第103話:雨の日
今日のシュングレーニィは珍しく雨が降っていた。
しとしと、静かに降っていたかと思えばざあざあと激しく降ったり、ピタッとやんだりする。けれどすぐにまた降り始める。
シュングレーニィで雨はめったに降らないかわり、一日か二日振り続ける。それがだいたいひと月に一回なのだそうだ。そう言われてみると忘れたころに降っていたような。
雨が降っている間、わたしは一切外出しないよう言われている。まあ、一日のほとんどをラシェ村ですごすわたしには関係なくなってしまった話ですが!
雨には魔素がたくさん含まれていて、魔界の動植物にとっておおいに成長するための恵みになるのだけれど、魔術素養がこれっぽっちもないわたしが大量に浴びたりするとどうなるかわからないためだ。
魔界人もあまりに浴びすぎると身体に異常をきたすことがあるそうなので、雨の日は森も静かだ。
その代わり、雨が上がると異常成長しを遂げてしまった植物や魔物獣の討伐に忙しくなる。
わたしとしては適度に降って、適度に成長してほしい。
ラシェ村もちょうど雨で、シュングレーニィの雨空を思い出しながら静かで、けれどしとしとリズミカルな雨音を聞いているとついうっかりあくびがもれる。雨の日ってどうしてこんなに眠いんだろう。心なしか動きも鈍くなる気がするし。
まあ別にいっか。気にすることも、困り果てるほどのことでもない。
魔王さまの今日の予定は机仕事。雨の後は出張が決定しているから今のうちに片付けておくそうだ。
エルフィーも魔王さまについて出張が決まっているので、習い事をつめこんでいる。いっしょにやっていたけれど、わたしは休憩するよう言われてしまった。
そりゃー、エルフィーより体力ないけどさ。でも見学するくらいよくない?
見られてると緊張する、とかママの休憩にならないから、と言われてしまった。トホホ。
雨で畑仕事はできないし、掃除もできないし、ううむ。さてどうしよう。そもこのごろはやっちゃダメと言われているんですが。
最近は読書、手芸、散歩、ときどきメイドたちとカードゲームくらいしかしていない。これでいいのか、わたし。
ホルガーさんとカチヤさんの手紙も読み終わって、返事も書き終わった。
ホルガーさん、大変そうだったなあ。ハイダさんはもう少しホルガーさんの言うこと聞こうね。
そしてカチヤさん。実はラノッテさんからもお手紙をもらったんだけれど、なんとカチヤさんが好きなので結婚したいという手紙だった。カチヤさんにはぜったい内緒に、と書かれていたのでカチヤさん宛ての手紙には書かなかった。近日中にプロポーズをするそうだ。成功するといいけれど。でもなんで魔王さまの許可がほしいんだろう。事後承諾でもぜんぜんだいじょぶなんだけどなあ。義理堅いな、ラノッテさん。
ラノッテさんを応援したいけれど、わたしはカチヤさんの味方だ。カチヤさんが選んだ人なら誰だろうと文句を言わないよ。
念のためにアルバンさんに確認してもらったけど、カチヤさんの一族は誰もカチヤさんの結婚に反対していなかったそうだ。よかったよかった。
ううう、雨の音が心地いい。眠っちゃいそう。というかー、ねむいー。ちょっとだけ、寝よう。
「すいません、ブランケットをお願いします」
「リオネッサ様。寝るときはベッドで寝ましょう。リオネッサ様の真似をする者が出てきてしまいます」
レギーナさんにすっかり子ども扱いされてしまった。ごもっともなので、おとなしくのろのろと自室まで移動してベッドにもぐりこんだ。
用意のいいことに湯たんぽまで準備されていて、こ、これは眠ってしまう……。せめて……お茶の時間には起きなくちゃ……。すう。
***
「リオネッサ様がお眠りになられた。無用の騒ぎを起こす馬鹿は永久に黙らせるから覚悟しておけ」
超のつく真面目で堅物のレギーナがぴくりとも表情筋を動かさずにそう言った。いつもの
リオネッサがラシェ村に通うようになってからは新人教育などの関係で城勤務となっていたレギーナだったが、雨で時間が空いたため久しぶりにリオネッサ付きに戻っていた。雨が上がるまでのわずかな時間であるが、レギーナは幸せだった。
