第39話:実家へ
「それでは行って来ます」
「うむ。気を付けて行って来るように」
ヴィーカたちが来てから二週間。
あっという間に人界へ出立する日がやってきた。
魔王さまはあまり長く魔王城を離れられないし、人界へ行くのにも複雑な手続きが必要になってしまうので、今回はお留守番だ。
いつか魔王さまと一緒に気軽な旅へ出られたらすてきなんだけど。
そしたらいろんな屋台の食べ歩きをするんだ。やっぱり特産品はその土地で食べるのが一番美味しいと思うんだよね。
まずはラシェ村特産のぶどうをたっぷり使ったタルトを食べてもらうんだ。森の中にあるきれいな花畑だって見てほしいし、秘密基地から見える星空も見てもらいたい。山、川、森、谷しかない田舎だけれど、いいところだってそれなりにあるのだ。
言って買ってくるまでの約一か月。
魔王さまとじかに会えなくなるのはさみしいけれど、久しぶりにお母さまたちに会えるし、魔界の宣伝をたくさんできる良い機会だと思おう。ラシェで魔界を宣伝しても効果ないかもだけれど。
「アルバン。リオネッサたちを頼む」
「お任せください魔王さま」
そう。里帰りにはアルバンさんも同行してくれる。
アルバンさんはラシェに何度か来たことがあるから同行者としてはこの上ない人選なのだ。
それに、いまや魔王城の流行を作り出しているアルバンさんなので、人界の最先端を調べることに余念がないのである。
オルフェオという人界に広い情報網を持つ商人と知り合えたからには存分に活用したいそうだ。執事見習いを増やして良かったと嬉しそうに語っていた。
やったねオルフェオ、仕事が増えるよ。面倒も増えるだろうけれど、オルフェオならできるよ、がんばって!
二人とも商売の話でものすごく盛り上がってたし、セミナーティ商会の人たちはみんなやり手の商人だし、だいじょぶだいじょぶ。
自動的にピヴァーノ家も忙しくなりそうだけれど、ヴィーカが張り切ってるし、こっちもだいじょぶだろう。たぶん。
お父さまとお母さまは驚くかもだけれど。
嫁いで来たときは馬車でひと月以上もかかった道のりだけれど、ばしりんに乗って行く今回は一週間ほどで行ける。移動に使っていた時間を滞在期間に使えるのだ。
たまにはのんびりしてきなさいという魔王さまのお言葉に甘えて、二週間は向こうで過ごすことになった。
え? そんなに長い間魔王さまと離れ離れになって平気なのかって? もちろん平気じゃないですよ?
さすがに手紙を書くほどの期間じゃないですけど、毎日顔を合わせていられたのにそれがなくなってしまうのはさみしい。ものすごくさみしい。
そんなわたしに魔王さまは魔術の組みこまれた手鏡を渡してくれた。珍しくバルタザールさん印じゃない魔術具だ。
魔王城の宝物庫にあったもということで、壊してしまわないかちょっと怖いのだけれど、せっかく魔王さまにいただいたし、なりふり構っていられない。魔王さま不足は生命にかかわるんです!
昼間はアルバンさんに預けておいて魔力を充てんしてもらえば、夜に魔王さまと話ができるのだ。それも姿付きで!
なんと素晴らしい魔術具なのだろう。ありがとう、バルタザールさんがうなるほどの魔術具を作ってくれた大昔の人! おかげで魔王さまの姿を毎日拝めます。
ヴィーカたちの乗ってきたホロ付き馬車はばしりんで乗せて帰ることも引っ張ることもできないので、輸送のテストがてらひと月をかけてラシェ村まで乗ってきてもらうことになった。わたしが魔界に帰るころになったらラシェに着くだろう。
ついでに護衛がきちんとできるかも試験するそうだ。遭遇する魔物や魔獣に正しい対処ができるか、荷物を安全に運べるか、こっそり監視してテストするらしい。
ラシェに着いたら馬車や荷物に痛みや傷がないかをアルバンさんがじっくり見定めるって言ってたし、たいへんそう。
でも、これに合格できれば輸送業や観光業の充実に近づくからぜひがんばってほしい。
わたしたちがばしりんに全員乗りこんでからアルバンさんが御者席に着く。ばしりんの動力部がぐおんぐおんと鳴った。
ばしりんは速くて便利だけれど、止まっていても馬車と同じくらい大きい音が鳴るね。振動の少なさはばしりんの勝ちだけれど。
窓から見送りに来てくれた人たちに手をふる。
うわー、やっぱり照れるね、これ。お姫さまにでもなった気分だよ。魔王さまのお、奥さんなんだから、お姫さまみたいなものだけどさ。
ばしりんは三界合同会議から帰ってきてからなぜか大進化を遂げていた。
見た目は一回りか二回りくらい大きくなっていたし、シンプルイズベスト! な内装はちょっぴり豪華になっていた。
竜の頭がい骨も一目見ただけではそれとわからなくなってるし、魔界のものになれてるラシェになら怖がらせることもなく乗って行ける。これならいつか王都にまで乗りつけることができるようになるかも?
