第7話~愛~
イジュマの涙を見た途端、最悪の結末が脳裏をかすめ身体が震えた。こんなにも恐ろしいと感じたのは初めてだ。それだけ、ボクにとって彼らは大切な存在になっていた。
ヤレンは、ぐっと口を拭うと立ち上がった。さっきまで吐いていたとは思えないほど、瞳に強い意志が宿っていた。
「ジユルがどうしたの。」
「それが…、血を流して倒れていて…!今、イズミルさんが応急処置しているので、すぐに来てください!」
「…分かった。イジュマ、落ち着いて。大丈夫。よほどのことがない限り、僕が必ず、君の兄さんを救うから。」
ヤレンは無理して笑って見せた。イジュマが涙を流しながら頷く。ヤレンは既に相当力を使って今にも倒れそうなのにもかかわらず、まだ誰かのために力を使おうとしていた。
ヤレンは、ゆっくりと歩きだした。その後ろ姿には並々ならぬ覚悟があった。
ボクはヤレンの代わりにはなれないが、せめて役に立ちたいと思った。その思いがボクを自然とヤレンの前に立たせていた。
「あの、ボクの背中に乗ってください。ボクが運びます。」
「いや、いいよ。そんなことしてもらわなくても歩けるから。」
「でも、急いで行きたいんじゃないんですか。それなら、ボクを頼ってください。」
ボクの言葉に何か思うところでもあったのか、口を一文字に結んだ。
ヤレンはほんの少しだけ思案し、大人しくボクの背中に身体を預けた。ボクは背中に感じた感触に驚く。今にも折れてしまいそうなほど華奢だ。
ヤレンはボクの首に手を回した。
「ごめん、ありがとう。」
人に礼を言われ慣れていないボクは、どう答えてよいか分からず、黙って頷いた。ボクはヤレンを背負いながら、まだ分からないことだらけだと思う。でも、分からないことがあるのは人間として当たり前なのかもしれない。
イジュマに案内されて、ボクは燃え上がる街を進んだ。すぐにイズミルらしき人影を発見した。
イズミルもこちらに気づき「こっちだ」と手を振った。
ジユルは地面に寝かされていた。腹部と左腕が真っ赤に染まり、瞳は閉じていた。ボクはその顔があまりに綺麗で穏やかだったので、本当に死んでいるのではないかと思う。
ヤレンがボクの背中から降りて、ジユルの脈を確認した。
「…気絶しているだけだね。命に別状はないよ。お腹の血は返り血だ。腕の傷が深いから、こっちは処置した方がいいね。」
そう言って腕に止血帯を巻き始めた。ボクは最悪の想定をしていただけに、ヤレンの言葉に拍子抜けした。
「えっと、イジュマの勘違いってことですか?」
「そうだね。ちゃんと確認せず、僕を呼びに来たんだね?」
「…すみません。動揺してしまって。」
「大切な兄弟だしね。気持ちは分かるよ。でも、次からは状況を正しく理解してから、報告してね。」
イジュマが申し訳なさそうに謝った。
ヤレンはジユルの腕にきつく包帯を巻くと、限界だったようで顔をしかめて地面に座り込んだ。
「今回は…僕たちの負けだね…。もうここに居てもやることがない。撤退しようか…」
そう言うと、げほげほと咳をした。もう吐くものがないのだろう、何度も透明な唾を吐いている。見かねたイズミルが、ヤレンに水の入った容器を渡した。
「無理し過ぎだ、ヤレン。さっきの光は君だろ?あんなに一気に力を使うな。」
「つい…ね。でも、無理しないと、勝てないから。僕の命で、レイト人が救われるなら、それでいいよ…」
その言葉にイズミルの顔がひどく歪んだ。
「やめろ!そんなことを言うな!君はどうして、いつもいつも…!」
イズミルが怒鳴った。ボクはその気迫に気圧される。イズミルの表情には怒りと、もう一つ別の感情が浮かんでいた。
ヤレンの顔にさっと赤みが差した。