チーバー族ゆえか心配性のヘラが垂れ耳をさらに垂れさせて胸の前で指を組む。
「あ、あの、リオネッサ様はこのごろ、なんだか睡眠時間が多いように思うのですが……」
「あなたは心配がすぎるのではないか、ヘラ。人界には『寝る子は育つ』という言い伝えがあるという。きっとリオネッサ様は成長期なのだ」
「そ、そうなのでしょうか……?」
大きな瞳を潤ませ、不安そうな気配を隠そうともしないヘラにレギーナは片目だけを大きく開けた。
「人界人の成長期は二十才になる前に終わってしまうのも珍しくないようなのです。本で読んだだけですけれど……。
リオネッサ様は来年で二十才……。本当に成長期なのでしょうか……。な、なにかの、ご、ご病気……なんてこと……。うっうぅっ」
自分で言いながら泣き出してしまったヘラにレギーナは片手を顎に当てた。
リオネッサの過去一週間の食事を思い出す。
いつも通りの小食さである。けれど食べ残しはなかった。
起床時間はなるほど、平素より遅かった。けれど魔王は気にせず、疲れているのだろうから起きるまで寝かせる様に、と言われたのでその通りにした。
リオネッサは朝の挨拶やお見送りができなかったとしょげたのだけれど。
魔界の雨にはもちろん打たれてはいない。水を被ったりもしていない。有毒物を飲食してもいない。誰かに嫌がらせなどもされていない。心配事もおそらくはないはずだった。
「ふむ。ヘラ、あなたの心配性もたまには役に立つ様だ。たしかにリオネッサ様の睡眠時間は増えてきている。朝は遅く、夜は早く就寝していらっしゃるにも関わらず午睡が増えている。
一日の運動量は変わっていないという報告があるのにこれはおかしいと見るべきだろう」
「じゃ、じゃあ、ほんとうに、ご、ごご、ご病気……」
「うろたえるな。まだそうだと決まった訳ではない。
言ってからレギーナはふむと顎をさすった。
「いや……。まずは人界の医者に診せるべきか……?」
うるうると雫がこぼれんばかりに目を潤ませたヘラがレギーナを見上げてくる。
ヘラを安心させるように口の端を上げて笑ってみせたレギーナはその小さな背中をやさしくさすってやった。
「リオネッサ様は毎日バルタザール様の検診を受けられているのだから、そう心配することなどないさ」
「はい……っ」
こぼれそうになるヘラの涙をぬぐってやり、レギーナはリオネッサの母のアデリナにリオネッサの症状を伝えてくるよう背中を押して促した。
***
魔王はたいへんな不安に駆られていた。
体調を慮って昼間は実家ですごしている妻が今日は帰って来ないと聞いたからだ。
また倒れたのだろうか、体調が思わしくないのだろうか、と悪いことばかりが脳内に浮かぶ。
心配はないと聞いたのだが、魔王はせわしなく部屋を歩き回り、執事のアルバンも常にない様子で側に控えていた。エルフィーはソファーに座ったままぬいぐるみを後生大事に抱えて微動だにしない。
それを見ているバルタザールが呆れたように肩をすくめる。だが内心は魔王達と同じく穏やかではなかった。
入れてもらった茶を平常心で飲もう努めてはみてもうまくいかない。どうしても手が震えるのだ。
バルタザールは行儀は悪いがぺろぺろと舌で舐めることにした。香しい匂いの茶はリオネッサが提案し、アルバンが改良をくり返してできたブレンドだった。
舌で茶を飲むこと数十秒。全身に焼けるように突き刺さる魔王とアルバンの視線にとうとう白旗をあげたバルタザールはティーカップをソーサーに戻した。中身は半分も減っていない。
「そんなに睨まなくても話すよ」
「む……。すまない。睨んでいるつもりはなかったのだが」
バルタザールの言葉に魔王はソファーに座りなおし、アルバンは軽く咳払いをし、エルフィーは少しだけ肩の力を抜いた。
三人とも自分で思っている以上に動揺しているのだろう。詳しい理由も説明されずにリオネッサが帰ってこないのだから、それも当然だ。
「今日は珍しく
「まさか雨に打たれたのか?!」
