第11話 春の大会が御厨美冬の場合 その4

 ただ将棋を指すだけで楽しかったはずなのに、いつからそれだけじゃ満足できなくなってしまったのだろう。結果にこだわらなくても、満足のいく将棋が指せればそれでいいはずなのに。

「いや、流石に嘘っすね」

 勝ちたいから、負けたくないから真剣に指すし、過程の精密さだって求められる。勝敗にこだわらないのに、苦しい局面で石にかじりつくような手で粘る意味がどこにある?

 まあ、将棋指しには変わり者が多いから、本当の意味で勝ち負けに拘らずに初手から終局まで最善手を探すことだけを生きがいにする人間ももしかしたらいるのかもしれないけれど、アタシはそうはなれない。

 布留川だってそうだ。飛車を振ってしまえば後はどうなってもいいわけじゃない。

「あの、御厨さん?」

 会場外に階段に座り込んでボーッとしていたアタシに声を掛ける者がいた。顔を上げると、白樺が不安げな表情でアタシを見ていた。

「あ? 白樺?」

「ひぃん……」

 白樺は自分から声を掛けておいてアタシの顔を見た途端に逃げようという素振りをしたが、思い直したようにアタシに向き直った。忙しい奴だ。

「み、みりんちゃんどこにいるか知らない?」

「知らないっす」

「そうなんだ……」

 すぐに去るのかと思いきや、白樺はアタシの隣に座った。

「みりんちゃん。勝てなかったみたいで、泣いてたから……」

「そうなんすか」

 対局が終わってすぐにアタシはあの場から離れたので布留川がどんな顔をしていたのか見ていなかった。

 見ていられなかったと言った方が多分正しい。

「私、なんて言ってあげればいいのか分からなくて……」

 白樺は沈んだ声で言う。そんなの、アタシだって分からなかった。

「そっとしてやった方が良い場合もあるっすよ。負け方が負け方だったっすし」

「そうかな……」

 布留川が今日勝てなかったのは偶々だ。

 次やれば流石に勝つだろう。それでも勝てなくても次の次には勝つはずだ。

 少なくとも、永遠に一勝もできないような棋力じゃない。

 それでいいじゃないか。

 と、アタシは何度も自分に言い聞かせている。

 あんな二歩なんて、実質勝ちでいいじゃないかなんてことも思ってる。

 本当はそうじゃない。あれもまた厳然たる敗北であることを誰よりも分かっているのは布留川だから、そんな感傷にはなんの意味もないのだけど。

 将棋に勝つというのは、ただ将棋に勝っただけだ。

 それで人間が向上するわけでも、努力の証明になるわけでもない。

 布留川は一度も勝てない自分では将棋に対して不誠実である気がするなんて言っていたけど、そんなことはない。

 布留川が将棋に対して真摯に頑張っていることは、部員全員が知っているのだから。

 それなのに。

「最後の将棋は布留川に勝って欲しかったっす」

「うん……」

 本当に、どうしてアタシはこんなに布留川に感情移入してしまっているのだろう。

 勝った負けたに一喜一憂したって仕方ないみたいなことを、布留川に言ってやるのがアタシのキャラクターなのに。

「てか白樺も勝ってたっすよね。おめでとうっす」

「え? あ、ありがとう?」

 白樺は意外と勝負強いのだろうか。気が弱いわりには限界ギリギリまで入部届を出さなかったふてぶてしさもあるし。

「白樺は午後からはどうするっすか?」

「もうやることないし、帰ろうかなって」

 スタンド席で応援出来るわけでもなし、本当にやることがない。

「そっすか」

「うん。じゃあね……」

 あっさりそう言って立ち上がり、去って行った。

 白樺はやっぱりおどおどしているけれど、以前よりもしっかりしているようにも見える。

 予選敗退ではあるけれど、目標であった一勝は達成した。

 少しは自信になったのだろうか。

「やっぱり、結果は大事ってことっすか」

 布留川には勝ち負けなんてどうでもいいと言って、白樺には結果が大事と言っている。酷いダブルスタンダードだ。

 二枚舌を使ってるだけで、本音はきっと一つだけ。

 どちらがそうかは、本当は分かってる。

「行くっすか」

 こちらから探すよりここに呼び出した方が早そうなので、スマホでメッセージを送る。間髪入れずに返信が届く。すぐ来てくれるそうだ。

「はあ。本当に、勝ってくれたら良かったんすけどねぇ」

 布留川は正直呆れるほど勝負弱い。しかし勝負弱さに関していうなら、御厨美冬だって布留川と大差ないのである。

 アタシは将棋に向いてなかった。

 勝負事なのだから勝ったり負けたりするのは当たり前だ。

 しかしそんな当然を跳ね返して、勝ち続けるという理に反する道を開ける人間は実在する。

 どうすればそういう人間になれるのか凡人のアタシには分からないけど、とりあえず圧倒的な才能というものが必要なのは確かだろう。

 それを持っている人間を、アタシは知っている。

「美冬ちゃん? どうかしたの?」

 佐々良先輩が歩み寄ってくる。アタシが呼び出したのだから当然だ。

「先輩、話があるっす」

「ん、何かな?」

 先輩はきょとんとした顔で首を傾げる。

 やっぱり緊張する。

 自分の思いを他人に告げることなんて、今までの人生でなかったことだ。

 アタシの空っぽの人生。

 言え。言うんだ。

 今日はこのために来たのだから。

「単刀直入に言うっす。先輩、奨励会に入らないっすか?」


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