第6話 振り飛車党の手待ちを咎めるのはいつだって居飛車党

ファミレス。それは時間はあるが金はない模範的高校生の強い味方だ。

安いし空調が効いてるしゆっくりと座れる。そしてなによりドリンクバーが存在する。ドリンクバー様のご尽力のお陰で私たち女子高生は、平日2時間以上を最低限の注文だけで大手を振って席に座り続けることが出来るのだ。店員からは白い目で見られるけど。

と言ってもファミレスで時間を潰す理由は私たち学生の中でも色々あって、友人の部活の終わる時間まで待つためだとか、クラスメイトと学内外での愚痴を言い合いたい気分だとか、もっと単純に家に帰りたくないからだなんてものもある。

そして今、私の前でハンバーグステーキセットを豪快に頬張っている子は明らかに最後の理由であった。銀髪と右耳のピアスというパンクロッカーさながらのスタイルと学校制服という不釣り合いな格好を1年近く続けている少女は、家への帰宅時間を極力遅くする努力を続けていた。理由は言わずもがなだろう。

「毎度のことながらがっつり食べるね・・・」

「そりゃそうっすよ。人は飯を食べなきゃ死ぬんすよ?知らないんすか?」

「そりゃ知ってるけど。あんまり実感はないかなあ」

「・・・それはとても幸せなことっすよ。ま、だったらアタシは不幸せなのかと言われると微妙っすけど。自分で飯を作って貰えない状況を作り出しておいて、勝手に不幸面するのも変な話っす。身から出た錆舐めて泣き喚くほど間抜けな奴は居ないっすから。そんなことより鯖が食べたいっすねえ」

「さば・・・?ああ錆と鯖ね。会話だと拾いにくいよ!?」

「いっそのこと、身から鯖が出るようになりたいっす」

「・・・全身から青魚の匂いを漂わせてる人とは友達を続けたくはないかなあ」

帰宅後にご飯が待っていない。初めてそれを美冬みふゆちゃんから聞いた時は、その衝撃的な事実に返す言葉が見つからなかった。家に帰ればお父さんとお母さんが居て、夕飯があって、ちょっとお腹が空けば冷蔵庫の中にはおやつとかもあって。それが当たり前だと思っていた私には、美冬ちゃんが置かれている状況は想像もつかないものだったからだ。そしてそれはこんな風にたまに挟まれる会話を身の上話を拾い続け、なんとなくその事情が分かり始めた今であっても、正確に理解できているとは言い難い。なによりそんな状況を特に気にする素振りも見せずに雑談のネタとしてしまう美冬ちゃんのことが一番分かっていないのかもしれない。


「まあ、そんなことより。今日はアタシじゃなくって布留川ふるかわの話をするための場所っすよ。どうなんすか、最近は?」

「・・・どうって何が?」

私と話すため。その言葉に嘘はないはずだ。だって美冬ちゃんは基本的に単独行動を好む。教室でも部室でも部活が終わった後でも。

だから部活終了後にご飯を食べようと先輩を誘いあえなく撃沈した私に声を掛けたのは、一緒にご飯を食べる以外の用事が私にあると考えるのが自然と言えばそうなのだが。しかしその中身が分からない。雑談がしたいだけなら教室でも出来るし・・・。

阿僧祇あそうぎさんとの進展っすよ。特になにも変わってないように見えるんすけど」

「―――!」

「うえっ!?なに急に吹き出してるの!?あーもう。馬鹿じゃないの!」

えほえほ。盛大にむせた私に代わって、急いで机の上を拭いてくれる美冬ちゃん。こういう所に元来の性格の良さが垣間見えたりして、私しか知らないであろう美冬ちゃんの良さになんだか誇らしげになったりする。リアルタイムで零れた液体を処理をしてる美冬ちゃんからはそんなことで性格を測るなって怒られそうだけど。


