第104話:魔王さまと花嫁さん

 今日を限りにエルフィーはエルフィーナとなる。


「エルフィーナ。魔王となった証をそなたに授ける」


 先代魔王フリードリヒから与えられた王冠はエルフィーナが魔王となるにあたって新しく作られたものだ。

 エルフィーナの母のリオネッサがエルフィーナが魔王になるときは特別な贈り物ができれば、と意匠を考案したものだった。エルフィーナが魔王になった証ではあるが、代々の魔王が受け継いできたものではない。

 歴代魔王が受け継いできたものは軒並み物置に放置されているので、エルフィーナとしてはいよいよ覚悟を決めて整理整頓をしなくてはなあ、と思っている。時々は暇を持て余したバルタザールが漁っては何かしら有用なものを掘り当てているのだが。

 初めての大仕事が物置の大掃除になる魔王はおそらくエルフィーナが最初で最後になるだろう。

 頭上を飾る王冠の重さは微々たるものだったが、重く感じてしまうのは魔界を背負う重責にエルフィーナが怖気づいているからなのだろう。それでもエルフィーナは閉じていた瞳を開け、まっすぐ背筋を伸ばし、立ち上がった。

 王冠と同じくエルフィーナのために作られた儀式用の杖を掲げれば、参列者から割れんばかりの歓声が上がった。

 魔界の東西南北から駆けつけてくれた参列者のほとんどがリオネッサのおかけで知り合った人物で、魔界には来られない天帝からも、人界の王族たちからも祝いの品が届いていた。自分の就任式ときとは違うのだな、とフリードリヒは式が始まる前から感涙にむせび泣いていた。フリードリヒの就任式は前任と後任と身内だけ、という侘しいものであったらしい。

 フリードリヒほどではないが、もちろんエルフィーナだって嬉しかった。

 魔界の良さを広く知ってもらいたいと常々言っていたリオネッサの努力が実を結んだのだから、嬉しくないはずがなかった。

 参列者の最前列には弟妹達が座ってエルフィーナに手をふっていた。エルフィーナは小さく振り返して壇上から降りて行く。

 就任式が終わったあとは大庭園で魔王就任記念祝賀会だ。参列者は全員が騒ぎたくてうずうずしだしている。

 それも仕方のないことだろう。儀式場ここまで料理の良い匂いが漂ってきている。

 厨房の料理番達はかなりがんばってくれたようだった。リオネッサのレシピを材料の限り好きなだけ作って客人たちをもてなしてほしい、というフリードリヒの願いを全力で叶えてくれたらしい。


「皆様、本日はわたくし、エルフィーナの魔王就任式へご参加いただき誠にありがとうございました。ささやかではありますが、祝宴の場を設けましたので、どうぞ振るってご参加ください――」


 エルフィーナの言葉が終わる前に参列者たちは我先にと大庭園へ駆けて行く。中には空を飛んで行く者すらいた。


「今度から移動は歩き以外禁止にしてしまおうかしら」

「まあまあ、姉様。皆さまごちそうが待ち遠しかったのですわ」

「そうです、姉様。こんなに良い匂いを式の間中嗅がされて、じっとしていらっしゃっただけでもすごいですよ」

「カトリナ、ハルトヴィヒ」


 すぐ下の妹のカトリナは母の色彩を持って生まれ、弟のハルトヴィヒは父そっくりに成長した。二人ともエルフィーナ自慢の弟妹だ。


「ジーノおじさまとレアおばさまは?」


 二人とも苦笑いで顔を見合わせる。


「姉様が杖を掲げたあたりで……」

「二人ともこっそり抜け出していきました……」

「そう」


 今日のメニューの中に二人の大好物があるのでさもありなん。むしろ式の終盤までいてくれて感謝すべきだろう。

 こらえきれない笑いをこぼす弟妹たちを見つめて、エルフィーナはリオネッサが懐妊したころを思い返す。

 魔界人と人界人の間に子どもができる例はいくつも確認されていたが、人界人が魔王の子を成した例はなかった。

 誰もが不安と期待をないまぜにして、出産の日を待ち望み、無事にカトリナが生まれた時はお祭り騒ぎが七日七晩続いた。

 その騒ぎようは新年祭に匹敵するほどで、祝われる側のフリードリヒが席をはずしても続けられたくらいだ。ようはいつものごとく騒ぎたいだけだったのだろう。

 お祭り騒ぎを聞きつけ、我も我もと訪れた招待していない参加者たちをバルタザールとアルバンがうまく手のひらで転がし、仕事を押し付け……片付けてくれたのでフリードリヒもエルフィーナもたっぷりとリオネッサとカトリナの側にいられた。

