第11話 春の大会が御厨美冬の場合 その2

 誰よりも無駄に早く来る布留川はバスが来るギリギリに到着した。声を掛けようとしたが、布留川はさっさと白樺を伴ってバスに乗り込んでいった。

「まあ、避けられてるっすよね」

 大会前だし、布留川がそういう姿勢なら急いで聞きに行くべきではないかもしれない。

「どうしたの?」

 隣席の佐々良先輩がアタシの顔を覗き込むようにして尋ねる。

「いやー……」

 佐々良沙羅、阿僧祇肇。

 アタシ達が将棋部に入る前からいた二人。

「布留川が阿僧祇さんに告白したみたいで」

 アタシの言葉に佐々良先輩の大きな瞳が丸くなる。

「え、本当?」

「どうもそうみたいっす」

 こんな状況は想定してしかるべきだが、いざそうなってしまうと佐々良先輩がどんな反応を見せるのか少し怖くなる。

「へー、意外」

 しかし佐々良先輩はアタシの内心を余所にあっけらかんとした態度だった。

「そうっすか?」

「みりんちゃんが肇ちゃんのことが大好きなのは見てたら分かるけど、みりんちゃんは奥手っぽいから、なかなかいけないのかなって」

 それは多分あってる。ただ既に一年近く経とうとしているのだから、足踏み期間としては既に十分過ぎるほど長い気はする。

「まぁ、アタシが焚き付けたようなものなんすよね」

「へー、それも意外」

 そうだろうか。そうかもしれない。

「それで、阿僧祇さんがどういう反応したのか分からないんですけど、布留川本人は失敗したと思ってて」

「あー、だから肇ちゃんとも御厨さんとも気まずいんだ。大会だから緊張してるのかなって思ってたんだけど」

 この先輩は察しが良い時と果てしなく悪い時の両極端なのだけど、今日は察しの良い佐々良先輩のようだ。

「こういう展開になるのは想定外で」

 自分だってろくに恋愛経験ないのに、人の恋路に口先を出して何をやってるんだろうか。

 なんて、今なら思ったりもするのだけど、昨日までのアタシは布留川が告白さえすれば全て上手くいくと確信していた。

 自分でも不思議なくらいに。

 佐々良先輩はアタシを安心させるようにか、ふわりと微笑んだ。

「肇ちゃんがみりんちゃんにどう答えるのかは分からないけど、人の真剣な気持ちを無碍にはしないから、大丈夫だと思うな」

「はぁ、アタシは先輩ほどには阿僧祇さんを信用できないんすよ。悪い人じゃないのは分かってるつもりっすけど、いざことが起こってしまうと泰然とはしてられないというか」

 アタシの心はすぐに揺れる。指した瞬間に後悔するのだって一度や二度ではなかった。

 そんなアタシを見て佐々良先輩は可笑しそうにクスクスと笑う。

「ふふ、美冬ちゃんも変わったね?」

「そうっすか?」

「将棋部に入ったばかりの頃は、そんな風に友達を心配してハラハラしたりなんかしてなかったと思うよ?」

「ああ、本当、お節介焼くようなキャラじゃなかったはずなんすけどねぇ」

 この将棋部には人の脳波を狂わせる変な電波が流れていて、それで飛車の素振りをしたり変なお節介を焼いたりしてしまうのかもしない、なんて、馬鹿なことを考えるようになったのはいつからだろう。

「あんずちゃんも最近は人がいる時にも部室に来るようになったし、みりんちゃんもとうとう踏み出した。みんな変わっていくんだ」

 佐々良先輩は窓の外に視線を向けた。

「私も、変わらないとね」


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 大会開始は十時過ぎだけど、アタシ達は早めに来て会場の設営を手伝うことになっているらしい。全ての参加校がそうするわけではないので、佐々良先輩の横の繋がりの賜だろう。

 参加もしないのに賑やかしに行くのだから、それくらい手伝うのは構わないと思っていたけど、会場に着いたらその考えを少し後悔した。

「あ、佐々良さん! 久しぶり! みりんちゃんも阿僧祇くんも元気そうだね」

 アタシの見知った顔が各部員に挨拶していく。

「あなたは新入部員かな? 私は神無月のあ。よろしくね!」

 神無月のあ、アタシの同期の奨励会員。

 新聞社が主催だし、誰かしら奨励会員はいるかもしれないと思っていたけど、よりによって神無月だったか。

「久しぶりっすねー」

 何かを言われる前にこちらから機先を制す。

「美冬……あんたと私が久しぶりなのはおかしいって分かって言ってる?」

「いやー、さっぱり分かんないっす」

「はあ……。まあいいけど」

 呆れとも諦めとも取れるため息を吐いてから、神無月はテーブルの配置など手伝って欲しいことを指示していった。

「じゃあアタシはこれで……」

「アンタはこっち」

 神無月に引っ張られてアタシは将棋部から引き離される。布留川に話を聞くのは後回しするとして、阿僧祇さんの方には探りをいれたかったのだけど、なかなかタイミングがなさそうだ。

