第18話~ゆりかご~

 眩い光の中、籐で編まれたゆりかごが、静かに揺れている。さっきまで雪国にいたせいか、部屋の中が酷く眩しく感じた。

 目を細め、ゆっくりとゆりかごに近づく。レナは、いつも通りボクを見上げて、嬉しそうに手をばたつかせてくれるはずだ。絶対に、そのはずだ。それなのに、足の震えが止まらない。

 もうすぐゆりかごの中が見えるという時になって、ついに足が言うことを聞かなくなった。分かりきった未来が、恐ろしくて仕方がない。

 それでも、覚悟を決めて、ゆりかごの中をそっと覗く。

 レナはいなかった。

 あまりに信じがたくて、呆然と立ち尽くす。何でいないんだ。昨日まで、確かにここで寝ていたのに…

 部屋の隅で、アルメニアが泣いている。泣き声がうるさく耳に響き、頭をずきずきと刺した。黙ってほしいと思ったが、口には出せない。

 アルメニアが、嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れに何かを言い始めた。

「ごめんなさい…本当に…ごめんなさい…。レナ…連れて行かれて…しまいました…」

 涙が頬を伝い、光をはらんで光っている。ボクはその涙を、ぼんやりと眺めた。

「…どういうことですか。この街は守られているはずです。そうやすやすと、侵入されるはずがない。」

「わたしもそう思っていたのですが…、金髪翠目の少年が城まで来て…、あちこち潰していって…」

 ボクは頭を抱えた。ボクの首を潰そうとした少年の、残忍な顔が脳裏を掠める。

「…レナを引渡さなければ、皆殺しにするとでも言われたんですか?」

「…いえ、レナを引き渡せば…レイト人全員を見逃してやると言われました…。わたしは皆さんの帰りを待とうと言ったのですが…兄が…渡してしまって…」

「また、あいつか…」

 つい口走る。「え?」とアルメニアが顔を上げた。ボクと目が合った途端、顔が恐怖に引きつった。

 ボクは、恐ろしいほど残忍な顔をしていたのだろう。

 頭の中が黒々とした憎悪に満たされ、視界が闇に染まる。

 遠くでアルメニアが「待って!」と叫んだ。だが、ボクはそれを無視して走り出した。

 階段を上り、廊下を曲がる。丁度部屋に戻ろうとする、赤い髪の青年を見つけた。

「アスシオン!」

 ドスの利いた声で怒鳴る。アスシオンが、ビクッと身体を震わせて振り返った。猛烈な勢いで突っ込んでくるボクを、まじまじと見ている。

「…ベオグラードかい?一瞬誰か分からなかったよ。そんなに急いでどうしたんだい?」

 驚きながらも、普段の薄っぺらい笑顔をボクに向けた。

 なぜ逃げない。ボクが何をしようとしているか、分からないのか。

 ぎりっと奥歯を噛み締め、拳を振り上げる。アスシオンの顔に恐怖が浮かんだ。だが、もう遅い。

 思いっきりアスシオンの頬を殴った。ごっという鈍い音がして、アスシオンが勢いよく吹き飛ぶ。

 ボクはまるで威嚇するように犬歯を剥きだし、口から血を流して倒れるアスシオンの胸ぐらを締め上げた。

「どうしてボクを待たなかった!答えろ!」

 感情を爆発させるボクを見て、ひび割れた眼鏡の奥で、赤い瞳が細くなった。

「君は何をしているのか、分かっているのかい?ぼくはレイトの長の息子だ。それを殴るなんて…気でも違ったのかい?」

「うるさいよ。そんなことは聞いてない。どうしてレナを差し出したのか、さっさと答えろよ。」

 低い声で威圧する。アスシオンは、口からぺっと血を吐くと、薄笑いを浮かべた。

「どうしてだって?分かりきったことじゃないか。竜の子一人を差し出せば、レイト人は助かるんだ。君に判断を仰ぐようなことじゃないだろ?」

 さも当然というような表情。ボクに殴られた頬を擦り、「急に殴りかかるなんて、信じられないよ」とボクを睨んだ。

 この顔を血まみれにして、ぐちゃぐちゃにしたい。

 自分の瞳が痛いほど吊り上がるのを感じた。もう一度、殴ろうと拳を振り上げる。だが、振り下ろす前に、がばっと後ろから羽交い締めにされた。

「何やっているんだ、ベオグラード!やめろ!」

「…邪魔しないでもらえますか、ジユル。ボクはこいつを殺します。」

「落ち着けって!アスシオンを殺したって、レナは戻ってこないだろ⁉」

「そんなこと…、言われなくても分かってるよ…!」

 泣き出しそうなのを堪える。咽喉が潰れるように苦しいのを我慢して、言葉を吐きだした。

「分かっていても…こいつを殺したくて殺したくて仕方がないんだよ!イズミルを殺されて、その上、レナまで奪われて…。もう我慢の限界だ!こいつを殺したって、誰も困らないじゃないか!」

「困るよ!アスシオンを殺したら、あんた、もうこの街にいられなくなるだろ!」

 その言葉に、はっとさせられた。そうだ。確かに、そうだ。竜の国と敵対し、周辺諸国からも逃げ帰り、さらにレイトにもいられなくなったら、もうどこにも行くところがない。人里離れた場所に、死ぬまで一人で生きて行くことになる。それは寂しい。