そうしたら魔王さまが人界に行く日数も短縮できるし、お手軽に行けるようになればなるほど行く回数が上がるってことで、そうすれば手続きも簡単になって、ちょとそこまでみたいな気軽さで人界に遊びに行けるようになるかもしれない。そんな日が来るといいな。
内装のほうは、椅子がふかふかで、背もたれを倒せばばしりんの中で眠れるようになっているし、スイッチで灯りがついたりけしたりできるようになって、ものすごく快適に過ごせるようになっていた。
何がバルタザールさんたちを刺激したのだろう。研究室の人たちが全員出張ってきたって聞いたけど……。ヴィーカたちが来るのを知ってたわけじゃないのに。先見ができる人でもいたのかな?
そんなわけないか。先見ができる人はごくごくまれだって言ってたものね。
低い唸り声を上げながらばしりんが動き始める。魔王城はあっと言う間に小さくなってしまった。戻るのが来月だと思うと少しさみしい。
「魔界ってすごいのね! こんな乗り物があるなんて、思いもしなかったわ。
この馬車は馬がいないのに動くのよ? すごいでしょ、オルフェオ!」
「うん、そうだね。乗り心地もすごくいいし、ぜったい受けるよな……」
ヴィーカはなぜかばしりんを自分の手柄のように自慢している。ばしりんを作ったのはバルタザールさんだからね? しかも、バルタザールさんの自費で作ったものだから、バルタザールさんに貸し出してもらっているという形になっている。
わたしのような素人目にも値が張るとわかる材料をあちこちに使っているものをぽんと貸し出せるなんて、お金持ちってすごい。
一見ただの研究好きなおじさんだけれど、実はものすごい人なんだよね……。お城から予算が出ないから研究をあきらめてって言われても自腹を切って続けるらしいし。
どこからお金が出てるんだろう。
あ、もしかしてお金じゃなくて材料を自分で用意してる? 屍竜を自力で仕留められるんだあ……。すごい……。改めて城にいる人たちってほんとすごいなあ。
窓の外は馬車に乗っているときよりも速く景色が流れていく。危ないから窓の外に手を出してはいけない。風圧で飛ばされてしまうかもしれないそうだ。
そんな危険がわんさかあるばしりんの屋根にいる人たちもいますけどね。
言わずもがなゼーノとジーノおじさんだ。
修業とか平気だからとか言ってたけど、
「人妻と婚約者のいる女の子と同じ空間にいるつもり?」
というおばさまの一言が理由の大部分を占めていると思う。
おばさまからのおじさんとゼーノの信用はこと女性問題に関してのみ地に落ちている。というか、めりこんで地中の奥深くにまで達しているというか。とにかく信用されていない。ゼロ。マイナス。ゼーノが一人っ子なのが逆にすごい。
でもいくらおじさんとゼーノでもわたしやヴィーカに手を出すことはないと思う。だからこれは体の大きなおじさんに遠慮してもらっただけなのだろうと思う。おばさまは細やかな気配りができるひとなのだ。
おじさんは人並外れて巨体だからしかたないね。魔王さまよりはほっそりしてるけど。
おかげで大人三人子ども二人で広々とばしりんの中を使えるだから感謝しないと。今日の晩ご飯はお肉を大盛にしてあげよう。
空間がちゃんと繋がってたら、今日は焼肉にしようっと。ドラゴンの照り焼きか、ステーキ。どっちにしようかな。
何度か休憩をくり返して夜になる。夕飯を食べて夜は魔獣除けの効果がある木を燃やして眠る。
ばしりんはなんと夜間走行もできるよう灯りが走る先を照らせるようになっているのだけれど、ばしりんを運転できるのはアルバンさんだけなので、夜は休む。体力があるからってムリはよくない。
おじさんやゼーノが運転したそうだったけど、ムシした。あの二人を御者席に近づけてはいけない気がする。
ばしりんがものすごく高価だと知らせておいたからだいじょぶだとは思うけど。だいじょぶだとは思うけど。
エルフィーにお湯を出してもらってみんなで体を拭いた。
メイドさんチョイスのふわひらっとした寝間着に着替えたわたしは、こっそりばしりんの後ろ側の荷物置き場に移動した。エルフィーにもヴィーカにもおばさまにもバレバレだったけれど。
ニマニマしたヴィーカの視線を背中に感じながら荷物置き場に隠れた。
眠る準備のために座席をベッドにしたあちらでは、女子会のためにランプを灯しているので荷物の置き場の暗さが際立つ。
ただ、完全に真っ暗というわけではないのでわたしは構わず荷物を背もたれにして腰を落とした。
簡単に身だしなみを整えてみる。うん。こんなもんかな。
深呼吸をして魔王さまからあずかった手鏡を覗きこんだ。手鏡には平々凡々としたわたしの顔が映っている。ううん。このくせっ毛、もうちょっとなんとかならないものか。
「“魔王さま、魔王さま、魔王さま”、リオネッサです。聞こえますか?
