第40話:ラシェ村
魔王城を出てから八日目。
ついにラシェ村へ到着した。ついに、といほど波乱があった訳じゃないのだけれど。
魔獣にも魔物にもぜんぜん会わない快適な旅だった。食料の心配も寝床の心配もしなくていいのだから、それはもう快適だった。
ゼーノとおじさんの鍛錬のほうがよっぽど危なかったと思う。すぎたことをいつまで言ってもしょうがないけど。終わり良ければすべて良しって言うし。何事かはあったけど、無事に着いたんだからそれでいいじゃない。
そう、おばさまを怒らせた二人が酷い目にあってたけれど、気にしない気にしない。
「天界人て、こわいんですね」
「オルフェオ、それは誤解だよ。王都で会った天界人は良い人だったよ?
ちょっと暴走しがちだったけど」
「へぇー……」
低速で走るばしりんを見に来た村の人たちに手をふりながら、わたしは周りをながめる。村は出たときとあまり変わっていないようだ。
「おかえりリオネッサー」
「ルフォヴィカおかえりー」
「あー、ゼーノだー。おかえりー」
「すげー! 竜の骨だー!」
「馬もいないのに走っとる。変わった馬車だのう」
「あら、今日は行商じゃないの? 残念。お店を冷かしたかったのに」
「おいジーノてめえさっさとおりてこいや。仕事溜まってんぞ」
「テオは畑だけどリナは屋敷にいるよ」
「これ持っていきな。今朝採ってきたキノコだよ。そっちのヤギのニイさんの口にあうといんだが」
「ゼーノー! 帰ってきたなら遊ぼーぜー! このまえ約束したのにやぶりやがってー!」
うん。みんなほんと変わってなくて安心したよ。帰ってきたーって感じがする。
エルフィーなんかこんなにたくさんの知らない人を見たことがなかったものだから、体をこわばらせてばしりんの奥のほうで縮こまっている。
「だいじょぶだよ、エルフィー。そんなに気のいい人たちだから。怖くない怖くない」
「………」
ほんと? とおそるおそるエルフィーがばしりんの窓から顔を出した。ちょうど目があった少年に向けて笑って手をふる。
王族として完璧なそれに、少年だけでなく、周囲の人たちがぴたりと動きを止めた。
なんとなーく嫌な予感がしたので、エルフィーの耳をふさいでおいた。
ふしぎそうな顔でエルフィーがわたしを見上げるのと、大歓声があがったのはほとんど同時だった。
「かわいい!」
「天使だ! 天使様がいたー!!」
「こっちむいてー!!」
「手ェふってー!!」
「ああっ!! 隠れちゃった!」
「顔見せてー!」
かわい子ちゃーん! と叫んでいるのはチロおじちゃんだな。奥さんにどつかれても知らないよ。
きゃあきゃあわあわあと騒ぐ村のみんなをとりこにしてしまったエルフィーの耳はまだふさいでいるので、本人は困惑しきりといった顔をしていた。
そっと手を放すと、怯えた顔になった。
「ママぁ……」
お、おう、涙目になってしまった。そりゃそうだ。城でこんな騒ぎになったことなかったもんねえ。
「あらあら。みなさん大はしゃぎねえ」
「おばさまで慣れてるからだいじょぶかとおもってたんですけどね」
「ふふふ。エルフィーちゃんはおばさまとはまた違った美人さんだもんね。みんなの気持ちもわかるわ~」
うりうりぐりぐりとされるがままのエルフィーに思いきり頬ずりするヴィーカにオルフェオが呆れたような笑みを浮かべた。
「おまけにラシェの人達ってノリがいいですもんね。商売の時は助かりますけど」
「そうだね。祭り大好きだし、基本、騒ぐのが好きなんだよね」
ヴィーカの腕から抜け出してきたエルフィーがぎゅぎゅっと私に抱き着く腕の力を強める。よっぽど怖いらしい。
ばしりんの中まで聞こえてくる叫びを聞く限り、しかたのないことだろう。
いくらエルフィーが世界的美人だとしても、みんなもう少し落ち着こうよ。
「だいじょぶだよ、エルフィー。もうそろそろだから」
「………?」
エルフィーが首をかしげるのを待っていたかのようなタイミングで怒号が響き渡った。
「てめえらうるっせえぞ!! 昼寝できねえだろうが!!」
おい護衛。堂々とサボり宣言しないでほしい。
村の中だし、そこまで期待してるわけじゃないけどさ。
