第68話:出発準備
鯨の月最終日の二十九日に嬉しいことがあった。
なんと、だめもとで言ってみたヴァーダイアへの旅行に許可が出たのだ。
一泊二日という短い期間だけれど、魔王さまの領地以外の魔界で夜をすごすのはとても楽しみだ。しかもエンメルガルトさまの居城に泊まれるなんて。楽しみだなあ!
今月の羊の月の十日に城を出発して、ばしりんでゆっくり道のようすを見ながらの旅行だ。つまり、たんなる旅行では無くて視察も兼ねているのだ。
いきなり空間魔術を設置するのはむりだけれど、交易行路を整備して行商人の行き来を通じてお互いの信頼を積み重ねていけたら、ということだそうだ。
もう行商人の選抜もすんで、行商訓練もしているという。あいかわらず仕事がはやい。
人の行き来が増えれば宿泊施設もいるようになるはずなので、人界にどんなものがあるのか、魔王城ではどんな取り組みをしているのかをアドバイスできたらと思っている。もちろん一晩で語り尽くせるものではないので、以後は書簡や通信魔術でもやりとりをするようだ。
魔界人の丈夫なら野宿でもいいのでは? という意見も出たけれど、行商人に選ばれるのは戦闘に優れた魔界人ばかりではないし、これからは戦闘のできない種族にも気軽な旅を楽しんでもらうためにも必要である、という魔王さまの言葉で作られることが決まった。
宿場町は旅人が多ければ多いほど繁盛するものなので、行商人以外の旅人も増えればいいな。
魔界人は基本的に自分のなわばりを動こうとしない人が多いらしいけれど、ジークくんのお父さんも旅をしていたそうだし増える可能性はあると思う。
「お土産に甘味はぜったい外せないとして、あとは何を持っていこ……いきましょう……」
「迷うね、ママ」
エルフィーと膝を突き合わせながらお土産を考える。
甘味は日持ちのする焼き菓子と砂糖をたっぷり使ったジャム、それからヴァーダイアで作れそうなお菓子のレシピだ。
今回は一泊二日という短い滞在期間なので従者の数もとても少ない。少ないというかアルバンさんとレギーナさんと護衛のゼーノだけだ。
ハイダさんはヴァーダイアの蜜を自身の舌で確かめたいとちょっと……わりと……だいぶ……かなりわがままを言っていたけれど、お菓子狂いのハイダさんがヴァーダイアに足を踏み入れると、来月の牛の月に出発することになっている人界への度に支障が出そうだというホルガーさんの忠告に従って、お留守番してもらうことにした。
案の定ダダをこねたハイダさんはレギーナさんとホルガーさんとクンツさんとゲルデさんに鉄拳制裁を受けていた。それでもまだ諦めなかったハイダさんすごい。
ヴァーダイアで手に入れたお菓子作りに仕えそうなものはぜんぶ渡すから、という条件でようやく折れてくれたのだけれど、そのころにはレギーナさんたちが疲労困ぱいになっていた。
人界に修業しに出すのがちょっと不安になってきたぞ……。
ホルガーさんがバルタザールさんに魔力封じの腕輪か、最悪首輪でもかまわないので作れないか相談していた。
バルタザールさんが珍しくすぐに同意して開発を約束していたのでどれだけハイダさんのお菓子狂いがマズイのかわかってもらえると思う。
万が一を考えて人界に長期滞在する魔界人は魔力封じのアクセサリー装備の義務化を考えたほうがいいのかもしれない。
事前に指定した信用のおける人以外は外せない昨日とかつけてもらう、とか。魔力を封じられると体に異状が出る人もいるからその辺は考えなくちゃいけないけど。
ハイダさんもカチヤさんも魔力量はそんなに多くないって話だけれど、ついとかうっかりで魔力が暴走しちゃったりしたら困るだろうし。
忘れないうちに連絡蝶を飛ばしてバルタザールさんに相談しておいた。
「ママ、お土産、決まんないね?」
「えへへ……。ごめんなさい」
ちょっぴり脱線してしまった。これ以上エルフィーに呆れられるわけにはいかない。ちゃんとやろう。集中、集中。
「甘味は大目に持っていくとして……装飾品とか興味あるかなあ……」
「ない、と思う」
デスヨネー。
魔界人は基本的に着飾るということはしない。鍛え上げられた肉体が最高の装飾品ということらしい。
だから魔王城にいる人たちが服を着ているのは魔界だととても珍しいことだし、自分の肉体を隠す、すなわち弱い存在である、と他の人からは見えるらしい。
魔王さまの色を身に着けるようにしておいてよかった。
新年祭が終わってからも魔王さまに守られているようだからと、引き続きリボンをつけている人たちも多い。
………はっ! それならエンメルガルトさまにもヴァーダイアの緑を送るのはどうだろう。
エンメルガルト様がドレスを着たら美しさになおいっそう磨きがかかってしまうのでは……?