こちらはもう寝るだけになりました。魔王さまがお仕事中じゃなければお話してください」
手鏡が水面のように揺らめいたとたん、がたごとと慌てたような物音が聞こえ、次にはちょっと……ものすごくよれれっとした魔王さまが映った。
自慢のたてがみはしんなりしているし、寝間着はちょっぴり乱れているし、最近はずっとかけている眼鏡もかけていない。もしかしてちょうどお風呂上りに話しかけてしまったのだろうか。タイミング悪いぞ、わたし。
でも、寝るまえにしかみられないいつもと違う魔王さまもかっこいい。
「このような格好ですまない。待たせただろうか」
「いいえ! ぜんぜんまったく待ってません! わたしのほうこそ変なときに話しかけてしまってすみません。お風呂に入ってたんですか?」
「うむ」
魔王さまの低い声はとても耳に心地よくていつもうっとりしてしまう。夜に聞くと安心して眠くなってしまう声だ。
「わたしはエルフィーにお湯を出してもらって久しぶりにヴィーカと拭きあいっこをしましたよ。ちょっと懐かしかったです」
「そうか。魔物などは出たかね?」
「出ませんでした。たぶん見慣れないばしりんを怖がってるからでしょうね。進行方向にいる魔獣はみんな避けてましたよ。
魔物は屍竜の臭いがするからよって来ないんだと思います」
「うむ。そうだろう。君たちの旅が安全なものになるようで良かった」
「はい! 魔王さまはどうですか? お城で変わったことはありましたか? ちゃんと休憩しましたか?」
「………ウム」
「魔王さま?」
「…………すまない、つい」
どうやら魔王さまはつい休憩を忘れてしまったらしい。
わたしはわたしが疲れを感じると休憩をとらせてもらう。一、二時間に十分か二十分くらいはとらないと休んだ気がしない。
その休憩のお茶にいつも魔王さまを誘っているのだけれど、今日はわたしもエルフィーもアルバンさんもいないので、休憩し忘れてしまったのだろう。
「明日はちゃんととらないとダメですよ。ぜったい忘れないように手鏡を使って呼びかけちゃいますから」
これってちょっぴり奥さんぽくない?
そんな少しばかりえらそうなわたしに魔王さまはぱちくりと瞳をしばたかせた。
あ、もしかして、よけいなおせわだったかな……。
「うむ。それなら決して忘れる事はないな。
嬉しそうな魔王さまにわたしも嬉しくなる。こんなことくらいお安いごようですよ!
「じゃあ
なんて約束をしつつ、今日あったことをあれこれ話した。
ヴィーカとエルフィーが仲良く話をしていたこと。
ヴィーカといっしょに刺しゅうをエルフィーとやろうとしたけれど、ゆれるばしりんの中ではむずかしかったこと。
それならと、本を読んだらみんなで車酔いをしたこと。
ヴィーカとオルフェオが人界の話をたくさんしたこと。
エルフィーもがんばって魔界の話をたくさんしたこと。
夕飯の支度をしていたらゼーノとおじさんが大きな猪を担いできたこと。
その猪でステーキを作ったこと。
「それから――、ですね……」
「それから?」
わたしの話を真剣に聞いてくれている魔王さまにこう言うのはちょっと、イヤかなりアレなんですけれども……。でも事実なので言っちゃいます! うう、純粋な魔王さまの視線が刺さる……!