 生まれたばかりのカトリナは小さくて、やわらかで、嗅いだことのない甘やかな匂いがしたものだった。

 リオネッサそっくりの色彩と見た目と、瞳の色だけはフリードリヒの色を持って産まれたカトリナはリオネッサと同じで魔術素養をまったく持っていなかったが、そんなことは些細な問題だった。

 カトリナがよちよち歩きを卒業して、歩いたり走ったりしても転ばず、しっかり大人たちと意思の疎通ができるようになったころ、ハルトヴィヒが生まれた。

 ハルトヴィヒはフリードリヒそっくりの容姿で、けれど瞳はリオネッサの緑とよく似ていた。

 産まれてすぐ立ったり走ったりと落ち着きのなかったハルトヴィヒは、成長するにつれ思慮深くなり、フリードリヒと同じように慎重な振る舞いをするようになった。おそらく自分の持つ力を自覚していったのだろう。

 自慢の弟妹たちは健やかに成長していき、それに反比例するるかのようにリオネッサは床に就く時間が多くなっていった。

 リオネッサの父母に続いて、ゼーノがこの世を去ったころ、リオネッサもまたエルフィーナたちを置いて御空へと旅立っていった。

 最期を看取ったフリードリヒによれば幸せそうな笑みをたたえて、たくさんのお土産話を期待して待っていますね、と言われたそうだ。

 以来、五十年間魔王として職務を全うしてきたフリードリヒは、長らく性別を決めあぐねていたエルフィーナが母の様になりたい、と女性体を選択したのをきっかけに、今日その役目を手渡した。

 五十年間の間に魔界はずい分と様変わりした。

 主要な都市を繋ぐ道は舗装され、診療所や学問所も建てられた。

 人界からの旅行者が増え、ごく稀にではあるが天界からの訪問者もいる。ときどきは魔界人も天界に旅行するものが現れ始めている、と天帝が手紙で教えてくれた。

 天帝も引継ぎが終われば元天帝ではなく、ただの天界人としてリオネッサの墓を参りに魔界を訪れたいそうだ。その時にはハイダの菓子をたらふくごちそうしてやると決めている。


