第27話:ラノッテ工房長の憂鬱

「こんばんは。良い夜ですね」

「…いらっしゃい」


 店主おとこは愛想を振りまく気になれなかったので、普段よりなおざりに挨拶した。

 今まであんまりな目に遭ってきたのだ。良い夜だなどと返す気にはならない。

 それに閉店後に来るのは迷惑な客か、強盗か、厄介事に決まっている。

 この客はおそらく厄介事なのだろうな、と男は上等な服に身をつつむ客を見返した。上等な服を着ていても、首から上がヤギなのだ。一目で魔界人とわかる出で立ちだった。


「店はもう閉めたんだがな。看板が見えなかったか?」

「それについては謝罪いたしましょう。申し訳ありませんでした。

 ですが、私が昼間に訪れるのは客足に影響が出るかと思いまして」

「変わらんよ。今更な」

「おや。そうですか」


 魔界人が魚眼のような目をほんの少し見開いた。

 一目で魔界人とわかるヤギ顔がいつ来たところで客足は変わらないだろう。

 もう何日も客がきていない。だから、これ以上客足も落ちようもない。


「嫌がらせを受けているというのは本当の事でしたか」

「……………」


 目を細めてにこにこと――、おそらく笑っているのだろう魔界人をジャンニーノは睨んだ。

 ジャンニーノは一代で店を持つまでに至った凄腕の刺繍職人だ。刺繍の腕はイルテニアで一番だと自負している。

 けれどその腕を妬まれ、根も葉もない噂を流された。噂だけだったならまだ良い。

 その内、納品しようとした商品を盗まれたり、傷物にされた。

 客も、常連は脅され新規は噂を信じて来やしない。

 今では糸も布も売ってもらえなくなってしまった。

 もう店を畳むしかないと考えていたところだ。

 店を畳んで田舎にでも引っ込むくらいしかジャンニーノには考えられなかった。それくらい思い詰めていた。

 いけ好かない商売敵共に負けるのは業腹ごうはらだが、金もコネもないジャンニーノにはこれ以上商売を続けるのは無理だった。


「注文か? 悪いが材料が心もとなくてな。ロクなモンはできねえぞ」


 怒って帰ったとしても構わない。そう思って手を払うマネまでしたが、魔界人は怒るどころか帰る素振そぶりも見せずいえいえと緩やかに首を振った。


「こちらを見ていただきたいのです。品質はどのようなものでしょうか」


 どこにそんな物を持っていたのか、魔界人が包みを広げる。広げられた布もずらりと並ぶ糸も滅多とお目にかかれる代物ではないと一目でわかる。 

 ジャンニーノは知らず息をのむ。

 この魔界人は商人だったのか? 魔界人を注意深く観察しようとしたジャンニーノの視線は、けれど広げられた布達に吸い寄せられた。


「……すごいな」


 薄暗い点でも光っているのではないかと錯覚さえ覚えるほど美しい布とその布に負けず艶めく糸、他にも見た事のない色鮮やかな糸が次々に出てくる。


「貴方がこちらの布と糸を使えば素晴らしい作品を作る事が叶うと思うのですが、いかがでしょう?」

「できるだろうな。

 ……待て、この布を刺繍に使っちまうのか? ドレスにでも仕立てりゃ、貴族がこぞって買うだろうに」

「ええ。そういう意見もありましたが、こちらの布が一番刺繍に適しているようだったので。衣服用には他にも候補がありましたし。

 よければお試しになってください」

「……いいのか?」

「どうぞどうぞ」


 にこやかすぎる魔界人を不審に思っても手は止められなかった。

 刺繍枠は持っている中で一番小さな物を使う。試し縫いなのだからそこまで大きなものは必要ない。

 まずは黒色の糸を適当に長さに切り、ほぐす。り合わせられていたのは六本で、それらは絡まる事なくすぐにばらけた。

 その内の半分を糸に通す。まずはランニングステッチ。問題ない。

 バックステッチ、アウトラインステッチ。

 今までのどんな糸より滑らかで、絡まる気配はまったくない。

 次は赤色。その次は青、緑、黄。


「素晴らしいですね」


 ぱちぱちと拍手が聞こえる。