 どのみち布留川の目の前で阿僧祇さんを呼び出すなんて真似は出来ないので同じことか。

「ねー、御厨」

 テーブルを運びながら神無月がアタシに声を掛ける。

「なんすか?」

「一級に上がった」

「それは……おめでとうっす」

「一年掛かったけど、とうとう追いついちゃったよ?」

「…………」

 もうとっくに追い抜かれてるよ、と言えば神無月はどういう反応をするだろう。

 進んで他人をがっかりさせたいなんて趣味はない。

 神無月に対して申し訳ないと思っている気持ちだってある。

 だけどアタシは。

「手がだるいんすけど、このテーブルはどこに持って行くんすか?」

「……あっち」

 それ以上神無月は何も言わなかった。神無月は押しつけがましいのが嫌いで、アタシはそれを知っていて利用している。

 ただし、代わりに仕事のスピードが倍になって、アタシは時間いっぱい引きずり回される羽目になった。

「お疲れ! みんなありがとね!」

 設営が一通り終わり、アタシ達と同じくちょうど人心地ついたらしい布留川と白樺に神無月は声を掛けた。

「神無月は人使いが荒いんすよ」

「何よこの程度で」

 八つ当たりしてただろ、と言いたかったけど神無月もアタシと同じくらい動いているわけで、問題があるのはこっちの体力とやる気か。

「あと何したらいいっすか? 受付でも構わないっすよ?」

 もう動きたくない。あと神無月から逃げたい。

「鏡を見て言え」

 そんなアタシ達の要素を布留川がマジマジと見ていた。

 今日初めて布留川を目が合った気がする。

「美冬ちゃんと神無月さんって仲が良いんだね」

「そんな親しいわけじゃないけど、付き合いだけは長いからねぇ」

 神無月は皮肉っぽくアタシを横目で睨みながらそう答えた。

「御厨、ちょっといいか?」

 割って入ったのは阿僧祇副部長の声。

 色んな意味で渡りに舟だ。

「おっと、阿僧祇さんがお呼びっすね。では失礼するっす!」

 アタシは神無月の脇を抜けて阿僧祇さんの元に歩いて行った。


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「で、何の用っすか?」

 阿僧祇さんはアタシを人気のない非常階段のあたりまで連れて来た。人払いがしたかったのだろうということは分かるけど、それで何の用があるんだろうというと予想がつかない。心当たりといえば布留川とのことだけど、阿僧祇さんがアタシに相談するのは何か違う気がする。

「あー、そうだな……」

 阿僧祇さんは余程言いにくいことがあるのか、慎重に言葉を選んでいる様子だ。

「もしかして、愛の告白っすか?」

「んなわけあるか」

 即答。知ってるけど。

「でも布留川からは告られたんでしょ?」

「あー、何か、そうらしいな……」

 阿僧祇さんが困ったような表情でそっぽを向く。

 おいおいコラ。

「何すかその態度は。布留川は面白いし素直だし可愛いし、阿僧祇さんには勿体ないくらいの奴っすよ」

「分かってるよそんなこと!」

 そう言ってから、自らの失言に気がついたかのように阿僧祇さんは咳払いをした。

 アタシもアタシで布留川に対して余計なことを言ってしまった気がする。周りに人がいなくて助かった。

「あー、お前を呼んだのは布留川のこととは関係ないんだ」

「そうなんすか? というか、そういう状況で人気のないところに違う女子を誘う時点でどうかと思うっすよ」

 どうせアタシに対して浮いた話なんてないのは分かっているけど、布留川の立場からしたら面白くないし不安にもなるだろう。

 流石にその自覚はあるらしく、阿僧祇さんは苦い顔になる。

「体裁が悪いのは分かってるよ。だけど、お前にしか頼めないことだから」

「アタシにしか?」

 阿僧祇さんは居心地が悪そうに頭を掻く。

「いや、もしかしたらただの杞憂で、何の意味もないことなのかもしれないけど……。それならそれで、一番良いんだが……」

「もう、何なんすか。はっきり言ってくれないと分からないっすよ」

 微かに苛立ちを含んだ私の言葉に、阿僧祇さんはようやく腹を決めたようだった。

「御厨。今日一日、それとなく沙羅の様子を見ててくれないか?」

「え――」

 阿僧祇さんの発した言葉は、アタシが全く予想だにしないことだった。

「ボクもなるべく気をつけるけど、一日フリーなのは御厨だけだし……。それでもし、沙羅に何かおかしな様子があったりしたら、すぐにボクに教えてくれ」

「意味が分かんないっす。バスで話した時も元気そうで体調が悪いように見えなかったっすよ。そもそも、佐々良先輩は阿僧祇さんなんかより余程しっかりしてるっす」

「それは全くもってその通りなんだけどな……」

「…………」

 なんだけど、なんなんだ。

 せめて理由を言えと沈黙で先を促すが、阿僧祇さんはそれ以上の補足説明をしようとはしなかった。

 正直言って、少し腹が立った。

 だって、布留川はきっと一世一代の勇気を振り絞って気持ちを伝えたはずなのに、阿僧祇さんは返事をしないまま、違う幼馴染みの心配をしている。その幼馴染みだって阿僧祇さんとは釣り合いも取れないくらい美人で賢いのに。

「頼めるか?」

 しかしそう言う阿僧祇さんの表情は真剣そのもので。

「はあ、分かったっすよ。B級の観戦もするっすけど、その合間で良ければ」

「悪いな。ありがとう」

 それで結局、大して追求もせずに承諾してしまうアタシもアタシなのだろうなと思ったのだった。

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