第2話 振り飛車党の大敵は居飛車党と幼馴染

「先輩が将棋を始めた切っ掛けって何ですか?」


冬の将棋部室は寒い。特に今日のように朝から曇天模様で窓から日光が降り注ぐ余地が無い日なんか最悪だ。多少寒くとも準備運動を始めれば自然と暖まる運動部とは異なり、将棋を指すために必要な動作はせいぜい利き手を前後に動かすだけであるというのことも、この問題を深刻にしている。

唯一、暖が取れるのは部屋の隅に設置された電気ヒーターのみ。その前に陣取り、ボクらの将棋を眺める少女が一人。布留川ふるかわみりんである。

学校指定の紺色の丈の短いコート。その上から更になんかモコモコとした毛皮っぽいのが付いてる灰色のジャンパーを羽織る。手にはこれまたモコモコとした手袋に足元にはブランケット。マフラーに絡まる髪がなんか面白い。

つーか完全防寒じゃねーか。そんなもっこもこの恰好で部室内唯一の熱源を一手に引き受けるなよ。というか手袋してる時点で将棋指すつもり一切ないだろお前。なんて脳内でツッコミながらも、律儀に彼女の質問への返答を考える。

まあボクも中盤の勝負所で対局相手が長考に入ってしまったせいでちょっと暇していた所だったし。チラリと盤を挟んでいる対局相手の様子を伺う。目を瞑り、机に両肘を付けて前傾姿勢になり、その両手で口を覆い、微動だにしない。うん。いつもの長考ポーズだ。まだまだ時間はかかりそうだな。


「切っ掛けなあ。特段面白くもないけど、子供の頃に――

「あ、面白くないなら話さなくて良いです」

「そっちから振っておいてそれは酷くねえ!?」

「ごめんなさい。私は飛車も話も振れる女を目指してますけど、振ったことに満足して後はどうでも良くなっちゃう系ですから」

「将棋も会話も終盤力の方が大事って話を今から懇切丁寧にしてやろうか?」

「その話よりは先輩自身も面白くないと言った、先輩が将棋を始めた面白くない切っ掛けの方が、まだ面白くなさ度が低そうなんで、そっちでお願いできません?」

「面白くないって何度言うんだよ。サブリミナル効果でも狙ってんのか」

「あえて期待を落とすことで話しやすいっていう良くある手ですよぅ。ほら、はよはよ」

それは話す側が使う手筋であって、話して貰う側が使うテクニックじゃないが。と突っ込み返すとまた会話が進まなくなるわけで。


「じっちゃんがな。教えてくれたんだ」


静寂。聞こえるのは時計の針音だけで――かつん。駒音と同時に盤上に伸びていた手が引っ込められる。

っと▲7五玉か。顔面受けはちょっと考えて無かったな。まあとりあえずはタダで取れる駒を取っておいて損は――


「で?」

思索の間に挟まる気の抜けたような声。発声場所は見なくとも分かる。ヒーターの前に陣取ってるアイツだ。


対局も佳境で手番もこっち。出来ることなら相槌すらしたくないわけだが、こちらも軽率に会話に乗ってしまった責任はある。そんな訳で盤上からは極力視線を外さずに、声だけでヒーター魔人の相手をする。


「で、じゃねーよ。終わりだ、終わり。じっちゃんが将棋好きで家にデッカイ将棋盤があったから、『これなに?』って尋ねて、ルール教えて貰って、んで道場とか連れて貰ったりして、今がここ」

統計を取ったわけでは勿論ないが、幼い頃に将棋を指し始める人間の模範的なルートだと思う。将棋盤に憑りついた幽霊が、なんて面白体験を幼少時にやってたらもっと回りに言いふらすし。

「あー。あえて『嫌なことは進んでやれ』の誤用を先輩に教えて、刷り込み教育を行ったというあのお爺さんですね」

「会ったこともない人の家のじっちゃんを悪の洗脳人間みたいに言うな。そんなんじゃねーから。というかお前、よう覚えてたな」

「私、先輩との会話は大抵覚えてますからねっ!」

「まじかよ」

お前との会話の8割以上は中身がないのに。なんならボクはその日のうちに全て忘れてるぞ。というかその内容が無いようなボクの発言を脳内に溜め込んだ結果、偏向振り飛車愛好家が産まれてしまったとしたら反省しかないのだが。


「じゃあ佐々良先輩は?」


片手間に相手をするボクとの会話では満足できなかったのだろうか。ヒーター前に居座る防寒少女はその質問の矛先を対局相手である佐々良沙羅へと変えた。俗に言うB面攻撃だ。


佐々良ささら沙羅さら。両親から遊ばれたとしか思えない名を授かった少女は、そんな名前にグレることもなく品行方正、公明正大、糞真面目を地で行く学生であった。生徒会所属で学級委員長であとおまけで将棋部部長。

片手で収まるほどしか部員が居ないこの弱小将棋部ですら部長の座に収まらなければ周囲が納得しないほど彼女の信頼は厚いのだ。

・・・もう片割れの部長候補が少人数の部員すら纏めるのが危ういという判断を周囲がした結果という説もあるけどね。もう片割れは誰だって?ボクだよ!