 気付けば小さな木枠の中は色とりどりの糸で埋まっていた。


「私の目に狂いはなかったようです。

 それで、試した心地はどうでしたか?」

「ああ……。すごいな。いや、すごいなんてもんじゃないが、それ以外に言葉が出てこない。本当にすごいな」


 高揚を隠せないジャンニーノの言葉を聞いた魔界人は満足そうに肯く。


「そうでしょうそうでしょう。魔界でも指折りの職人の手によるものですから」


 ジャンニーノは木枠の中を撫でていた指止めた。


「気を悪くさせたらすまんが、魔界に織物職人だの、染色職人だのがいるとは知らなかったな」

「ふふふ。いえいえ。そう思われるのも仕方がありません。なにせ、職人という概念を知ったたのも、そう名乗れる程度の腕前になったのも、つい最近の事ですので。

 しかも魔王城周辺にしか確認できていないという希少さです」

「つい最近? それで、この出来か?

 ならこの先、人界の職人の出番はなくなりそうだな」


 お世辞でも何でもなく、ジャンニーノは素直にそう思った。

 ここまで高品質な布に糸、染色の技術がある上、特殊な効果があるならば人界産の物など用無しになるだろう。

 暗がりの中で薄っすらと光を放つ刺繍を見て、ジャンニーノは立ち上がった。

 残り僅かな蝋燭に火を灯せば店の中が少しだけ明るくなる。

 おかげで影が濃くなった目の前の魔界人ははっきり言って不気味だった。目だけが爛々と光っているものだから、余計に。

 その魔界人はゆるりと首を振る。


「いえ、それは無理でしょうね。なにしろ生産体制が整っていませんし。

 実は試作品なのですよ、これ」

「マジかよ………」


 マジです。と真面目そうに装ったすまし顔で魔界人は肯いて見せた。


「ですがジャンニーノ様に絶賛していただけたという事は商品価値はあるという事ですね。安心いたしました」


 にんまり、といった風に目を細めた魔界人は嬉しそうな声を出す。


「そんな訳で折り入ってご相談があるのですが」


 揺れる蝋燭の炎に魔界人の影もまた揺れた。

 ジャンニーノは思わず唾を飲みこむ。まるで蛇を目の前にしたカエルにでもなった気分だった。

 不意に幼い頃から繰り返し聞かされた昔話を思い出す。

 かつて魔族と呼ばれていた邪悪な人外達は世界のあちこちで好き勝手に暴れまわっていた。

 その力は強大で、人間達はただただ怯え、逃げ回っていたのだという。

 それを見かねた天族が魔族討伐に乗り出したが、魔族は強かった。

 腕の一振りで山を吹き飛ばし、一声雄叫びを上げれば心の弱い者がばたばた死んでいった。

 天族と人間が協力し、魔族を打ち倒す事が叶ったが、被害は甚大だった。

 魔族はもちろん、天族も人間も数を大いに減らしていた。

 だから長きにわたった大戦はようやく終わったのだと祖母は言っていた。


「いいかいジャン。だから、ぜったい魔族には近付いちゃいけないよ。食べられてしまうからね」


 良い子にしてるんだよ――攫われてしまうからね。

 やさしかった祖母の声が次々に脳裏をよぎっていく。


「大きな牙と爪がある魔族なんかに捕まったらおまえなんか一口でペロリと食べられてしまうからね」


 のちのち魔族は滅んでいたことを知ったが、幼い頃に刷り込まれた恐怖はなかなか消えないものだ。

 それどころか拗らせた結果、悪魔呼ばわりをして排斥運動をする輩までいるようだった。

 それも当然かもな、とジャンニーノは背中に冷たく流れる汗を感じながら深く呼吸した。

 ――たしかに、これは、怖い。

 普通の人界人であれば、魔界人が閉店後の店に来た時点で逃げ出しているはずだ。

 何もしておらず、なのに寒気がする程恐ろしいものの相手をするなど誰だってごめん被りたいだろう。

 だが、ジャンニーノは違う。もう何も失うものはないのだ。

 あるとすればそれはジャンニーノ自身くらいのものだった。

 見た目はヤギなのだからまさか肉食ではないだろう。………ないよな?

