第10話 春の大会が白樺あんずの場合 その3

 三戦目も負けて元々なかった決勝トナメ進出の芽は完全に潰えたけど、内容は段々良くなってる気がする。

 そういえばみんなはどうしてるだろう。佐々良部長や阿僧祇副部長はA級で勝ててるだろうか。Bでこんなに強いのにAって魔物しかいないんじゃないか? 負けたら寿命とか取られそうで怖い。

 みりんちゃんはあんずと同じくらいの棋力だけど、元バスケ部で大会とか出てたらしいから、あんずみたいに本番でガチガチになったりしないんだろうな。

 恐れていた大会は、案の定怖かった。

 知らない人とやるだけでも怖いのに、その知らない人は全力であんずに向かってくる。

 あんずが甘い手を指したらすぐに咎めようとしてくるし、なかなか楽をさせてくれない。

 力の籠もった指し手から、勝ちたいという思いが伝わってくる。

 あんずはいつだって、そういう人間の感情を浴びるのが苦手だ。

 すぐに逃げ出したくなるし、今まではずっとそうやって来た。

 だけど盤を挟んで相手を向き合ったらもう逃げ場はどこにもない。

 だったらもうやるしかない。がむしゃらでもなんでも、必死で食らいついていく。

 それに、よく考えてみたら。

 あんずだって勝ちたいんだ。

 ――ぎ、銀桂得?

 最後になる四戦目。間違いなく今まで一番内容が良い。

 あんずには形勢が分からない。あんずは、初心者である。けれども、駒得だけは確かなものだ。

 こっちが良いような気がしたら、急に初戦の時のようにふわふわした心地になってきた。

 駒を持っている指先の感覚がない。

 自分がちゃんと駒を持って指せているのが不思議な気さえしてくる。

 終盤戦だ。局面は読めている?

 分からない。分からないけど駒得はさっきより大きくなっている。

 綺麗な手筋とか、華麗な詰みとか、そういうのはあるんだろうけど今の私には必要ない。

 相手の玉に叩き込むように駒を打つ。

 相手の玉は狭い。運が良い。広いところに逃げられたら寄せきる自信なんてない。

 打て打て。リードした分をここで全部使い切ってしまえ。

 息をするのも忘れるくらい、私は駒を動かし続けた。

 そして。

「負けました」

 対局相手がそう言って頭を下げる。

 あれ? こういう時、どうするんだっけ? とまた頭がフリーズしそうになって、不意にぽんと言うべき言葉が浮かんできた。

 息をそっと吸い込む。

 こういう時は、こう言うのだ。

 相手への敬意を込めて。

「ありがとうございました……!」


 これが、白樺あんずの公式戦の初勝利だった。



☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖


 最後の対局相手が席を立ってからも、しばらくあんずは動けなかった。

 血が沸騰するような興奮とか、初勝利の喜びとか、最後の方は真っ白になってわけもわからず指してたなぁとか、色んなことが胸のうちをグルグルしていた。

「そうだ。みんなはどうしてるかな……」

 リーグ戦の結果を見るとあんずは一勝三敗なわけで、本当はそんなに大喜びするような成績ではないのかもしれないけど。

 でもやっぱり、嬉しいものは嬉しい。

 ここからだと近いのはみりんちゃんかな。みりんちゃんの対局ももう終わっているだろう。

 みりんちゃんは予選を突破しただろうか?

 今日のためにあんなに頑張っていたんだから。

「みりんちゃん! 私、勝ったよ! 一勝だけだけど、初めて……!」

 みりんちゃんは、対局後も席に座ったままだった。

 私の声が届いて、初めて私の方を見た。

「え……」

 サッと、自分の血の気が引いていくのをあんずは感じた。

 みりんちゃんの瞳は涙に濡れていた。


 布留川みりんの最終結果は〇勝四敗。

 今日もまた、全敗だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る