「・・・で。吹き出すくらいには進展がないってことで良いんすか?」

「・・・今のごたごたで話題を忘れてくれるとかそういう甘い話はなかったかぁ」

「それで追求の手を緩めたらアタシは机拭き損じゃないっすか。で?」

「・・・そもそもっ!美冬ちゃんは恋愛相談の乗るとかそういうの出来ないって言ってたじゃん!それがどうして急にそんなこと言いだすのかなあ!?」

「・・・・・・。こうもはぐらかすってことはやっぱり何の進展もないっすね」

「うぐぅ」

図星を突かれて撃沈する私。いやでもね?そんな簡単に進展があるはずがないのだ。私と先輩の関係はあくまで部活の先輩と後輩で。それ以上ってなると・・・。

「まだ、早いかなあって」

「それ半年前も3か月前も聞いたっすよ。つーか出会いからそろそろ1年だってのにまだ時間が要るんすか?」

「時間はあればあるほど良いもん・・・。じっくり考える時間が必要なだけだもん。難解な終盤なんだもん」

「下手の考え休みに似たりなんて言葉もあるっすね。あと長考した後の一手って大抵ろくでもないことも多いっす。あと告白は割と序盤の手っすよ」

将棋が嫌いと言う割にたとえ話に将棋用語を用いる美冬ちゃんから容赦のない攻撃を受ける。けどさ。

「私、将棋よわいもん・・・」

「はあ!?」

「だって。先輩が誘ってくれて、教えてくれて。私と先輩を繋いでるのって将棋でしょ?けどちっとも上手くならないし。そういう娘に告白されても困るだけなんじゃないかなあ・・・って」

「いやいやいや!阿僧祇さんってそういう人じゃないと思うんすけど。つーか棋力で付き合うか否かを決める人間なんてロクな奴じゃないっす。もしそれを理由に断られたらそもそも付き合わなくって正解っすよ」

美冬ちゃんは妙に熱と実感の篭った声色で私の挙げた理由を即座に否定する。もちろん私だってそう思う。先輩はそういう人じゃない。髪を銀に染めている子も口をなかなか開かない子も右手を骨折していた私にだって分け隔てなく接することが出来る人だ。だからこれは先輩の問題じゃなくって。


「分かってる。けど私がそう思うんだ。先輩と私を繋いでいる糸は将棋以外にはないんだから。その将棋を蔑ろにするのは駄目だって」

「ないがしろって・・・。別にそんなこと無いと思うんすけどねえ。毎日部室に来て、将棋指して、感想戦やって。アタシから見ると凄く真摯に取り組んでると思うっすよ。アタシなんかよりはよっぽど真面目っす」

「けど。まだ1回も勝ってないし・・・」

「たかだか1年未満の将棋歴で佐々良先輩とか阿僧祇さんに勝てる方がオカシイっす。将棋ってそういうもんっすから。いくら手に持ってるサイコロを振り続けても、もともと刻印されている出目が低いと勝ちようがないんすよ。勝つためにはもっと大きい賽の目が印字されたサイコロに持ち替えないといけない。でもそれって言うほど簡単なことじゃない。1年とか2年とか。人によってはもっと長い時間が掛かって。人によってはもう一生同じ賽の目で戦うしかないって気付かされる。そんなもんっすよ将棋って」

美冬ちゃんの言葉は私には少し難しい。けれども将棋が強くなるにはとっても時間が掛かるんだって諭してくれていることは伝わってくる。とっても強い美冬ちゃんだから、その言葉には間違いがないってことも分かる。


「でもでも。まだ公式戦で一度も勝ってないんだよ?」


せめて1回くらいは勝っても良いじゃないか。相手も同じくらいの棋力のはずなのに、先輩たちがそういう大会を選んでくれてるのも分かるのに、でもまた負けましたって伝えにいくのは辛いのだ。精一杯意地を張って、次は頑張りますって無理に明るく言って、でもやっぱりダメで。そのうち大会に行くことも少なくなって。

「・・・相手があるゲームっすよ。誰かが勝てば誰かが負ける。負ける側にずっと居るのもそこまで珍しいことじゃない」

視界が滲んで来た私に対して美冬ちゃんは極めて冷静に返す。それはずっと勝ちと負けしかない世界に居た人だから口に出来る言葉で。だからやっぱり間違いではないはずで。だから

