振り飛車党が絶対に負けないラブコメ

らんたんるーじゅ

第1話 振ったこと後悔しても良いんですよ・・・?(相振りは苦手)

「先輩・・・。どうして振るんですか・・・?私、何度もお願いしてたのに・・・!」

冬の放課後。文化部棟の最西端に位置するここ将棋部室ではとある少女のすすり泣きがこだましていた。将棋盤を間に挟みただひたすらに涙を拭う少女とそれを困惑した眼差しでただ眺めるボクという構図は中々の修羅場であり、涙を流す彼女の顔面偏差値が平均ラインの遥か上空を滑空しているという事実を鑑みるに、今この場に一切の事情を知らない人が訪れたならば全面的にボクが悪者扱いされるのは火を見るより明らかであった。


いやまあ確かに。彼女の言葉通り、彼女が泣いた原因は他でもないボクである。部室にやって来た彼女のいたいけな要望を無下にして振ったのが駄目だったのだ。


飛車を。


▲7六歩△3四歩▲6六歩△3二飛 

将棋がちょっと出来る方々ならお察しの通り、角道を閉じた瞬間に飛車を三筋に振ったのがボクである。振り駒もせず先手を取った彼女に対する意趣返しのつもりだったのだが、4手目を指した瞬間の彼女の顔面と言ったら筆舌に尽くしがたいくらいには崩れていた。より正確な描写に努めるならばボクが飛車を持ったあたりで、普段は少し吊り上がっている眉が下がり、駒を3二の地点に置いたあたりでその大きな目の端からは水滴が見えた。

指した瞬間に悪手だと分かるあの感覚。それは将棋指しの端くれならだれでも一度は経験したことがあろうが、全身の毛穴が一気に開いたかのようなあの何とも言えない感覚を初期局面から僅か4手目で経験することになるとは今の今まで想像だにしなかった。


つーか泣くほどか。対抗型への愛が深すぎだろ。仮にも振り飛車党を名乗るなら相振りも勉強しろよ。なんてことは口が裂けても言えない訳で、なんとかして目の前の少女をなだめにかかる情けないボクである。


「いやな?あまりに『振るなよ振るなよ』って言うからさ。フリかな?って」

「純粋関東人の先輩に関西人的なノリは一切求めてないですっ!ってか可愛い後輩の頼みなんだから素直に聞いて下さいよっ!」

「そうは言うけどなあ。人の嫌がることを進んでやれって幼い頃からじっちゃんに言われて育ったし」

「それ、そういう意味じゃないですからね!?」

「あと相振りなら角道開けてる方が有利だし」

ま、そっちが本音だ。現実社会ならともかくとして、この将棋というゲームは人が嫌がることを積極的にやり、やられる世界なのだ。それはたとえ対局相手の超絶美少女が目じりに涙を溜めようと、である。むしろ喜々としてやるまである。なんたって彼らはこと盤上に関しては意地の悪い連中の集まりなのだから。

・・・盤上に関しては。うん。大事なことなのでこの文章は2回ほど重ねる必要があるかな。コンプライアンス!


「つーかそんなに相振りが嫌なら飛車先突けよ。そっちが居飛車で挑めば対抗型になるんだから」

しまった口が裂けた。と焦るが寸刻、今度は彼女の顔に青色で縦線が入る。先ほどまで溜めていた涙は一体何処へ消えたのか。クルクルと表情を変えるその様は、傍から見る分には楽しい奴である。描写カロリーが高いので作画班は大変だろうが。


「先輩が私に婉曲的に死ねと仰る・・・」

「いや、なんで!?」

「ってか振り飛車党に飛車先を突けなんて言ったら自殺幇助で捕まりますよ?」

「んな馬鹿な。飛車先伸ばした程度でいちいち罪に問われるような物騒な世界になったら誰も将棋なんか指さねえよ」

「ええ。そうやって世は振り飛車党だけとなり、危険因子が消えた世界は平和と平穏が保たれる訳です」

「その選民的思想を見るに危険なのはむしろ振り飛車党・・・じゃねえな。ただただお前が危ねえ。危険思想をまき散らして他の良性な振り飛車党たちを巻き込むな」

「むぅ。ま、いっか。相振りなら私が勝っても、先輩が負けても、振り飛車が至高であるという事実に傷は付かないし」

「・・・そういう考え方もあるのか。ん、いや待て?今の発言、どっちの結果になっても構わない的に聞こえるけど、ボクが負けるかお前が勝つかって実質一択じゃねえか」

「そこに気付くとは流石は先輩。飛車を振ると知能も爆上がりすることが証明されましたね?やはり振り飛車は至高」

「お前、いつか絶対人気のない路地裏で刺されるぞ・・・」

「けどその時は先輩も一緒に刺されるはずなので、先輩も気を付けて下さいね?」

「え、どうして・・・?」

「つまり私が危険な路地裏を通る時は隣に先輩が居て欲しいってことですよぅ。あ、ちなみに私の通学路は実にその8割が路地裏で構成されているので、ほぼ一緒に通学することになっちゃいますねっ!喜ばしいっ!」