 後ずさりしそうになる己を叱咤してなんとかその場に留まった。足の震えが体全体に広がるのも時間の問題だろう。


「…どんな相談だ?」


 からからに渇いた喉からなんとか声を絞り出した。震えないようにするのが精々で、うまく笑えた自信などかけらもなかったが、魔界人は気にしていないようだった。


「あと何年かすれば品質を安定させ、量産する体制も整わせることが叶うでしょう。

 ですが、先ほどもお話した通り魔界には職人がおらず、素人が本を読み、独学であれこれ試行錯誤している状態なのです。

 それでも染色などは形になってきましたが、いくら魔界人の寿命が長いと言えどもこれでは時間の浪費でしかありません。

 貴方がたの一生は短い。だからこそ限りある時間の中で技術を極め、残し、受け継ごうとするのでしょう?」

「……そういうやつもいるだろうな。それで?」

「貴方に弟子を取っていただきたいのです」


 ジャンニーノは思いもよらぬ提案に喉を詰まらせた。何と答えるべきか数舜迷い、結局、好奇心を優先させた。


「どんなやつだ?」

「魔王城に奉公している三つ目族の女性で目がとても良いです。覚えも早いですから損はさせませんよ?」


 今度はしばらく考えた。

 魔界人を弟子にしたところで客足がこれ以上遠のく事はないだろう。

 一から育てなくてはならないのは骨が折れるだろうが、こいつはと思って目をかけていた弟子は金であっさり引き抜かれていってしまったし、嫌がらせや噂のせいでほかの弟子たちも従業員共々辞めていってしまったせいで教える時間だけはたっぷりとある。

 三つ目族というからにはよほど目がいいのだろう。視力が衰えたが故に引退する職人も少なからずいるのだから羨ましい限りだ。手先が器用で覚えも良いというなら最高の弟子ではないか。

 おまけに魔界人の長寿も合わさればこの先何十年、いや、ひょっとすれば何百年も自分の考えた図案が絶える事はない、という事ではないか。

 そこまで考えたジャンニーノは打ち震えた。

 受け継いだものをあとに残せるかどうか。職人であれば誰しもが考える事だろう。

 ジャンニーノの刺繍は祖母や母から受け継いだものと、隠居してしまった師匠から受け継いだものだ。

 自分で考えた図案にだって愛着がないではないが、やはり大切な人達から教わったものは別格になるものだ。少なくとも、ジャンニーノはそうだった。

 それらを伝える前に弟子達は去っていってしまった訳だが、今となっては幸いだったのかもしれない。受け継がせる当てができるというだけでこの話を受ける意味がある。

 問題があるとずれば、それは――


「……その三つ目族は何を食べるんだ?

 やっぱり……肉か?」

 さすがに正面切って人を食うのかとは聞けなかった。肯定されたらどうしてくれる。

 魔界人は不思議そうに首をわずか傾げた。


「彼女は肉も食べますが、菓子類をより好むようですね。

 もしや、食費が気になりますか? こちらとしても外貨獲得の為にいろいろ取り組んでいるのですが、実を結ぶには今しばらくかかるのです。

 申し訳ない事ですが、賃貸料を含め家賃はきちんとお支払いいたしますので、それ以外は現物支給にさせていただけませんか?」

「現物支給」

「はい。例えば教育に使う糸や布ですね。試作品の触り心地や発色の確認をしてもらう事になりますが、欲しい色など注文していただく事も可能です。

 むしろどんどん意見してください。貴方の一言で大ヒット商品が生まれるかもしれませんよ?

