辰ぶち込んでやろうかな。
「ふふ、その調子その調子。楽しい学園生活だからね、肩の力抜いていかないと」
「楽しいって……潜入任務ですよ」
「学生として溶け込まなきゃ、任務は遂行できないぞ? 学生生活を楽しむことこそ我々の本懐に最も近いと言える」
「そこを否定はしませんが、ほどほどにしないと」
「えー。優ちゃんはしたくないの? 青春。友達とバカ騒ぎして笑ったりさー」
「お嬢様って、騒ぐものなんですか?」
こう……なんというか、優雅なお茶会でもしていそうなイメージが強くて、盛り上がっている場面が想像しづらい。でも少なくともつばささんのようにはおちゃらけていないはずだ。たぶん。
「するよそりゃ。身分はどうあれ同じ女の子なんだし。……それかー。恋とか、しちゃってみたりとか?」
「恋って……。それこそ無理ですよ。ボクらにはボクらの立場があるんですから」
「でもでも、女子高に一人の男子生徒だよ? エロゲならもう淫欲の
「エロゲじゃないし坩堝らない。あのですね、潜入の出来を気にするなら言わせてもらいますけど、お嬢様が朝からそんな話するわけないでしょう。そろそろ着きますよ。少しは隠密としての自覚を持ってください」
「ふふふ、舐めてもらっちゃ困るな。つばささんだって腕を買われて隠密やってるんですよ? 情報はきっちりかっちり集めておりますとも」
「たとえば?」
「A組の芹原さんとB組の薬袋さんは付き合ってるとか」
「……ボクの星辰、ご存知でしたっけ? これから任務をするにあたって、一度実際にお見せしたほうがよいかと思ってたんですよね」
「冗談! 冗談だから!」
「ボクも冗談ですよ。大切な同胞にそんなことするわけないじゃないですか」
「目が笑ってない笑顔はほんとに怖いんだぞ」
交通量に反してやたらと広い道路脇をしばらく進むと、次第に学院の立派な正門が見えてくる。警備員のお兄さんに軽く頭を下げると、笑顔で「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。ちょっぴり新鮮だ、と思いながら、行ってきますを返しておく。
シンメトリーの庭を貫く一本道をたどれば、正面玄関だ。
この学校では体育館以外常に下足とのことなので、下足箱は存在しない。足元は可愛らしいローファーのままだ。憎らしいことに。
そのまま廊下を歩いていくと、一人の女の子がボクらを追い越していく。胸元のリボンは緑色。ボクらと同じ二年生だ。
一言で表すなら、凛冽極まる厳冬の針葉樹みたいな女の子だった。
雪に濡れたしとやかな黒髪の内に鋭い瞳。ひとつひとつ全てが美しく、なのにそのどれもにどうしても近寄りがたい雰囲気がある。
ボクがつい彼女を見つめてしまったのとは裏腹に、女の子はボクたちには目もくれず、そのまますたすたと歩き去っていってしまった。
「ははーん、優ちゃんってばああいう娘が好みなのか?」
「まあ、綺麗な人だな、とは思いましたけど」
つばささんは頷きつつ、冬の彼女のプロフィールを流暢に語り上げる。
「
「なんでボク勝手に恋して勝手に諭されてるんでしょうか」
「でも、喜べ挑戦者。あたしたち三人、皆同じクラスだから」
「そうですか。……ところで。ボクたち二人が揃って同じクラスってことは、やっぱり同じクラスにいるんですよね。かのご令嬢が」
クラスがふたつしかないことを考えれば不自然というほどではないが、二人しかいない護衛が揃ってというのはいささか恣意的だ。機関ならボクらのクラス配置くらい根回しできるだろうし、たぶんそういうことなのだろう。
「だろうね。もしかしたら美香夏ちゃんかもよ?」
彼女の常人離れした美貌は、確かにそこに特別を見出だしたくなる。
だが決めつけるのはよくない。ボクとつばささんを除いても、三十六人の生徒がクラスにいる。彼女もまた三十六分の一の可能性でしかないのだ。
ついにたどり着いた2-Bと書かれた札を見上げながら、決意を新たにする。
「あれ。そういえば、いま空いてる席って……」
「どうかしたんですか?」
「……ううん、なんでもなーい」
つばささんはすっとぼけて、教室に一足早く入って行ってしまう。ボクは慌ててそれを追いかけて、目の前でぴしゃりと閉じられた扉に手をかけた。というかなんで閉めたんだ。
「ようこそ、
教室に入ると、何人もの女の子がボクを取り囲んでいた。
「え、あ、よろしくお願いします。萩原優です。不馴れなことも多く迷惑をおかけするかと思いますが」
突然のことに驚く頭をどうにか動かして台詞を引っ張り出してきたのに、途中で一人の女の子が割り込んでくる。
「えーカワイイ! えっ、カワイイ!! 優ちゃんね、優ちゃん、覚えました、絶対忘れないです! 私、
「あ、はい、莉音さん。よろしく──」
「莉音、先走り過ぎ! 優ちゃんだって困ってるでしょ──って、おお……」
前に乗り出していた海鈴さんを押しつぶすようにして、後ろの三人がボクと顔を合わせる。
すると女の子たちは打ち合わせたかのように綺麗に黄色い声をハモらせた。
「決めた。結婚しよう」
「え。ごめんなさい。初対面ですし」
「意外と塩対応! でもそこもいい!」
「あの、えっと、その」
「はーー! 篠崎さん、グッジョブ!!」
つばささんが四人娘の後ろ、監督ポジションでぐっと親指を立てる。まさかつばささん、グルか。グルなのか。
「今世紀最大の美少女来たるの言葉に嘘はなかったじゃろう、ほっほっほ」
「期待以上! 最高!!」
グルだこいつ。何が美少女だ、ボクは男だよ。
ひっぱたいてやりたい気持ちもやまやまだが、莉音さんたちの手前ぐっとこらえた。寮に帰ったら覚えてろよ。
「……あの……結局これは、一体……」
「歓迎会? 的な?」とつばささん。
「改めて歓迎します、優ちゃん。三原女へようこそ」
「つばさとはルームメイトなんだよね。……いいなあつばさ。じゃなくて。私たち、皆つばさの友達だから。良かったら私たちとも仲良くしてくれると嬉しいな。私は
「莉音です!」
「はい。ボクからもお願いします。是非仲良くしていただけたら」
……あっ、と気づいたときには遅かった。何のために昨日鏡の前で何度も練習したんだろう。あんまりにも唐突なことが続くものだから、一人称への意識なんてすっかり抜け落ちてしまっていた。エージェント歴で初めての失態だ。
莉音さんたちの間に緊張が走る。やっぱりさすがにバレ──。
「ボクっ娘キターー!!」
更なる歓声が沸いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます