第69話:ヴァーダイアへ

「わあ、青空だ!」


 もろもろの支度がすんだ羊の月の五日。

 ヴァーダイアへ向けてわたしたちは出発した。魔王さまとエルフィー、それからわたし、アルバンさんにレギーナさんにゼーノの六人という少数人数でばしりんに乗りこんで。

 見送りに来てくれたみんなの中にハイダさんもいたのだけれど、ホルガーさんに見事な羽交い絞めをされていて、念入りなお土産の確認をされた。

 そ、そんなにも行きたかったんだね……。菓子職人修業が終わったらヴァーダイアを旅してみるのもいいんじゃないかな?

 シュングレーニィの街道はなかなか整備が進んでいた。

 わたしの記憶では少し歩きやすい獣道かな? という道だったのがまわりの木々が伐採されていて街道らしく見える。さすがに石畳ではないけれど、ちゃんとふつうの馬車が通りやすいよう地面が平らにならされていた。

 ばしりんはけっこうな悪路でも平気で進んでいく最先端の馬なし馬車なので、それはもう快適な馬車旅だった。

 優雅にお茶を飲めたりもしちゃうし、うとうと居眠りだってできてしまうくらいには快適だった。ふつうの馬車だったらこうはいかないだろう。

 嫁入りの時の馬車はガタガタのゴトゴトでそれはもうひどかった。お尻が六つに割れるかと思ったもん。いや、割れなかったけれども。

 魔術が使える人は魔術でどうにかしてお尻へのダメージを抑えるみたいだけれど、魔術のさっぱり仕えないわたしにはふかふかのクッションを用意するくらいしかできなかった。旅の終わりのほうはぐでんぐでんになっていたと思う。

 魔王さまが迎えに来てくれて、ろくに道も整備されていないからと馬車ごと魔王城に運んでくれていなかったら何日寝込むことになっていたか。

 丈夫さが取柄だったはずのわたしは過酷な馬車旅のおかげで嫁入り初日からベッドの住人になってしまったのである。

 幸い一日で起き上がれるようになったのだけれど、あのときは散々魔王さまたちに心配をかけてしまっていた。

 それを反省してなるべく心配をかけないようにすごしていたというのに今度は栄養失調で倒れるし。

 想えばあの頃からみんなの過保護に磨きがかかったような……。

 うふふふ。忘れよう。このヴァーダイアの抜けるような青空に全部ぶん投げて忘れてしまおう。うふふふふふ。


「青い、ねママ」

「そうだね。魔界でもこんな青空が見られるとは思いませんでした」

「うむ。ヴァーダイアはシュングレーニィより空気中の魔素が薄いのだ。魔素を吸収する力の強い樹木が多いのだな。それに加えて空にも魔素を吸収する生物が数多くいるらしい」

「バルタザールさんが言っていた球体生物ですよね。生き物っぽいけど植物みたいにただ空に浮かんでいるだけ、魔素を吸収するだけのヴァーダイア特有の生物、なんですよね」

「うむ。リオネッサはよく勉強しているな」


 えへへー! 魔王さまにほめられちゃった。予習しといてよかった!


「ヴァーダイア以外に持ち出しても、すぐ死んでしまう、ヴァーダイアでしか育たない、不思議な生き物」

「うむ。エルフィーもよく勉強しているな」


 二人して魔王さまにほめられたのが嬉しくて笑いあう。


「他にも晴天になる要因はあるそうだが、主たるものはこの二つだな。日照時間が多い故に緑が多く、魔素が薄いため狂暴な生物は少ない。魔界で一番住み易いと言われている由縁だな」


 魔王さまの言葉通り、ばしりんから見える景色は穏やかなものだった。

 色とりどりの淡い色をした花が咲いているし、蝶や鳥が飛んでいるし、小動物が花畑を跳ねているのも見えた。

 あれはうさぎかな? リスっぽいのもいる。

 と、思っていたら上空から滑空してきた鳥っぽいものにリスっぽい生き物がかっさらわれていった。すぐに響いてきた断末魔っぽいものは聞こえなかったことにしたい。

 シュングレーニィからヴァーダイアへ入る少し前から街道はまた獣道に戻っていた。友好を深める前から道を整備してしまうと攻めこむ準備をしていると思われかねないからだ。

 今回魔王さまとエンメルガルトさまが話し合いの機会を持つことはシュングレーニィとヴァーダイア両方の領民に広く公表されているし、話し合いの内容も公表される。そのあとで街道周辺に住んでいる人たちに説明してから街道作りが再開されるそうだ。

 ヴァーダイアの人たちだけでも修理ができるように職人の募集もかけるし、技術の共有もしていくという話だ。そのための技術者の選別が近日行われるらしい。

 ヴァーダイアに長く滞在することになるだろうから移住したい! と言い出さないような人たちにしたいようだけれど、むずかしそう。

 だってこんなにぽかぽかだし、シュングレーニィより物騒じゃないし。

 ふわあ。言ってるうちに眠くなってきちゃった。規則的なばしりんの振動と、魔王さまが隣にいる安心感と、エルフィーの体温……。これで眠くならないわけがない。

 エンメルガルトさまの居城までまだかかるだろうし、ちょっと寝ててもいいかな? いいよね?

 自問自答をして睡魔が勝ったので抗わずまぶたを下ろそうとしたところでゼーノの緊張が伝わってきた。

 珍しい。ゼーノがきちんと護衛の顔をしている。

 どうしたのか聞く間もなくゼーノはばしりんの窓を開けて屋根の上に出て行ってしまった。その窓を魔王さまがすぐに閉じてくれたおかげで髪がぐちゃぐちゃにならずにすんだ。

 屋根越しにもピリピリと伝わってきていたゼーノの空気はすぐにゆるんだ。

 もう終わったのかしら、それにしてはなんの爆発音も聞こえなかったような、と首をかしげていると魔王さまが「迎えが来たようだ」と口角を上げて仰った。

 迎えって誰だろう、となんとはなしに窓を見たら逆さまになったジーク君が手を振っていてあやうく叫び声をあげてしまうところだった。

 あ、あぶない。いろんな意味で。


「ああ驚いた。ジークくんが迎えに来てくれたんですね」


 こっちを見てニカッと笑ったジークくんは屋根に引っ込んでいった。

 エンメルガルトさまの従者であるジークくんがばしりんの屋根にいてくれるなら遠目からでもヴァーダイアの人たちに不安を与えすぎることもないだろう。

 いちおう魔王さまの旗とエンメルガルトさまの緑色の旗を掲げてはいるけれど、イコールで魔王さまがヴァーダイアの味方、とは考えてもらえない可能性もあるのでジークくんがいてくれるなら安心だ。

 心配なのはゼーノがジークくんに変なことを教えたりしないか、だ。

 ……不安だ……。

 ジークくんがゼーノみたいなチンピラのマネをしちゃったりしたらエンメルガルトさまになんて言えばいいかわかんないよ……。風圧でうまくしゃべれないことを期待しておこう。

 そんな心配でやきもきすることになってしまったので、眠気はどこかに行ってしまった。

 最終的には魔王さまとエルフィーとレギーナさんにお願いして屋根に上る許可をもらった。

 屋根に出るのにはちゃんと出入り口があるのでもちろん窓から出たりしない。

 風除けの魔術をかけてもらってみんなで屋根に上った。


「久しいな、ジーク殿。出迎え感謝する」

「こんにちはジークくん。お久しぶりですね。お出迎えありがとうございます」

「ありがとう、ございます」


 屋根にはい出てきたわたしたちを見てちょっとだけびっくりしたあと、ニッと笑ったジークくんはうやうやしくお辞儀した。


「魔王陛下、魔王妃様、並びに魔王太子殿下。ヴァーダイアによくお越しくださいました。領主エンメルガルトはもちろん我らヴァーダイア領民一同、心より歓迎いたします」


 おおー。帰ってから礼儀作法をみっちり勉強した様で、とてもさまになっている。思わず拍手するとジークくんは照れくさそうに頭をかいた。


「本当ならエンメルガルト様も迎えに来たがってたんだけど、シュングレーニィでの経験を生かして今は書類作りが山ほどあるから代わりにおれが来させてもらった。おれの毛皮は白いから遠くからでもよくわかるし、よっぽど頭の悪い奴じゃないかぎりケンカを売られることはないよ」


 そっかそっか。ありがとうジーク君。ありがとうございますエンメルガルトさま。

 バルタザールさんはちょっと反省してください。

 ぶえっくし、と盛大にくしゃみをしたバルタザールは書き途中の書類を反故にせずにすんで胸をなでおろした。

 身を震わせてから再び机に向かいなおす。はあ、と溜め息がかってに漏れた。

「俺も行きたかったなあ、常春のくに……」

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