「おらジャリ共、散れ散れ」
わーきゃーと子どもたちの歓声が聞こえるので、遊び相手になりにいったのだろう。
「ったく。まだ休暇中だっつうの! 帰ってきたその日くらいゆっくりさせろや!」
続いて叔父さんのどなり声とどうん、という地面に降りた音がした。
「俺がいねーとナンもできねーお子様かよってーの。オチオチ旅行もできねーじゃねーの」
「いきなり姿くらました奴が何ぬかす。おら、キリキリ歩け。テメーが稼がねえとレアさんが困るだろーが」
「
「黙れ筋肉ダルマ」
「水虫野郎」
「誰が水虫かワキガ野郎!!」
「オレはいつだってフローラルだっつうの! 出っ腹中年!」
「うるせー脳ミソ筋肉! 千引く三百六十二は?!」
「えっ?! あっ?! うおっ?! べ、べつにそんなんレアが計算してくれるもんねー!」
「さらっとのろけんじゃねー! うらやましいな!」
「あんたらいい加減にしな! とっとと仕事へお行き!!」
「はーい……」
「はい……」
肝っ玉おばさんの一喝でおじさんたちの声は聞こえなくなった。おとなしく仕事場へ向かったのだろう。
みんなのざわめきがだんだんと小さくなっていった。
「ね? だいじょぶだったでしょ?」
「うん……。びっくりした……。ゼーノも、ジーノおじさんも、頼りになるんだね」
「あはは、ときどきはね」
「そうだね。ときどきだねー」
「ええ。ときどきはね」
「ときどき、なんだ……」
「ときどきなんですね……」
うん。ときどきなんだ。いつもはただのクズみたいなもんだから。
「さて、私もここで降りるわね。かるーく家の掃除もしたいし、皆に挨拶もしてこなくちゃ。
またあとでお屋敷に伺わせてもらうわね」
「はい、またあとで」
「魔界みやげのお茶を擁しておきますねー」
ひらりとばしりんから飛び降りていったレアおばさまは天女さながらだった。
「オルフェオ、どうかした? そんな驚いた顔して」
「ええと……そうですね……何と言えばいいのか……。いろいろ驚いてます、ハイ」
「ふうん?」
おばさまの天女っぷりに今さら驚いているんだろうか。いっしょに旅したくらいじゃ免疫は付かないってことなのかも。
すっかりいつものラシェ村に戻った穏やかな空気の中をばしりんは進んでいく。
ラシェでは珍しい、というか唯一の二階建てなので見た目は立派かもしれない。
木漏れ日の中にひっそりたたずむ館、といえば聞こえはいいのだけれど、実際は手が回らなくて庭木やら周囲の木やらが伸び放題になっているだけだったりする。
滞在中、ゼーノに切ってくれるよう頼んでおこう。
「おかえりなさいリオネッサ」
「ただいま戻りましたお母さま」
お母さまが門まで迎えに来てくれていた。
「お久しぶりです、アデリナ様。今回はお世話になります」
「はい、お世話します。どんな些細な事でもわからない事があれば聞いてくださいね。何でもお答えしますよ」
「ありがとうございます」
お母さま、その人、お母さまより年上だし、魔王さまの最側近だよ……? お母さまのにこにこ顔ってなにも言えなくなる……。
「ただいま帰りましたお母様!」
「おかえりなさいヴィーカ、オルフェオ。お疲れ様。
魔界はどうだったのかしら。あとで話を聞かせてね?」
「もちろんです」
「まかせて!」
ご機嫌でばしりんの置き場所を案内するヴィーカとオルフェオをほほえましそうに見送って、お母さまはゆっくりと膝を折った。
「あなたがエルフィーね? こんにちは、初めまして。
リオネッサの母のアデリナよ。気軽におばあちゃまって呼んでね?」
おばあちゃまって、まだそんな年じゃないでしょうに。
「エルフィー、わたしのお母さまだよ。ご挨拶して?」
あんなにたくさん練習したんだもの、ぜったいだいじょぶ。うまくいくよ。
わたしのスカートにすがるようにして隠れるエルフィーの背にそっと手をそえると、決意したようにうなずいた。そこまで緊張しなくてだいじょぶだよ、エルフィー。
「エルフィーといいます。お会いできて嬉しいです、アデリナおばあ……ちゃま」
「まあ!」
これでいいのかな? と不安そうなエルフィーをお母さまが抱きしめた。
大成功だよ、エルフィー。良かったね!
