第11話 春の大会が御厨美冬の場合 その3
「あれってどこから引用したんすか?」
「あれ?」
「新歓ポスターの詰将棋。昔の詰めパラか何かっすか?」
「いや、あれは前に沙羅が作った奴」
「は?」
☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖
よく考えると、阿僧祇さんに言われるまでもなく佐々良先輩のことは見ているつもりではあった。
「さてと……」
組み合わせを確認してみる。
A級はB級よりも多い六人総当たりで、ブロック数自体もB級より多い。佐々良先輩なら難なく抜けるだろう。阿僧祇さんも、多分いけるんじゃないかと思うけど当たり次第かもしれない。日頃の行いが悪そうだし、案外駄目なんじゃないか。
リーグ表を見ても知っているのは将棋部員達だけ。大会規模で考えると、そこそこ名の知れたアマチュアもいるはずだけど、アタシは知らない。
――いた。
佐々良先輩を見つけたのでそれとなく近寄ってみる。
「――――」
佐々良先輩は真剣な表情で盤に向かっている。
先輩が将棋部内で指す時は全然本気を出していないので、こういう佐々良先輩を見るのは久しぶりかもしれない。
いつ以来かというと、アタシと指した時以来?
将棋は指さないと宣言して入部したアタシだけど、その禁を破って一度だけ佐々良先輩と指したことがある。
その時も、本気でやっていたかは正直怪しいところだ。
局面は、既に佐々良先輩の勝勢になっている。
対局相手は不憫だけど、仕方のないことではある。
元々、手合いが違うのだ。
やがて対局相手が頭を下げて投了の意を告げる。
「……ありがとうございました」
応じた佐々良先輩は特に感情のない目でしばらく盤上を見つめていたが、やがて小さく吐息を盛らすと、駒を片付けていった。
強い方が勝つべくして勝ったという将棋。それ以上でも以下でもない。
相手がもっと強くないと、佐々良先輩の本当の実力も分からない。
しかし今回の大会でそれを求めるのは難しいことかもしれない。なにせ佐々良先輩に勝てるのは、このリーグ……いや、この会場全体を探したって、いないのかもしれないのだから。
「美冬ちゃん?」
「お疲れっす」
「うん。まずは勝てて良かったかな?」
「……そっすね」
「次も頑張るからね……!」
と言って先輩は拳を握りしめる。
「勝てて良かった」「次も頑張る」。対局の内容と棋力を理解していれば白々しくも思えるような言葉。しかし先輩に他意があるようには見えない。
これはこれで本音なのだということは、佐々良先輩を一年間見てきたアタシには分かる。
本当に、どうしようもなくズレている。
阿僧祇さんが佐々良先輩の何を心配していたのか分からないけど、佐々良先輩におかしなところがあるとすればここだと思う。
これがどれほどのズレなのか、この先輩に分かって貰うにはどうしたらいいだろう?
案外、そこが一番の難題なのかもしれない。
その後も先輩は問題なく連戦連勝。決勝トーナメントは午後からだけど、問題なく勝ち進むだろう。ついでに阿僧祇さんのリーグも見てみたら、一応勝ち抜けはしそうだった。
「まあ、良かったっすね」
活動実績は佐々良先輩が何とかしてしまうだろうけど、なんであれ勝つに如くはない。負けてしまえなんて思わないけど、何となく面白くない。
部長が手堅く勝つのだから、副部長はエンタメ性を重視すべきではないだろうか。
まあ、それ含めてどうでもいいのだけど。
A級の趨勢が見えてきたので、そろそろB級を覗いてみることにする。
B級。布留川みりんと白樺あんず。
布留川は本人がどう思おうが入部当初よりは確実に強くなっているし、私と同じ幽霊だった白樺も意外と指せていた。二人とも当たりによってはリーグを抜けていてもおかしくない。
しかしそれは単純に棋力のみで考えた場合の話だ。白樺は大会経験どころか、人相手に指したことすらほとんどない。気が弱そうにも見えるし、大会という場で普段通りの実力を発揮するのは簡単ではないだろう。
そして布留川。
公式戦で勝って阿僧祇さんに告白すると言っていたのに、フライングで告白してしまったらしい。個人的には、この大会で勝とうが負けようが恋愛の成否に何ら影響するものではないのでどっちでもいいようなものだと思う。
棋力的には、勝てると思う。流石に勝てるはずだ。それだけの努力を布留川はしてきた。
勝負が努力に応えてくれはしないことを嫌というほど知っているはずなのに、いつまで経ってもアタシはそういうことを考える。
布留川もまた、佐々良先輩と同様に真剣な表情で盤面に向き合っていた。
ここまでの対戦成績的に午後の決勝トーナメントに行くのはもう無理で、これが今日指す最後の一局になるだろう。
邪魔にならないようにそっと後ろに回って局面を覗き見る。
形勢は一目見た瞬間に分かるくらいはっきりしていた。
さっきの佐々良先輩よりもずっと良いかもしれない。
飛車桂得。アタシが対局相手だったらもう投げたくなっているだろう。
手数は相当進んでいるみたいで、布留川の美濃も崩されてしまっているが、流れの中でできたらしい形が結構寄せづらそうで、当面危険はないだろう。
これは、勝てるんじゃないか?
アタシがそう思うくらいだから、きっと布留川本人はさらに強くそう感じているだろう。
ただし勝ちそうと実際の勝ちは天と地ほど違う。外野から見ているだけなら気楽なものだけど、対局者にとっては勝ちに手を掛けた時がある意味一番苦しい。
特に勝ちを渇望している人間にとって、最後の着地を決めることがどんなに難しいか。
どれもアタシの言えたことじゃないけれど。
勝てる将棋を勝ちきれない。御厨美冬を最も端的に現した表現だ。
布留川がそうである必要はない。
相手は中段玉、一見寄せづらそうだが見た目ほど広くはない。
何より駒得があるのだから、時間が掛かっても少しずつ追い詰めていけばいい。
布留川が駒を打つにつれ、敵玉の逃げ場はなくなっていく。
最善ではないかもしれないが、分かりやすい順。これでいい。
もうすぐ必死が掛かる。
布留川の指先が微かに震えているのが見える。
銀を打って王手。逃げる一手。ずっと前に打った角をずらしてまた王手。これも逃げる一手。実はこの局面で既に詰みがあるのだけど、布留川にはまだ無理だろう。
飛車を打って敵玉の中段への退路が塞がれる。これは王手ではないので、相手は桂を打ち布留川玉に王手を掛ける。これは躱して何も問題ない。必要な一手ではあるものの、布留川玉を寄せきるには三手は連続で指さなければいけない。
あと数手。
歩を打って玉頭を叩く。下段に落とすための一手。
良い手、誂えたような手、まさにこの局面のために一歩が残っていたかのように。
「……っ」
思わず、息が止まった。
この一手の重大さに、まず対局相手が気づく。
驚きに目を見開き、それから窺うような顔で布留川の方を見る。
一心に盤上を見つめていた布留川が、相手の雰囲気の変化に気がつく。
そして再び盤上を見返して。
「――あっ」
と、擦れた声を漏らした。
玉頭に打った王手の歩。そのずっと下、もっと前の中盤あたりの局面で、布留川は底歩を打っていた。
禁じ手。どんなに優勢でも、打った瞬間に負けになる一手。
何を指しても勝ちのような局面で、これだけはやってはいけないことが一つだけあった。
「負けました」
はっきりした声で、布留川はそう言って頭を下げた。
布留川みりんの大会は、〇勝四敗で幕を閉じることにあった。
勝勢までいった最後の対局の敗着は、二歩だった。
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