 それでも、悔しくて悔しくて、涙が出た。

 溢れ出した涙が目じりや目頭から、頬に伝う。殴られてあちこち開いた傷に染みて痛くて仕方ないが、涙を止めることができない。

 ボクを押さえつけていた力が緩まる。ボクは地面に突っ伏して、声をあげて泣いた。街の守りなんて、もうどうでもよかった。ただ、今は悔しくて悲しくて、やりきれない。

 アスシオンが、何かボクに言っている。泣きすぎて、何と言っているか理解できないが、ジユルが怒っているのが分かる。きっと、ボクを罵る言葉でも吐いたのだろう。

 すぐ後ろで、セラムとイジュマ、アルメニアの声もする。同じように、少し怒っているような口調だ。

 はは、見ろ。ボクの方が、お前より慕われている。

 自分でも嫌な奴だと思う。でも、そんな感情がボクを支配した。昔は…、こんなやつじゃなかった。他人にまるで関心がなくて、ただ命令されたことをこなす人形。

 今、ここにいるのは、アドニとヤレンのおかげだ。二人には感謝しかない。

 だけど、アドニは救えず、ヤレンは死んだ。そして、レナも奪われた。確かに、レイトは救われたが、本当に救いたかった人は、誰一人救えなかった。

 虚しい。あまりに虚しい。

 涙を拭って、立ち上がった。皆、ボクに注目している。アスシオンは睨むように、他の人は心配そうに、ボクを見た。

 ぐずぐずと鼻をすすって、肩を落とし、背を向けて歩き出した。「え」とジユルが、ボクの肩を掴む。

「おいおい、どこ行くんだよ?」

「どこって…帰ります。」

「帰る…?」

「家に帰って、これから、どうするか身の振り方を考えます。レイトは、救われました。もう、ボクは用済みでしょう?」

 ジユルが複雑そうな顔で、ボクを見ている。ボクは、ジユルの手から逃れるように、歩き出した。誰も追いかけてこない。

 霧の街に来て、一年と半年。

 目まぐるしい日々だった。もっと長く感じたが、一つ歳を重ねただけしか経っていない。けれど、ボクにとっては何にも代えがたい大切な時間だった。

 その恩を返すには、一体、何をしたらいいのだろう。

 ボクは廊下の窓から外に出て、ぴょんっと地面に降りた。今日はよく晴れて、入道雲が空に浮かんでいる。セミの鳴く声も、うるさいほど、響いていた。

 後、ボクにできること…。それは一つしかない。

 *

 髪を切る。長い髪が、肩からぱらぱらと、床に落ちる。まだ、白髪になっておらず、真っ黒な髪が地面に積もっていく。

 鏡を見ながら切るのは、思いのほか難しく、おかっぱ頭になってしまった。髪の間に残った細かい髪を、手櫛で落とす。

 毛先が大分乱暴だが、ひとまずいいだろう。

 鏡に映る自分の顔をまじまじと見た。髪型を変えると、少しヤレンに似ている気がする。今までまったく気付かなかったが、もしかしたら、ボクはヤレンと遠い親戚なのかもしれない。まあ、有り得ないことだ。

 擦り切れた赤い髪紐を机の上に置いた。血や汗に薄汚れ、何度も洗われて、使い古された髪紐とも今日でお別れだ。