「かわいい! かわいい! 良い子ねエルフィー! すごく上手に挨拶できてますよ。花丸の満点です。おばあちゃまもエルフィーに会えてとっても嬉しいですよ!」
ぎゅむぎゅむとエルフィーに頬ずりするお母さまは、ともすればその場でエルフィーを抱きかかえて踊り出しそうなほど大喜びをしていた。
ので、エルフィーを取り上げていったん落ち着いてもらった。
べつにエルフィーを取られた気がしてもやっとしたからとかではない。けっして。
エルフィーを真ん中に三人で屋敷へ歩いていく。
この景色も久しぶりだなあ。
わたしが生まれたときに植えられた木も、ヴィーカが生まれたときに植えられた木も、変わらずにあったし、今年の春に植え替えたローズマリーは順調に育っているようだった。壁を登ってきた蔦はそろそろはがしたほうがいいと思う。
小さい頃は怖かった獅子のドアノッカーも今ではだいぶ懐かしく感じる。
こんこんと鳴らして扉を開ければ、やはり懐かしい見慣れた光景があった。古びた、けれど、あたたかみのある、わたしの家だった。
「改めて、おかえりなさいリオネッサ。
いらっしゃいエルフィー」
「はい。お母さま。ただいま戻りました」
「よろしく、お願いします」
***
「お父さまは畑ですか?」
「ええ。あなたたちが来たときに美味しいお野菜を食べさせたいんですって。毎日はりきっちゃって大変よ。また腰を痛めて寝込まないか心配だわ」
「もう。ゼーノがいないんだからムリしないでって言ってるのに。
……やっぱり人手が足りないんだよね?」
「そうねえ。田舎だから、こればっかりはね。仕方がないわ。
魔王から目を付けられた――、なんて突拍子もない噂が立ってるおかげで行商人もオルフェオのところしかこなくなっちゃったし」
「…………」
なんてこったい。道すがらオルフェオに聞いてはいたけれど、信じたくなかったなあ……。
わたしはお見合い結婚だけど、ちゃんと魔王さまが好きで嫁いだし、ラシェだって目を付けられたんじゃなくて、目をかけようかどうしようかってところなんだけどな。
でも、人手が足りないなら輸出の件は考えなおしたほうがいいのかも……。
前向きに考えよう。ラシェに魔界の食材を輸出できなくなったって魔王さまに目を付けられただなんて誤解は解けるかもしれないし。……今度は見放されたとか言われそう。どうしろっての。
うーん。なにかいい案はないかなあ。みんなからの誤解がぱーっと晴れるようなやつ。
「リオネッサ。難しい顔になってるわ。今回は里帰りでしょう? つまりお休みでしょう? ゆっくり休む事だけ考えなさい」
「えっ」
「もう。働きすぎよ」
「うう、
「こりたならもうちょっと息抜きができるようになりなさい」
「はあい」
荷ほどきに参加しようと、手荷物をわたしの部屋に置くため案内されている最中にお母さまに叱られてしまった。お父さまによく似た眉間にしわをよせた顔になっていたようだ。お父さまのあの顔といっしょって、なんかやだ。
「なんだか楽しそうだね、エルフィー。どうかした?」
「ううん。なんでもないよ、ママ。
……ママがおばあちゃまに怒られてるなって、思っただけ」
あう。かっこいいお母さま計画が……。もうズタズタのボロボロの穴だらけだよ。ぜんぜんかっこよくない。
妙に嬉しそうにしているエルフィーはもの珍し気にあたりを見回しながらちょこちょこついてくる。石造りの魔王城と違って木造の屋敷だから珍しいのかもしれない。