――分かってるよ。

と頷きかける。けれど続いて美冬ちゃんが紡いだ言葉は、諭した際の言葉とは正反対の内容だった。


「ま、でも。確かに負け続けるのは嫌っすね。うん。それは誰だってそうっす」


「・・・・え?」

うんうんと大きく頷く美冬ちゃん。鋭い目つきはいつもと変わらずだけど、心なしかいつもより口角が上がってるようにも思える。


「負けるのは嫌。負け続けている私なんかを阿僧祇さんが好きになってくれるはずがない。だから将棋を頑張る。頑張って、公式戦で勝って、褒めて貰って、そんで想いの丈をぶつける。まあベタベタっすけど、ずーっとぬるま湯に浸かるよりはマシなストーリーじゃないんすか?」


美冬ちゃんが発したのは下手な恋愛小説の筋書きのようで。・・・というか。


「ええっと。公式戦で勝つのとそれを機に告白するのは・・・ちょっと違くない?」

「はぁ?じゃあ何のために将棋を頑張るんすか?告白しないのに?将棋を?頑張る?何のために?」

上がっていた口角が急に下がる。心なしか目つきもいつもより鋭くなっているような気もする。怖いよぅ。というか将棋部員が将棋で頑張って公式戦で勝ちたいって話なのにどうして怒られているのだろう。しかも同じ将棋部員に。

「いや将棋が強くなりたいからでしょ!?むしろ告白と繋げる方が不純だよ!」

「将棋が強くなったって、将棋が強くなるだけっすよ」

「哲学的な言い回しに見せかけて中身が何もないよ!?」

「そうっす。将棋が強くなることに副次的な効果は何もないっす。けど、それによって告白をする勇気が生まれるというのなら、これほど素敵なことはないっす。将棋を頑張ることで将棋が強くなる以上の価値が産まれる。これは根っからの将棋好きな阿僧祇さんならもう堪らないことだと思うっすよ」

「そうかなあ!?」

「・・・だったら。いつなんすか?いつなら阿僧祇さんに対して自分の将棋を胸を張れる日が来るんすか?」

「そ、それは・・・」

分からない。公式戦で勝ったことがないからそう言ってるだけで。実際に勝てた時にどう思うかなんて、今の私には分からない。

「たぶん。いやこれは絶対っすけど。自分の将棋に満足出来る日なんて一生こないっす」

分からないの言葉を飲み込んだ私とは対照的に美冬ちゃんは確信をもって言葉を紡ぐ。

「どうせ次から次にやりたいことも、出来てないことも出てくるんすよ。それが将棋ってもんっす。だったら今、出来ていないことを達成した時、ご褒美の一つや二つでも用意しとくべきなんすよ」

「告白は褒美になるかな・・・?」

「さあ?それを決めるのは布留川自身っすから。将棋を指して、馬鹿話をやって、それなりに楽しくって、けど部活の後に一緒にご飯は食べれないし、休日に遊びに行くこともない。そういう仲の良い先輩と後輩の関係を、今ずっと続いている日常を、今後も続けたいなら、告白はしない方が良いと思うっすよ?」

「・・・・・・。」

少し癇に障るような言い回し。けれどもそれは私もずっと気付いていたことではあった。結局のところ今のままでは私と先輩は、あくまで仲の良い先輩と後輩で、それ以上になることはきっとない。それから先に進むために必要なのが告白だけとは思わないけれど。でもこれまでに何かをやったって訳でもない。だったら。


「・・・・・分かった。やるよ。これまで以上に将棋を頑張る。公式戦で勝つ。んでちゃんと勝てたら一区切りとして先輩にもちゃんと思いを告げる。これで良い?」


口に出すとなんだか肩の荷が下りるような感覚があった。つまりは深いところでこういうことを望んでいたのだろう。誰かが私の背中を押してくれることを。

この荷が公式戦に勝った時にまたのしかかるのかは神のみぞ知る話だけど。そしてそんな予感もあるけど。とりあえずはこの整理された思考を喜ぼう。そしてそんな私に変えてくれた対面の少女にも感謝をしないと。