魔王は勢いよく立ち上がった拍子にソファーを倒した。バルタザールは両手で魔王を制して、落ち着くよう宥める。
「違うよ、これは世間話なんだ。場を和まそうと思ったんだよ。僕だって動揺してるんだ、驚きすぎて。頼むから僕の話が終わるまで黙ってくれれ」
「うむ……」
いつもよりわずかだが語調の強いバルタザールに魔王はしおれてソファーに座りなおした。
「ほら、雨の日ってやることがないだろ? 君は別かもしれないが、リオネッサはなかったんだよ。それで暇を持て余すと眠くなるじゃないか。うん、リオネッサもそうだったんだよ。昼寝した。昼寝は誰だってするだろ? 別に不調ってわけじゃない。ただ、リオネッサ付きのメイドから……レギーナから最近リオネッサの睡眠時間が長くなってるんじゃないかって報告が上がってきてさ。僕も言われてから思い返してみたけど、たしかに長くなってたよ」
バルタザールの話に魔王も近頃のリオネッサを思い出す。バルタザールの言う通り眠っている時間が増えていた。
「毎日の検診結果からして病気じゃないとわかってたし、ラシェには僕より人間の体に詳しい人がいるからね。まずはその人達に意見を仰ごうと思って相談したんだ」
くるくるくるとティースプーンを弄んで、バルタザールは砂糖を茶に足していく。水面にこんもりと山ができるまで砂糖を入れるとまたティースプーンで混ぜる。
「リオネッサの母親は物知りだね。肝も据わってるし、経験も豊かだ」
いつまでも混ざりきらない砂糖に構わずティーカップを傾け、茶のお代わりをアルバンに頼む。
「これから君に知らせるのは良い知らせだ、フリッツ。間違いなく良い知らせだ。君の人生において三本の指に入るくらいの吉報だと思う。君が魔術を暴発させかねないくらいに」
ハテ、そんな幸せがそうあるものだろうか、と魔王は首を傾げた。
人生においてリオネッサに出会えたこと、リオネッサと結婚できたこと、エルフィーを養子にできたことなどが魔王の中で上位にランクインしている。
それ以外の出来事も順位がつけがたい程大切な思い出ばかりだ。しかし魔術を暴走させるとは思えなかった。
「だからこそ落ち着いて聞いてほしいんだ。嬉しさのあまりうっかり城を跡地にするとか笑い話にもならないからね」
「ははは、バルタザールいくら私でもそんなことは……」
「しないと言い切れるかい? リオネッサに誓って?」
魔王は黙った。
脳内で出来得る限りのシミュレーションを重ね、しない、と断言した。
「今君が想像した嬉しい出来事を二乗にした嬉しさが襲ってきたとしてもかい?」
二倍ではなく二乗。
魔王はシミュレーションをしようとしたが、途中で挫折した。
「いったいどれほどの慶事だと言うのだ………?」
「僕にもわからないよ。君の反応が想像を超えてきたら対処しきれない」
想定内だと楽なんだけどなあ、とぼやくバルタザールが再びお代わりの茶を頼んだ。
「ティーカップは上品に飲めるけど、小さいのがなあ。ときどきマグカップかジョッキで飲みたくなるなあ」
「それは、バルタザールさんくらいだと、思います」
「そうかい?」
「……バルタザール」
「なんだい」
「リオネッサの身体に異状はないのだな?」
「う~ん、健康状態は良好だよ」
「そうか……。では
「うー――ん。……まあ地形が変わったとしても直せばいいもんな。いいよ、行こう。出張先で話すよ」
「ああ、明日」
茶を飲み干して部屋を出たバルタザールは自室に戻って盗聴防止用の魔道具のスイッチを入れた。
魔王達がいる部屋からは離れているが油断はできない。城を跡形もなく破壊されても魔術で立て直しが可能だが、人命や研究素材は戻らないのだから。
イスに座って深く深く息を吐く。それはため息にも似ていた。
「
翌日、リオネッサの懐妊を知った魔王とエルフィーは共に嬉しさのあまり魔術を暴発させ、見事焼け野原とクレーターを作った。
「良かった……! 城で話さなくて本ッ当ッに! 良かった!」
「面目ない……」
「ごめんなさい……」
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