そんな彼女の外見でひと際目を引くのは腰まで伸びる長い黒髪であり、眉前で一直線に斬り揃えた前髪と共に髪にジャギー入れるような不良な遊びなどするものかという強い意志すら感じる。いや知らんけど。あとボクより少しだけ背が高い。少しだけね?


盤上に集中していたであろうに、急な後輩からの質問に怒ることもなく、沙羅は部屋の隅に身体を向ける。『会話は相手の目を見て行いましょう』なんて誰もが小学生の頃に右から左へと垂れ流したような教えをこんな場所でも自然体で実践する奴は他に知らない。そして布留川に視線を固定したまま数刻。悩ましげに小首を傾げた。


「そこに将棋があったから?」

登山家かな?「登山家ですか!?」


被った。やめろや。お前と同じ思考回路ってわりあい恐怖なんだぞ。

「いや登山家じゃないよ?」

そして沙羅も律儀に訂正するのな。真面目なのかズレてるのか。多分どっちもである。

「むむむ。じゃあ将棋の駒に最初に触ったのっていつ頃だったり?」

「いつだろ?幼少の頃の記憶って曖昧なんだよね。嘘を教えちゃうのも良くないし・・・」

そう言って沙羅は記憶を引っ張り出すかのように頬に手を当て、天井に視線を向ける。

けど。この仕草はそういうんじゃなくって。


――そろそろ将棋に集中したいから黙っとけ


そう口を開こうとした瞬間、意外にもその尋問の手を緩めたのは他でもない布留川本人であった。

「むぅ。これはアレですね。俗に言う答えたくないって奴ですね。じゃあ訊きません!私は空気が読める娘なので!」

「本当に空気が読めるヤツは声高に空気が読めると主張しねえよ」

なんてツッコミつつ。けれども隠れて小さく嘆息を漏らし、安堵する。

実は沙羅はその大人しそうな外見とは裏腹になにかと地雷が多い。特に過去や家族絡みに関しては。であれば触らないでくれと本人が突き放してしまえば良いのだが、そこが沙羅の難しいところで、糞真面目な彼女は理由なく嘘を吐くことを嫌うのだ。今回の布留川からの質問にだって彼女は嘘は言ってない。ただほんの少し不誠実なだけで。

何はともあれ今回はコミュ強である布留川の察しスキルに救われた形である。伊達にパリピをやってねえなお前。褒めてつかわす。と、思っていたのだが――


「じゃあ。佐々良先輩って先輩の幼馴染ですよね?なら佐々良先輩の切っ掛けを知ってたりしません?」

「答えたくないって反応をしてる奴の前でよくその発言が出来るよなあ!」

布留川株、瞬時に大暴落である。もとよりそこまで高くなかったけどな。


そう。佐々良ささら沙羅さらはボクの幼馴染である。まあ、ただ住んでいる家が近いというただそれだけで、別に毎朝起こしてくれるとか、一緒に風呂に入ったことがあるとか、そんな浮ついたことはこれまで一切なかったけれど。それでも沙羅について全く知らないのだとはうそぶけない。色々と知っている。例えば佐々良ささら沙羅さらなんて遊んだとしか思えない名を娘に与えた両親のことだとか。


だからまあ。知ってると言えば知ってる。そしてぶっちゃけこれに関しては、そこまで隠すようなことでもないとも思う。けど沙羅が言わないんだから、本人的にはどうしても秘匿したい事項なのかもしれないし。

どうしたものかと思案するボクとそれをニコニコ顔で眺める電気ヒーター防衛マンという構図に終止符を打ったのは、他でもない渦中の沙羅であった。


―みりんちゃん。そろそろ将棋に集中したいから、静かにね?


一閃。静かな、けれども有無を言わせぬ物云いに部屋内の空気が張り詰める。

「はーい、わかりましたっ!」

そしてその張り詰めた空気を一気に弛緩させるかのような、能天気で元気の良い返事を最後に部室は静寂に包まれた。


それから聞こえるのは時計の針音とたまの駒音。あとは電気ヒーターの駆動音とマフラーの巻きなおし音とブランケットをパタパタとはためかせる音とたまの手袋の取り外し音のみである。

・・・静かにしろって布留川。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

部活終わりの帰り道。私と佐々良先輩は肩を並べて帰宅していた。学校から駅までの徒歩15分の道のり。そこからは互いに反対方向の電車に乗る私たちにとって、この15分が二人きりで会話が出来る短い時間であった。