「お前の家って謎の地下街かどっかにあんの・・・?」

「んっと。時に先輩?」

「ん?」

「んじゃ、そろそろ再開しましょうか」

ニッと僕に向けて微笑んだ少女は、その笑みを保ったまま盤上に視線を向け、迷わずに飛車に手を伸ばす。そして盤上から浮かせることなく、指二本で押し付けるように横へとスライドさせた。


▲7八飛


それが呼び水になったかのように静寂だけが支配する。壁に掛けられた時計の針音と時に響く駒音。それ以外は何も聞こえない二人の世界の中で眼前の少女は目を細め、口を結び、思索を繰り返す。それは普段の明るさだけで生きているような彼女から最も遠いところに位置する表情であったが、彼女が見せる数多の表情の中でボクが最も好きな表情であった。

ま、そんなこと口が裂けても言えないが。



☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「・・・ありません」

そう発すると駒台代わりにしている駒箱に手をかざし、彼女は頭を下げた。

先手玉には頭金までの詰みがあり、後手玉はこれから2手連続で指し続けてもまだ詰まない。俗に言う3手スキの局面である。

べつに彼女が普段の力を出せなかった訳ではない。盤上に描かれたこの局面はただただ順当な結果であり、つまりはこれがボクと彼女の実力差だった。


「んー。やっぱり振り飛車は最強でしたね?」

おどけた調子で終局後の一声を発する彼女。だけどボクはそんな彼女の声が震えていたことに気付いてたし、この対局中ずっと顔を赤くして考えていた将棋指しがそんな簡単に切り替えられないことも知っていた。

とは言えボクがやるべきことは野暮にそれを指摘することじゃ勿論なくって。


「はいはい。んじゃ振り返りでもやるか」

彼女の軽口に合わせる形でボクらは感想戦へと移行した。



☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

「というかなんでそんなに振り飛車に拘るんだよ。お前の将棋歴ってまだ1年未満だろ?拘りを持つような時期じゃなくねえ?」

感想戦も大方終わり、他愛のない雑談の中。ボクは前々から少し気になっていることについて尋ねてみた。

彼女が将棋部に入部したのは昨年の春で。しかも色々と無理を言う形でこの将棋部に引き込んだ彼女は、それまでは将棋なんてルールすらも知らなかったはずで。

それが一体なにがどういう理屈でこうも大分偏った振り飛車愛に溢れる人間と化してしまったのか。もしかして指導者が悪いのか?つまりそれはボクのことなのだが。けど居飛車党であるボクと将棋を指し続けて振り飛車偏狂者が産まれるとは道理に合わない。それともボクの将棋は対局相手を振り飛車狂へと導く何かがあるのかしらん。

なんて。一切中身のない思索に耽っていたボクを彼女が現実に戻す。


「・・・だって」

一瞬だけ言い淀んだ彼女は、けれども直ぐにニッと口角を上げて笑う。

「んっと。先輩?私の夢を聞きたいですか?」

それはいつもの明るく可愛い彼女だった。


「・・・いや全くもって聞きたくないけど?」

というか会話が繋がってないだろ。なんで振り飛車党になった経緯を尋ねて夢の話になるんだよ。私は私、貴方は貴方で互いに勝手指しして最終的に一本の線になるのは盤上だけだろ。なんて。


「私の夢はですね――

ボクの脳内ツッコミを意に介さず彼女は自身の言葉を指し続ける。



「対抗型で勝利を収めた後、対局相手からの『どこが悪かったですか?』の質問に対して超クールに『・・・飛車先を突いたことじゃないですか?』って言い放つことですっ!」


「聞くだけ損したわ。つーか暗すぎるぞ、その夢」


布留川ふるかわみりん。底抜けに明るく、最高に可愛く、万華鏡のようにクルクルとその表情を変え続けるボクの一つ下の将棋部の後輩。

そして。ボクが知る限り最狂の振り飛車ジャンキーである。



☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

深夜を回る。寝付けない、けれどもやることもない私は無為にベッドに横たわり今日先輩から投げ掛けられた言葉を反芻する。

「なんでそこまで振り飛車に拘るんだよ」

・・・だって先輩が教えてくれたんじゃないですか。と。喉まで出かかった言葉を寸のところで押しとどめたあの時の自分を自分で褒めたいような、意気地なしだと罵りたいような。相反する感情の中で一つだけ確かなのは先輩への気持ちだけで。



☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

阿僧祇あそうぎはじめ

入学直後。自身の右手首と共に何もかもが折れてしまいフラフラと文化部棟へと足を運んだ私に声を掛けた男はそう名乗った。

「阿僧祇ってこれまた大業な苗字ですね」

正確には知らないが、京とか垓とかと同じくなんかとっても桁が大きい数字を表す言葉だったはずである。と、相手が先輩だとは露とも知らず、回らない頭の中でただ思い付くまま言葉を発した失礼な新入生に対して気にする素振りすら見せず、彼は誇らしげに返した。

「おう。阿僧祇は10の56乗を表す日本語で、肇はその言葉通り一番最初って意味だな。つまりボクは最高にビックな男であると言える!」

「背は低いですが?」

「いや初対面でそこ触れる!?一番気にしてるところなんだぞ!ボクがビックな男じゃなければ君の眉間に飛車をぶつけてたよ!?」

「・・・テンション高いっすね」

懐かしいな。なんだか昔の自分を見ているようで。私も背丈の事でからかわれた際にはバスケットボールを投げつけてたっけ。なんて。 ―飛車?」

ふっと。頭の中で考えていたことが声に出てしまった。駄目だな。思考と発言とに境目が無くなるのは危険な兆候。そろそろ彼から離れるべきか、などと思っていた矢先。先ほどより更にテンションを上げた彼の言葉が私を襲った。

「お、飛車を知ってる!?ってことは将棋を知ってる!?」

「・・・喰い付き凄いですね。いやまあ、名前くらいは知ってますけど」

けどそれ以外は何も、そう続けようとした私をねじ伏せるように彼は続ける。

「なら話は早い!将棋って凄いんだ!駒の種類は8種類。枚数も先後合わせても40枚。升目も9×9の81マス。そしていつも同じ初期局面からスタートするのにその有効局面数はゆうに10の60乗を超えると言われてる!10の60乗だぞ!?阿僧祇以上だ!つまりボク以上にビックな存在と言えるんだ!」


・・・はあ。

「・・・はあ」


思考と発言が完璧に一致してしまった。これは先ほどよりも悪い状態なのか、それとも良くなっているのだろうか。


いや知らないって。なんかめっちゃ熱量は伝わるけど。伝わってるの熱量だけだって。しかも将棋がじゃなくって阿僧祇くんが熱いなって感じだし。


だけど。それはほんのちょっとだけ前の私に似てて。彼を馬鹿にしてしまえば、それは当時の私すら否定することになる訳で。

だったら。


「あの。でしたら。私もその将棋ってヤツ、やってみても良いですか?」


文武両道を唄う我が学園は全校生徒が『自主的に』部活動に所属することを義務付けられている。入学1週間前に右手首を疲労骨折し、大好きなバスケはおろか運動をすることすら禁じられた私にとって、とりあえずでも籍を置ける文化部を探すことは急務であった。そう。なんでも良かった。どこでも良かった。

だったら。あの時の私と同じ匂いのする人の近くに居たかった。あの頃に戻れる訳じゃない。けど、あの頃を忘れないで済むかもしれない似たようななにか。そのなにかで満たされることはきっと幸せであるはずだから。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

”これにて振り飛車大楽勝”


その後、実は私より1学年上であったと知った先輩から仮入部初日に貸して貰った棋書をパラパラと眺める。それは初心者向けと銘打ちながらもあくまで駒の動きを知ってる前提の人に向けた棋書であり、当時の私には一切分からなかった代物だった。けれども書いてある日本語が全てが読めない訳でもなく。


「なるほど。これで振り飛車って読むのか」

今日、先輩が盛んに発していた謎の言葉「フリビシャ」の字が判明し、少し賢くなった気分になった私は頬を緩めた。


大楽勝って書いてある局面図はただの白黒の絵画にしか見えず、というかどっちが勝ちなのかすら分からなかったけど。


けれどもそんな底抜けに明るい太鼓判に、当時の私はなんだか救われる気持ちになったのだ。




☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖☗☖

そう。振り飛車は強いのだ。

今はまだ全然だってわかってるけど。あの先輩相手にだって大楽勝と笑える日が来るのだ。

きっと。いつか。


将棋も恋も未だ外せない右手首の留め具さえも。全部一緒くたにして笑える日が来るのはずなのだ。

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