「ほら。ここがリオネッサの部屋なの。エルフィーちゃんがここにいる間、ママと使ってもらう部屋よ。
どうかしら」
お母さまが明けた扉の中は定期的に掃除をしてくれていたのだろう。わたしが嫁入りをするまえとまったくかわっていなかった。
エルフィーがなぜか興奮したようすできょろきょろりと部屋を見渡し、あれこれのぞいたり触ったりと忙しそうに部屋を動き回る。ぴこぴこと触角まで動いているけれど、きっと無意識なんだろうな。
「あら、エルフィーちゃんはリオネッサの部屋に興味津々ね」
「自慢の子です。かわいいでしょ?」
「ふふふ。親ばかねえ。気持ちはわかるけれど。
私もばばばかになりそうだもの」
「それ語呂悪いね……」
「そうね。もう少し良いものを考えておこうかしら……。マゴコンとかどう?」
そんなところにこだわらなくてもいいってば。
「わたしは荷ほどきを手伝ってくるからエルフィーといっしょにいてあげて。いろいろ見て回りたいだろうから」
「それなら私が行ってくるわ。あなたがエルフィーに付いていておあげなさいな、ママ?」
「……はい。お願いします」
そうだった。わたしにとってもは慣れた場所でもエルフィーにとっては知らない場所に、知らない人たちばかりの場所だった。むう。お母さまにはまだまだ追い付けそうもないなあ。
「ママ、ママ。ママは本を置いていったの?」
ほとんど使うことのなかった机の上を指さしてエルフィーは首をかしげた。そこには数冊の本が置いてある。
「うん。ヴィーカも気にいってた本だったし、魔王さまの書庫にもあるって聞いたから」
好きな物語はあるけれど、あまり執着しているわけでもなかったのでおいていった。魔王さまからもらった辞書だけはもっていったけれど。
この机が一番よく使われたのは魔王さまへの返事を書くときだった。
体があまり丈夫ではなかったヴィーカと違って、すこぶる健康体であったわたしは外で遊ぶことのほうが多かったので、だから、その、本はあまり読んでこなかったのだ。
魔王城に行ってからのほうがよほど読んでいるくらいだ。魔王さまが勧めてくれた本はどれもおもしろいし、読む時間もたくさんとれているし。恵まれてるなあ、わたし。
「あ、ほら、ここからだと裏庭が見えるんだ。畑もちょっとだけ見えるの」
窓からはやはり変わりなく庭が見えた。
井戸端に薪割場所に、それから果樹と畑がちょこっと。オルフェオたちがばしりんから降ろしたらしき荷物を運んでいるのも見えた。
わたしにとってなんの変哲もない景色だけれど、エルフィーは食い入るように見つめていた。ぴょこふわとゆれる触角をよけて頭をなでる。
「下に行って荷物を降ろすの手伝おうか。
ちょっと遅くなっちゃったけど、お茶もしたいし」
「はい! ……あ、ママ」
元気よく返事をしたエルフィーがきょとんと丸くした瞳でわたしを見上げた。
「ああ、お父さまが帰ってきたみたい」
ちょっとばかり厳めしい顔をしたお父さまが両腕に抱えた収穫物をなんとか片腕で持とうと悪戦苦闘しながら歩いて来ていた。
「お父さまが野菜を落としちゃうまえに急いで下に行こっか」
「はい!」
小走りで廊下を進みながらわたしは笑った。
お父さまはきっとわたしたちに手をふりたかったのだろうなあ。
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