「カトリナ、ハルトヴィヒ、あなたたちも参加していらっしゃい。今日のごちそうを楽しみにしていたじゃない」

「はい。お言葉に甘えて」

「えへへ。それでは」


 照れ笑いを浮かべながら弟妹たちが宴会場に向かう。

 この日のために二人ともがんばって準備を進めてくれたのだから客人たちに食べ尽くされる前に料理を味わってほしかった。


「君はいかなくてもいいのかい、エルフィーナ」

「ええ。もう少しだけ、お父様と話がしたくて」


 儀式場から出てフリードリヒとエルフィーナはともに歩き出した。

 執事のヨルクに少しだけ離れてもらい、二人だけでリオネッサの墓前に花を供える。


「お父様はこれから初代魔王の墓所へ向かわれるのですか?」

「うむ。ここ何十年も魔素濃度量は安定しているが、発生源はないほうが良いだろう」


 初代魔王の墓とされる場所は巨大な魔素溜まりになっている。

 広大なクレーターの中心には初代魔王の骸があり、初代魔王が死んだのちも魔力炉は機能を停止することなく魔素を吐き出し続けているのだという。

 濃すぎる魔素のせいで正確に調査できない場所のひとつだ。


「やはり私もいっしょに行くのは、ダメですか」

「うむ。就任したばかりの魔王が行く場所ではないだろう」

「それでは私が時代の魔王を育ててからいっしょに行きませんか?」

「それでは私の身体機能が衰えてしまうだろうな。今が私の最盛期なのだ。君にばかり負担を押し付ける気はないよ、エルフィーナ」


 そう言ってフリードリヒはエルフィーナの頭を幼い頃のようjに撫でた。

 ふわふわと触角が揺れる。巻き付こうとする触角からやんわりと逃げて、フリードリヒはリオネッサの墓石を見た。


「あれから五十年。君もカトリナもハルトヴィヒも立派に育ち魔界は変わった。両手いっぱいの土産話なら彼女も許してくれるだろう」


 フリードリヒは初代魔王の墓所に赴き、魔王の骸を消し去ろうとしている。もちろん、命の保証はない。

 そして、これはフリードリヒの一存で行われようとしていた。

 魔界と人界を隔てるのも。魔界人を魔界人たらしめているのも、すべては魔力、魔素あってのことだ。

 それがなくなれば魔界と人界の境界は姿を消していき、魔界人も能力が低下していくだろう。

 それでもフリードリヒが骸を消滅させると決めたのは魔素が人界人リオネッサに有害だからだ。

 短期間の滞在や、魔素の薄い地域での生活は問題ないが、リオネッサのように魔素の濃い場所に永住しようとすれば魔力操作に秀でた魔術師でなかれば体に害を及ぼす。

 リオネッサは産後以降はラシェにいたほうが良かったのだ。けれど、リオネッサはそうしなかった。魔界の空気は、魔王城にいるのは、自分の体に悪いと知っていたはずなのに。

 いつか来るとわかっていた永久とわの別れが予想よりもずっとはやくて、取り乱したのはフリードリヒのほうだった。

 大粒の涙をこぼしながら死なないでくれ、置いて行かないでくれ、と駄々をこねる子どものようにリオネッサへ縋り付いた。

 そんなフリードリヒにどんな魔法を使ったのか、リオネッサは二人きりで話し合い、フリードリヒを立ち上がらせ、笑えるようにしてから逝った。

 おそらく、そのときからフリードリヒは決めていたのだろう。もう自分のような魔界人を出さないためにも。

 エルフィーナは静かにたたずむ父を見上げて瞳を細めた。母が好きだとよくのろけていた父の瞳は凪いでいる。


「行ってらっしゃいませ、お父様。無事のお帰りをお待ちしております」

「ありがとう。善処はしよう」


 嘘のつけないフリードリヒはそれでも笑って、久しぶりに父の犬歯を見たエルフィーナはつい目尻から水滴を逃がしてしまった。


「お土産は無事故がいいんですよ」

「フフ。そうだったな」


 翼を広げるフリードリヒの姿にエルフィーナの奥底で本能が金切り声を上げて抗議したが、エルフィーナは無視した。無理矢理に蓋をして抑え込む。

 エルフィーナはかつて魔族と呼ばれた種で、魔王の骸が生み出した生物モノだった。

 じぶんの領域内に魔力を扱えない生物を感知した骸はエルフィーナを射出した。

 魔力を扱えない者に名付けられていればエルフィーナはなんの制約もなく、疑問も持たず力を振るい、古代魔王として成長し、初代魔王を復活させたのちに古代大戦を再び繰り返したのだろう。

 けれど、そうはならなかった。

 エルフィーナの名付け親はフリードリヒになったし、エルフィーナは今の魔界も人界も天界も好きだ。暴虐の限りを尽くし、力で支配しようとは思わない。

 リオネッサに拾われてよかったと、とエルフィーナは瞳を閉じる。その拍子にまた涙がこぼれた。


「それでは行ってくる」

「お気をつけて」


 瞬く間に空の彼方に飛んで小さくなっていく父を見送り、エルフィーナは乱れた髪を整えた。美味しい料理が食べ尽くされてしまう前に宴に顔を出すとしよう。

 それにしても、とエルフィーナはもう一度父の消えた空を見る。

 フリードリヒはアルバンとバルタザールがいないことに最後まで気付かなかった。まさか二人がすでに王墓で骸消滅作戦の準備を進めているとは思うまい。

 写真撮影が最近の趣味になったバルタザールはきっとフリードリヒのおもしろ写真を見せてくれるはずだ。


「楽しみだね、ママ」


 同意を示すように墓前の花が風にゆれた。

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