 髪が短くなっただけで、普段よりもずっと速く動けるような気がした。なぜ、今まで髪を切ろうと思わなかったのか、不思議だ。

 父から髪を切るなと、口酸っぱく言われてきたのを、従順に守ってきた。だけど、今切らなければならないと感じた。なぜだろう。今はまだ分からない。

 ふうとため息をつき、服を着替える。真っ黒な戦闘服。動きやすさを重視した特別な服だ。返り血を浴びても、真っ黒なまま。例え、己の血に塗れても、誰にも分からない。

 刀を握る。ずっしりと重い。腰に吊り、窓の外に出た。

 気持ちの良い風に、髪が揺れる。顔に張り付くのは、初めての感覚だ。髪を耳にかける。地面に降りようと、下を見下ろすと、セラムと目が合った。

「え?」と思わずつぶやく。セラムは、ふっと笑って口を開いた。

「下りて来いよ、ベオグラード。」

 驚きながらも、ぴょんっと飛んで地面に着地した。屋根の影になって見えなかったが、イジュマとジユルもいて、ボクに微笑んでいる。ボクは目を白黒させた。

「まだ城にいると思っていました…」

「だろうな。髪切ったのか。随分と、下手くそだな。おい、ジユル、整えてやれよ。」

「オレも不器用だから、イジュマ、お願いできる?」

「ええ、もちろん。」

 イジュマが家に戻り、ハサミを持って帰ってきた。ジユルが運んできたイスに座るように言われ、混乱しながら座る。ボクは髪を整えてもらっている間、頭の中を整理しようとした。

 まるで、ボクが窓から出てくるの待っていたような気がしてならない。

「セラム、あの…どうして、ここに?」

「どうしてもなにも、お前一人で行かせるわけないだろ?」

 その言葉にドキッとする。

「…どういう意味ですか。」

「しらばっくれなくていい。どうせ、一人でレナを助けに行くつもりなんだろ?おれたちも、一緒に行くよ。」

「それは…」

 ダメです。という言葉を飲み込む。ダメだと言っても聞いてくれるはずがない。

「…行けば、十中八九、殺されます。せっかく、助かったのだから、あなたたちはここで穏やかに暮らすべきです。」

「だろうな。」

 さも当然のように言った。ボクは唇を噛み締めてうつむく。

「それが分かっているのなら…」

「だけどな、おれもイジュマもジユルも、レナが大切なんだよ。正直、自分の命よりもな。もしかしたら、レナは今一人で泣いているかもしれない、もしかしたら、汚い牢獄に入れられて、食事も与えられずに…」

 声が震えていた。なんとか言葉にしようとしているのが伝わった。

「それなのに、助けにも行かず、ここでのうのうと暮らすことができないんだよ。それだけなんだ。分かるだろ?」

 分かるよ。痛いほど。

 恐る恐る顔を上げると、セラムが目を真っ赤にして、泣かないように堪えているのが見えた。それでも…、ボクは自分の大切な人が、これ以上死ぬ姿を見たくなかった。

「その気持ちは分かりますが…、死ぬかもしれない戦場に、連れていくことはできないです。ボクには、宝石に対抗する力もありますし、何より、あなたたちずっと強い。必ず、レナを連れ戻すと約束しますから…、どうか、待っていてください…」

