第3話 振り飛車党の角と新入部員は幽霊になりがち

「先輩ってどんな感じの娘がタイプなんですか?」

「手袋したまま将棋部に来ない奴」


雑談。それはボクと布留川ふるかわみりんとの会話のほぼ十割を占めるもので、将棋部室での会話の九分九厘を占めるものである。

扉を開けるや否や、開口一番で男子学生が修学旅行の夜に出すような話題を振ってきた彼女は、ボクの前に向かい合うように座ると手袋を外して振り駒を始める。


「つまり手袋をしてない人はみなストライクゾーンってことですかっ!?授業中とか興奮しっぱなしになりそうですけど大丈夫です?」

「別に手フェチって訳じゃねえから」

というか綺麗な手が好きな人だって、素手の人間を見るたびに興奮してたら日常生活すらままならないだろ。


――なるほど。先輩は手フェチではないっ・・・っと。よし。


消え入るような声がボクの耳に届く。何がよしなのか分からんが、布留川がボクに関する嗜好情報を謎に記憶しているという事実に一抹の不安を覚える。そう言えばこいつボクとの会話を逐一覚えてるって言ってたな。あれは会話の流れの中でのいつもの冗談かと思っていたが、考えを改める必要があるのかもしれない。


「んーっと。『と』が三つ。先輩が上位者だからこれは私が先手ってことですね!」

盤上四方に元気よく散らばった振り駒結果を集計すると、彼女はボクの言葉を待たずに初手を繰り出す。


▲7八飛 


「・・・お前、振り歩先って言葉知ってる?」

「歩が3枚出てたらそのルールを採用してましたっ!」

つまり確信犯じゃねえか。余計にタチが悪いわ。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「ところで本日、佐々良先輩は?」

「今日は生徒会の集まりだとさ。そろそろ卒業式も近いからなにかと忙しいんだと」

「ふーむ。最近姿が見えないのはそういう理由ですか。佐々良先輩が部室に来ないと部内の真面目指数がガタ落ちするから、出来る限り部活に参加して欲しいんですけどねえ」

「・・・その指数、お前が部室に来なければ爆上がりするんじゃねえの?」

「失礼なっ!?私ほど将棋部室に足繫く通ってる人は居ませんよっ!皆勤賞も継続中ですっ!」

・・・確かに。布留川はこう見えて将棋部室への出現率が高い。恐らく生徒会活動時には欠席せざるを得ない沙羅よりも上である。まあ高いのは出現率だけで、何もせずストーブの前に居座るだけで一日が終わることもままあるので貢献度は低いのだが。

「ま、その調子で来年度も将棋部員として活動してくれると大変助かる」

「もちろんですっ!来年度は更に部員を増やしましょうねっ!」

「・・・まずは現状維持が目標だけどな」

すなわち5人。それがこの学園において部としての活動が認められる最低限の人数であり、昨年の春にボクがなんとか搔き集めた部員数であった。だが現状将棋部員だと胸を張って言えるのは、沙羅とボクと布留川の3人しか居ない。残りの2人に関しては数日から数週間に一度のスパンで部室に現れれば御の字レベルで幽霊部員とまでは言えないが、正規部員に数えるのは憚れるような状態なのだ。つまり来年度の当面の目標は彼女たちが抜けたあと、2名の部員補充を行うことである。

「・・・?あんずちゃんも美冬ちゃんも辞めないと思いますけど?」

「だったら良いんだけどなあ」

あの二人は籍だけ置くために無断欠席を咎められない将棋部を選んだ節がある。頭数だけでも揃えたかった将棋部ととりあえず部活動に所属しているという建前が必要だった彼女たち。いわばお互いの利害が一致した形ではあるのだが、残念なことにその契約期間は1年である。何故ならば。