「それから、魔王さまと話せなくてさみしかった、です」
あー! あー! 言っちゃった! もうわたしのばか! 恥ずかしい! ぜったい呆れられた!
「あ、あははははは! 今話せてるからぜんぜん! ぜんぜんなんですけどね! ただいつもお茶のときには話せてるのに今日はそれがなかったからちょっと、そうちょっとだけさみしいなって思っちゃっただけで! やだなーわたしったら! まだ一日目なのにこんなこと言い出しちゃって! ほんと……」
「リオネッサ」
片手で顔をおおった魔王さまが静かにわたしの名前を呼んだ。
お、怒ってます? 呆れをとおりこして怒りを感じさせちゃいましたか……? あああわたしのば
「私も、君と話せなかった事は寂しく思っていた。君が私と同じ気持ちを感じてくれていたのなら嬉しく思う。
……妻に寂しい思いをさせたというのに、喜びを感じるなどと、夫失格かもしれないが……」
「そんなことないです! ぜんぜん!」
魔王さまが夫失格ならわたしだって妻失格間違いなしだし!! 魔王さまがさみしいって思ってくれたのちょううれしいです!
そのあとも魔王さまとの会話が続いたのだけれど、内容を正確に思い出すことができない。
わたしの顔はとにかく赤かっただろうことと、魔王さまがどこまでもかっこ良かったことくらいしか思い出せない。
魔王さまとの会話を終えてみんなのところに戻ったらニマニマしたヴィーカに何を話したのかと小突かれた。
くっそう。オルフェオとのことをからかってもヴィーカは照れないからなー。……わたしもヴィーカぐらい堂々とするべきなのか!
そ、そうだよね、あんなにかっこよくてすてきな旦那さまなんだから、何を言われたって恥ずかしがることないよね。
……うん。それとこれとは話が別だわ。わたしもヴィーカみたいにしれっとラヴラヴですけどなにか? みたいな返しができればなあ。
「それでそれで? 愛してるとか言われた? 言われちゃった? きゃーさすが新婚! お熱いですねぇヒューヒュー!」
「もう夜なんだから黙って。
ほら、エルフィーだってノリについていけなくて困ってるじゃない」
「あ、ごめんごめん。お姉ちゃんとこうするのって久しぶりだからはしゃぎすぎちゃった。ほ~ら怖くないよ~。こっちおいで~」
手招きするヴィーカに枕をしっかり抱きしめながらおずおずと近付いていくエルフィー。う~ん、プライスレス。おばさまといっしょに微笑ましく眺めてしまうくらいに和やかな絵だ。
あと二、三歩といった距離まで近づいて行ったエルフィーを我慢しきれなくなったヴィーカがえーいっと抱きついた。もちろんエルフィーはつぶれる。
ふかふか寝床の上じゃなかったら怒ってるよ。
「よしよしいい子だね~。良い子ちゃんなエルフィーにはお姉ちゃんのとっておきの昔話をしてあげよう」
「はー――いもう遅いから寝ましょうねー――。明日もあるんだからしっかり寝ましょうねー――」
べりっとヴィーカの腕の中からエルフィーを引きはがし、わたしの隣に寝かせた。わたしは真ん中を陣取っているので、かってにわたしの話をされる心配はないだろう。
なごりおしげなエルフィーに熱い視線をもらってしまっているけれど、ごめんねエルフィー。ママはもう少しくらい尊敬されるママでいたいんだ。
「まあまあ。夜更かしは美容の天敵だもの。今日はもう寝ましょう?」
とわたしの味方をしてくれたかと思いきや
「まだ旅は始まったばかりなのだから、話せる機会はまだあるわよ」
と、おばさまもわたしで遊ぶ気まんまんのようだ。ああ、さようなら立派な母親像……。
それでもまだぶーぶー言うヴィーカをなだめすかして灯りを消した。
窓からはたき火の灯りが少しだけ入ってきていた。外の男性陣はまだ起きているのかもしれない。
申し訳ないことだけれど、ばしりんは女性陣で使わせてもらって、男性陣はばしりんの屋根に張ったテントで寝てもらっているのだ。
わたしたちだけでこんなにふかふかな快適空間で申し訳ないなあ、と思いながら目を閉じた。
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