 それから食費替わりに食料をお届けします。こちらも人界人の反応が気になりますので感想を頂けると農作物部の苦労が報われる事でしょう」


 たぶん、と小さく付け加えた魔界人は更に話し続ける。


「今現在人界の設備で人界人が料理できる材料は少ないのですが、今後拡大予定ですのでご期待ください。

 試作を重ねた結果、死ぬ程の毒から痺れる程度にまで毒が軽減できましたので無毒になる日も近いかと!」


 拳を握って力説しているところ悪いが、その毒は人界人が死ぬ程なのか、それとも魔界人が死ぬ程なのか。

 前者であれば人界人を実験台にしたのかと恐ろしくなるし、後者であればそんな強力な毒が無毒になったとしてそれは魔界人にとっては、であって人界人には有毒なのでは? と考えてしまいやはり恐ろしくなった。これが魔界では普通なのだろうか。

 さらに魔界人は続ける。


「あとは針も用意できます。ようやく鍛冶師や細工師がまともな形を作れる様になってきまして。使い心地を教えてくださればさらなる改良もできるでしょう。

 今まで武器ばかり作ってきたせいで小物を作れなかったのですよ。包丁なんかはすぐに形になったのですけれどね。

 もちろんその他の雑貨や証文品はお任せください」

「やっぱりそれも試作品なんだろ?」

「ええ。やはり売り出すとなれば市場調査は必要不可欠ですからね。

 ちなみに布は貴族の女性達にかなり興味を持っていただいておりますよ?」

「そうなのか」


 ジャンニーノは三度みたび考える。きちんと思案顔になってくれているだろうか。

 試作品だらけとはいえ布も糸も珍しい、かつ高品質なものばかりを扱えて、しまも魔力が込めてられているのなら人界ではかなりの高額で取引される事になるのは間違いない。

 それを一番最初に扱えるというのはとんでもない好機だ。

 新しい布や糸が売れるとわかっていて扱わないバカはいないが、それを使いこなせるようになるかはまた別の話だ。

 どのような布にも、どのような糸にも、一番見栄えのする扱い方があるのだとジャンニーノは信じている。それを見つける事ができるのも、一番上手くできるのも自分だと信じている。

 それらに誰よりも早く触る事ができる。これだけで魔界人の提案を蹴る気は無くなっていた。

 魔界人の弟子を取るのはいろいろ不安ではあるが、食費も浮くし、家賃も払ってくれるというなら店を畳まなくても済む。よく考えなくても良い事尽くめだ。騙されているとしても、失うものは何も無いのだから。


「わかった。あんたの条件をのもう。弟子を取る。

 布や糸はちゃんと提供してくれよ」

「もちろんですとも。ありがとうございます。

 ……それにしてももう少しくらい警戒なさったほうがよろしいのでは?

 私が言うのもなんですが、私も貴方の足元を見ているのには違いないのですよ?」

「そんな事を言われてもな。警戒したところで店を続けるならあんたの要求をのむしかない。

 今までの話がまるまる嘘だってんなら店を畳んで田舎に引っ込むだけだ」


 肩をすくめて答えたジャンニーノに魔界人は目を細めた。


「まさか。嘘ではありませんし、貴方をこのまま田舎に引退させてしまうぐらいなら魔界にお連れしますよ。

 人界の流行を追えなくなるのは困るのでしませんが」


 流行を追えるのならする気なのか、とジャンニーノは思わず二の腕をさすった。はやまったかもしれない。

 そんなジャンニーノの心中を察する気のないだろう魔界人は居住まいを正す。

 最初から背筋の伸びたきれいな立ち方をしていると思っていたが、そうすると貴族にも負けない貫禄を感じるのだった。


「申し遅れました。わたくしは魔王様付き筆頭執事、アルバン・アルパインと申します。

 さっそくですが注文させていただきますね」

「………ご丁寧に、どうも……。ジャンニーノ・ラノッテです……」


 やっぱりはやまったかもしれない。

 うきうきとした様子で大量の糸と布を足り出しあーだこーだ言いながら注文書に要望を書き連ねていくアルバンを他人事のように眺めていると、にっこり微笑まれた。


「こちら、先日のお茶会で我らが魔王妃様が宣伝をした品ですので話題性は十分ありますよ? 十日後には茶会に出席する予定もありますのでジャンニーノ様の腕を披露する絶好の機会かと」


 吹き出す汗を拭いながらジャンニーノは天井を仰いだ。


「……全身全霊でがんばります……」

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