といっても、そんなかしこまった話をするわけでもなく。同級生と話す時と同じように昨日観たTV番組の話だとか、流行りのアプリだとか、そんなどこでも出来るような話で盛り上がる。


以前、佐々良先輩について「真面目が服を着たような人」と紹介を受けたことがある。だけど私の横に並び、会話の折に付けて小さく嘆息したり、顔をほころばせる彼女の様子を見るにその評価は彼の思い違いではないかと思う。もしくはこの隣に並ぶ佐々良先輩は、幼馴染の隣に並ぶ際の佐々良先輩とはまた違うのか。どっちもありそうで、けどどちらにせよ私が関与する問題でもないか。そう結論付けてまた他愛無い会話へと戻る。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「みりんちゃんがここまで変わるなんて、正直わたしは全く思ってなかったよ」

駅へ到着し、さてそろそろ互いの会話も止めようかとしたとき。佐々良先輩は感慨深そうに呟き、口元を緩めた。

正確に言えば変わったというより、正常に戻ったというべきなのだけども。とはいえ佐々良先輩との最初の出会いは、何もかもが折れた頃の私である訳で。であれば変わったと称されるのも頷ける。実際、あの頃の私が今の私を見てもそれを未来の自分と受け入れることは到底出来なかっただろう。


「あはは、確かに。あの頃の私は陰気が服を纏ってるレベルでしたからね!右手も吊ったままでしたっ!」

逆に言えばそんな私に躊躇せず声を掛けたのが先輩だった訳で。

「けど将棋部に入って。みんなと将棋やって。元気になって。うんうん凄いよねえ」

そうそう。佐々良先輩の仰る通り凄いのだ。振り飛車の力は!


――凄いでしょ?肇ちゃん。


「っと。え?将棋ではなく?」


予想外である。いや振り飛車の力を出されるとはこっちも想定していなかったけれど。将棋部に入って将棋を指して、それで元気になってる訳だから凄いのは将棋という帰結になるとばかり思っていた。けれども、佐々良先輩の口から出たのは先輩で。


「え?将棋指したって将棋が強くなるだけだよ?頭が良くなることもないし、元気になることもないと思うけど?」

「実も蓋もないっ!?けど、飛車を振れば元気になるって学説もありますし・・・」

「そうなんだ。寡聞にして存じ上げなかったよ。みりんちゃんは賢いなあ」

えへへ。学園トップの学力とも称される方に賢いって言われると嬉しいなあ。きっと馬鹿にされてるけど。あとそんな学説はおそらく私以外は信じていない。ちなみに飛車を振っても賢くならないのは、他でもない私自身が証明している。悲しい。


「だからみりんちゃんが元気になったのは、肇ちゃんのお陰なんだよ?」

「いやいや。振り飛車党員の敵ですよヤツは」

それはどこか確信めいた口調で。そのあまりにストレートな物云いについ否定してしまうけど。でも佐々良先輩の言葉が嘘ではないことは、他でもない私自身が一番分かっているわけで。


「けれど敵って言われて突き放された相手にも優しくしてくれるのが肇ちゃんの凄いところなんだよね」

「・・・なんか先輩に対する信頼高くないですか?」

肇ちゃんすごいbotかな?

私が将棋部に入部するまでこの将棋部には先輩と佐々良先輩の二人しか居なかったという事実は、その二人が唯ならぬ仲であったことを示しているかもしれなくて。ましてや二人は幼馴染な訳で。けどそれにしたって。

そんな私の脳内が伝わったのだろうか。佐々良先輩はその疑問に答えを返す。


「うん。だって肇ちゃんはヒーローだから」


「ひ、ひーろー・・・?」

それはいったいどーゆーいみで?一介の高校生を表すにしては大業な装飾語に目を白黒させる私を尻目に佐々良先輩は言葉を繋ぐ。


「だからね。これからも好きなままで居てくれると嬉しいなって。私と同じように、ね?」

「んっと。・・・振り飛車と美濃囲いを?」

「ううん。ふふ。分かってるくせに?」

「・・・・・。」


どう返答したものかと口をつぐんだ私を気にする素振りも見せずに、

「それじゃあまた明日ね?」なんて軽く手を振ってその場を離れる佐々良先輩にこちらも「じゃ、じゃあ明日ですっ!」なんて慌てて返すしかなく。


結局、ヒーローとはどういう意味であったのか。尋ねることは出来ないままで。


果たして。佐々良先輩が私に好きであり続けて欲しいと願ったのは、将棋なのかそれとも幼馴染の彼なのか。それもまたはっきりとしないままで。


振り飛車は負けない。大楽勝である。そこに疑いは一片もないけれど。さてはて。


幼馴染には勝てるのだろうか。


私とは反対側のホームへと歩みを進める佐々良先輩の後ろ姿を見送りながらそんなことを考えたり。

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