「あいつらが部活動所属の義務化がなくなる2年時にも入るとは思えないからなあ」

「義務じゃないですよっ!あくまで自主的ですっ!新入生全員が毎年謎の使命感に駆られて入部届を先生に提出してるだけですっ!」

「はいはい、そうでした。とても素敵な伝統ですこと。つーかお前だって強制的にどこかに入れって言われなきゃ文化部棟に足を運ぶことも無かったろうに」

「つまり。先輩はその伝統に感謝こそすれど、不平を言う立場にはない訳ですよ。なにせ私という貴重な人材を手に入れたわけですからっ!」

「お前が貴重な頭数であることは認めざるを得ないが、お前が貴重な人材であるという事実が我が将棋部の人材不足を如実に表していて逆に暗雲たる気分になるわけだが」

「一文の中で上げたり落としたりするの止めてくれませんかっ!?」

いや、一文の中で表情を車輪のごとく変えるのが面白くてつい。

そんな言葉を飲み込みつつ、ふと思う。

「あの頃のお前はもっとこう・・・大人しかったのになあ」


ふらふらと危なっかしく文化部棟の廊下を歩いていた新入生に話し掛けたあの春。

思い返すと酷すぎて冷や汗が出てくるボクの勧誘文句の一体何が琴線が触れたのだろうか。仮部員として将棋部室へとやって来ていたあの頃の布留川は、口数も少なく、こちらから話題を提供しないと静寂が部屋を支配するという今では考えられない大人しさだった。加えて渡した棋書を文句も言わずに受け取り、翌日には読んでいるという素直さも持ち合わせていたわけで。

それが一体全体どういう成長をしたらこうなってしまうのか。教育係は誰なんだ。いやボクだけど。


「・・・もしかして先輩って大人しい娘の方が好みだったりします?」

「その話まだ続いてたの?」


大きく丸い瞳が真っ直ぐにボクを捉える。その表情には幾分か真剣さを帯びていて、こいつ盤上以外でもこんな顔を出来るんだなと、彼女の新たな一面に驚かされる。だけれども彼女の急変の理由が思い当たらず、見つめ返すしてもただただ顔が熱くなるだけで、その目線から逃れるように視線を下に移し――


―ああ、なるほど。


右手首。黒色のサポーターがボクの目に映る。

仮入部の頃と今とで彼女が最も変わっている部分。それは性格でもボクへの態度でもなく。昨年春に骨折したという右手首への装飾だった。

右手全体を覆うように包帯でテーピングされていた当時から、あくまで手首のみを固定するサポーターをするだけとなった今の状態は、治療の経過が良好であることを物語っている。それは当然彼女にとっても喜ばしいことで。にもかかわらずあの頃の布留川みりんの方が良かったなどと称されれば、際限なく明るく、何も考えて無さそうにすら見える彼女だって思う所もある。そういうことだろう。


「・・・ボクの好きなタイプだけどな」

「はい?」

脈絡のない発言に目を白黒とさせる少女。そんな彼女を無視して言葉を繋ぐ。他でもない彼女のために。


「指す度に指した方が良く見えるのは好きだ。大人しかろうが、激しかろうが、揺れ動く世界の連続で、その先がハッキリとしないものは見ていて楽しいし、ワクワクするから」

それは将棋のことなのか。それとも目の前の彼女のことなのか。敢えて含みを持たせるのは将棋指しのサガなんて心の中でうそぶくけれど。ハッキリと言葉にしないボクがただただ情けないってことは、他でもないボクが一番分かってるわけで。



右手が使えないからとボクが広げた棋書を食い入るように見つめていた布留川みりんも。

初めて沙羅相手に8枚落ちで勝ってVサインを向けてきた布留川みりんも。

明るく冗談を言い合う布留川みりんも。

今、ボクの照れ隠しのような返答を怪訝な顔で聞いている布留川みりんも。


当時のボクからすれば、どれも以前よりも好きに感じられる新たな布留川みりんだった訳で。


ボクとの会話は全て記憶していると豪語する彼女。その話の真偽のほどは定かではないが。どうか今日のボクの言葉も忘れずに居てくれればと思う。


あの頃のお前があって、今のお前があって。その両方を見てきたボクが昔の方が良かったなんて口が裂けても言う訳なくって。

そしてこれからも今までと変わらず、ボクに変わっていく姿を見せてくれれば。

なんてことを。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「・・・それ将棋の話ですよね?」

うん、伝わらねえとは思ってた!

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