 頭を下げる。髪を整える途中で動いたので、後ろでイジュマが困っているのが分かる。

 セラムが「ちっ」と舌打ちして、ボクの胸ぐらを掴んだ。目が合う。辛そうな顔で、ボクを睨んでいた。

「お前は、なんでいつもいつも、一人で抱え込もうとするんだ!いい加減にしろよ!おれにとって、お前もレナと同じように大切な人なんだよ!それを、一人で行かせるわけないだろ!」

「でも…」

「でも、じゃない!お前は、昔からムカつくやつだった。なんで、そんなに自分を大切にできない?お前のことを大切に思ってくれる奴がいることに、どうして気づけない?」

 ボクは答えられず、黙り込む。

 自分を犠牲にすることしか、恩返しする術を持ち合わせていないのだから、自分の気持ちなんて二の次にするしかない。気づいていたよ。ボクを大切に思ってくれていること。友として愛してくれていたこと。でもさ、それに気づいても、ボクは在り方を変えられないんだ。

 ボクはセラムの手に、そっと己の手を重ねた。

「気づいていないわけないじゃないですか。だからこそ、ボク一人で行きたいんです。」

 胸ぐらを掴んでいた手が緩まる。

「レナの為、ボクは必ず、生きて帰ってきます。信じてください。」

 セラムが口をへの字にして、黙り込んだ。目頭や目じりから、涙がこぼれる。すると、ジユルがボクの肩をぽんと叩いた。

「そっか、絶対に帰ってくると言ったな?それなら、オレがついて行く。」

「え…?ちゃんと話聞いてました?」

「ああ、聞いてたよ。ベオグラードはさ、ようは足手まといを連れて行きたくないんだろ?セラムは能力的に、戦闘には役に立たないし、イジュマも能力は強いが、非力だ。それなら、オレを連れて行ってよ。オレ、役に立つよ?防御も攻撃も移動もできる奴は、そうそういないだろ?」

 ジユルがニッと笑った。あまりのことに、開いた口が塞がらない。

「え、それ、本気で言ってるんですか?」

「もちろん、本気も本気。ダメって言ってもついて行くから。こうやって、言い争いしてる時間が無駄だろ?オレがついて行くから、セラムとイジュマは留守電ってことで、ほら行こうぜ。」

 強引にボクの手を引っ張て立ち上がらせた。この強引な感じ、アドニに似ている。

 心配、不安はぬぐえない。けれど、ジユルの言う通り、ジユルがいるかいないかでは戦い方が大きく変わる。それだけ、強力な能力者であることは認めるしかない。だけど、一つだけ確認しておくことがあった。

「…ジユルはしがみついてでも、ついてきそうですね…。でも、ジユル、もし…死んでしまったら、アルメニアを…置いていくことになるんですよ…。それでも、いいんですか…?」

「あんた、必ず生きて帰ってくるって言ったろ?だから、大丈夫だよ。それに、もし死んでも、アルメニアは別の誰かが幸せにしてくれるからさ、心配いらないよ。人間って、結局、心から愛して、この人しかいないと思っても、時が経てば、気持ちは薄くなってしまうんだ。そうやって過去とうまく折り合いをつけていけるから、大丈夫。」

 その口調は穏やかだった。ジユルは、明るい調子で言っているが、考えに考えた結果なのだと悟る。

「…分かりました。一緒に行きましょう。」

 そう返事をすると、嬉しそうにまたニッと笑った。笑い方がやっぱり似ていて、目頭が熱くなる。

 これから、戦いに行くのに、ボクは何を考えているのかと、反省する一方で、どうしても考えずにはいられなかった。

 どうあがいても、戦う運命にあるのに、ボクはあの人がやっぱり好きだ。胸が苦しいほど、彼が好きなんだ。

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