そう思い、感謝の言葉を述べようと顔を上げた私に対して、美冬ちゃんは極めて軽く言い放った。

「ん。じゃあ頑張るっすよー。アタシも草葉の陰で見守ってるっすー」

「縁起が悪いよ!というか今の流れなら、将棋を教えるとかそういう的なこと言うでしょ!?なんで見守るだけ!?」

「いやいや。アタシ将棋教えるとかマジで出来ないっす。基本的に弱い相手はボコボコにすることしか学んでないっす」

「使えない奴だなぁ!」

焚きつけるだけ焚きつけておいて、自分はお役御免だと逃げる自由過ぎる銀髪少女に大声で不平を述べた私は、ファミレス店内の視線を一斉に浴びる羽目になった。

ドリンクバーで時間を潰し、大声で騒ぎ、対面には格好だけでそれと分かる不良少女。白い目で見られても何一つ文句を言えない状況を構成していた私たちは、その目線から逃れるようにしてその場を退散することとなった。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「でもさ。なんで急にこんな話をしたの?」

「こんなってなにがっす?」

ファミレスからの帰路。駅へ向かう私とそのまま漫画喫茶へ向かうのだという美冬ちゃんは並んで歩いていた。すっかり遅くなってしまったと時計盤を目にした瞬間青ざめた良い子の私とは違って、美冬ちゃんにとってはまだまだこれからが時間つぶしの本番なのだという。

「んっと。先輩と私の仲を取り持つなんてそんなの美冬ちゃんらしくないというか。ほら前に相談した時はそんなのアタシに訊くなーってにべもなかったじゃん」

「あーっと。・・・今日久々に部室に行ったじゃないっすか?」

「うん。美冬ちゃんが最近はよく部室に顔を見せてくれて私は嬉しいよ。これも私の熱意のある勧誘と振り飛車神のお陰だね?」

「後半の不穏な文字列に突っ込んでると、あと30分近くどうでも良い話に付き合わされるんで放っておくとして・・・。今日、いつも通りの阿僧祇さんと布留川の馬鹿話を見てたらなんか良いなあって思っちゃったんすよ」

「・・・・・ん?」

「このまま変わらずにそういうやり取りをする二人が居て、それを変わらずにちょっと呆れ気味に眺めるアタシって構図っす。それが良いなあって思って。だからっす」

「・・・ゴメン。難し過ぎてよく分かんない」

今日の部活の様子を延々と眺めていたいのなら、むしろ今日のアドバイスはなんだというのか。告白するということ。それは今まで以上に進むことはあるかもしれないが、その逆も勿論あって。そしてそうなってしまえば当然、美冬ちゃんが良いと思った光景は二度と見れなくなるはずなのに。

「変わらないのが良いって思うのは、アタシのエゴなんすよ。アタシが変わらないからって周囲の人間にも不変を求めるのは良くないと思うんすよ。自分が変われないなら、変われないことを自覚してるなら、せめて周囲の人間には変わって欲しいと願うべきなんすよ」

美冬ちゃんの口調が少しだけ早くなる。横に並んで歩いていたはずの美冬ちゃんの歩調も少しだけ早まった気がした。


「ま、そういうことっす!んじゃ!気が向いたらまた部室で会うっす!」

そう言って一歩私の前に出た美冬ちゃんは右手をひらひらと振りながら夜の街へと消えていく。行く先に漫画喫茶があるのかは知らないが、光のある方向へ迷いなく歩みを進めるその後ろ姿は私に何かを伝えているかのようで。


公式戦で勝つこと。

先輩に告白をすること。


その二つは全く繋がってないようで、だけど、だからこそ二つをセットにすることに意味がある訳で。実際、先輩が今日の話を聞いたら少し困惑気味に笑うだろう。

――だからわざと負けたりしてるの?

なんて言うかもしれない。いや、そんな酷いことは言わないかな。分からない。分からないけど美冬ちゃんは言いそうだ。それは少し癪だな。私の先輩への気持ちは間違いでも嘘でもないのに。


なんて無為を重ねる私の頬を夜風が撫でる。少し火照っていた頭が冷えて行くと共に、そう言えば随分と遅い時間であったことを思い出す。このまま赴くままに、ただぼうっとしていては、私も不良の仲間入りと認定されて夕飯が用意されなくなるかもしれない。


ま、結局のところやることはいつもと同じで。とりあえず。

「将棋頑張ろっと」

そう呟いて私は駅の光る方向へと歩き始めた。

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