「エルフィー、ドレスを送るのはどうだろう。失礼にあたったりしないかな?」
「だいじょぶ、だと思う」
ふむふむ。女同士だし問題はなさそう。
でもいきなりドレスを送られるのってどうなんだろう。
親しい間柄ならともかく、そこまで親しいわけでもないわたしからいきなりドレスを送られる……。わたしだったら身構えちゃうな。
「今回はヴァーダイアの緑を使ったリボンやハンカチにしておこっか……」
「うん、わかった」
かってに想像してかってにダメージを受けたわたしを気遣ったエルフィーがわざわざ立ち上がって頭をなでてくれた。
ウッ。うちの子ほんとやさしい。
刺しゅうはカチヤさんに頼んでもだいじょぶかな?
来月には人界に行くんだし準備がたいへんだったら他の人に刺してもらおう。
「レギーナさん、カチヤさんの予定が空いていたらエンメルガルトさまとジークくんのお土産に刺しゅうをしてもらってください」
「了解いたしました王妃様。図案はいかがいたしましょう」
「ヴァーダイアの象ちょうになっている植物がいいのですけれど、詳しい人に聞いてくださいますか?」
「マンドラゴラ達やクラーラに聞いておきましょう」
「ありがとうございます。ジークくんのもおはエンメルガルトさまとお揃いにしてあげてください」
「御意に」
ドレスはもっと仲良くなれるまで自重しておこう。
すきを見て服飾部のみんなにエンメルガルトさまを紹介したいなー。
二人へのお土産もやっと決まったのでエルフィーは仕事の前倒しに出かけていった。
エルフィーは魔素が異常発生する場所が前もってわかるようになったらしく、近ごろでは一人で周囲のパトロールに出かけることも珍しくない。まだ生まれて一年も経ってないのに立派になって……。
パトロールが終わったら魔王さまたちの机仕事も手伝うという活躍ぶり。
……わたしも魔界語勉強しよう。
ジークくんのおかげで二歳児レベルの魔界語をしゃべるようになったわたしだけれど、周りはそんなわたしを甘やかすかのごとく人界語を使ってくれるのでついつい人界語をしゃべってしまうのだ。
発音がむずかしくて舌がもつれたりしてしまうけど、ゼーノにだってできるんだし、わたしにだってできると思うんです魔王さま。
魔王さまの名前を魔界語で呼ぼうとして舌をかんでしまったわたしじゃ説得力ないのかもしれないけれども。
それでも書くほうはマシになってきた気がする。
近いうちに魔王さまみ魔界語で手紙を書いてみようかな。
びみょうに崩れた、というか、たぶん魔王さまに見られたら感想に困らせてしまうていどにへただと思われる自分の魔界語をながめてから日記帳を閉じた。
辞書があればなあ、と思わずにはいられない。
明日は羊の月の五日。ヴァーダイアへ出発するまであと五日だ。
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