ヤレンが怒鳴り返そうと口を開いた途端、ジユルの瞼がぴくっと痙攣した。ジユルは「うーん」と唸りながら瞳を開き、頭を抱えながら起き上がると、ヤレンとイズミルを見上げた。
「喧嘩は、だめっすよ。」
まさか開口一番にそれを言うとは思わず、ヤレンが声を出して笑い始めた。
「ふふふ、ごめんごめん。身体の調子はどうだい?」
「ちょっと貧血でくらくらするだけで、後は大丈夫です。すみません、オレ気絶してたんですかね?」
「そうだよ。イジュマを酷く心配させたんだから、謝っておいて。」
「本当に申し訳ないです…。」
ジユルが、しゅんとして謝った。それから立ち上がってイジュマを抱きしめ、何度も謝る。ボクはそれを見て血のつながった兄弟には、好きという言葉では表せない何かがあると思った。
ジユルが目を覚ましたので、ボクたちは街を離れた。ヤレンは疲れ果てて立ち上がることもできなかったので、イズミルに背負われていた。
ヤレンが小さく「ごめん」と謝る。イズミルはちらっとヤレンの顔を見て「私こそ怒鳴ってすまない」と謝った。
竜は疲れ果てた様子のヤレンをひどく心配して、顔を何度も舐めた。
ボクは彼らの様子を見て、ヤレンがどうして無理ができるのか、ほんの少しだけ分かった気がした。
ヤレンはただ自身の大切な人を守りたいだけだ。
*
あっという間にジユルが負傷して帰ってきたことが、霧の街全体に広がった。
すぐに医者が連れてこられ、山のように見舞いの品が届けられた。
一方、ヤレンは1日休息をとっただけで、すぐに復活してきた。まだ本調子ではないようだが、ボクのゲームの相手をしてくれるまでには回復していた。
ボクは砂の街での出来事以来、この戦いに疑問を持っていた。なぜ竜の人間が、ここまで執拗なほどレイト人を殺すのか理由がよく分からない。だが、それを誰かに尋ねてみようとは、どうしても思えなかった。その答えは自分自身で見つけるべきだと思っていたからだ。
ボクたちがいつものように夕食の支度をしていると、コンコンと裏の扉を叩く音がした。イズミルが怪訝な顔で扉を開くと、そこには黄色の髪を結った美しい女性が立っていた。瞳はオレンジ色で今は薄っすら涙がたまっている。
イズミルが大きく目を見張って口を開いた。
「アルメニア…!どうしてここに…!」
アルメニアがイズミルの手をつかんで、真っ直ぐイズミルを見つめた。
「お願いします!どうか、ジユルに会わせてください!あの人が怪我をして帰ってきたと聞いて、本当に居ても立っても居られなくて…。父の目を盗んで会いに来たんです。」
涙がはらはらと落ちる。イズミルがとりあえず中に入るように言うと、アルメニアは涙を拭いて中に入った。
アルメニアは上質なワンピースを着て、きれいな革靴を履いていた。ボクはこの女性が裕福な家の娘であることが分かった。
イズミルが困ったように頬を掻いた。
「アルメニア、長に知られたら、ジユルの立場が悪くなるのは分かっているだろう?」
「はい…、分かっています。それでも一目会いたくて…」
アルメニアがしゅんとうなだれた。
「会わせてあげなよ、イズミル。」
はっとして声がした方向を見ると、戸口にヤレンが立っていた。穏やかな表情でアルメニアを見ている。
「恋人に会いに来た人を追い返す通りはないよ。それに、ジユルも喜ぶだろうし。君からたくさん贈り物が届いたからね、礼が言いたいとずっと言ってたんだ。」
アルメニアの顔に喜びが浮かんだ。頬を染めて喜ぶ姿は、ボクには何だか眩しかった。
イズミルもそれ以上は言わず、イジュマに案内するように言った。イジュマと仲良く話しながら、アルメニアが2階に上っていく。
イズミルが困ったように頭を掻いた。
「まったく、困ったお嬢さんだ。」
「仕方ないよ。ジユルが好きで仕方ないんだ。彼女が長の娘という立場じゃなければ、ただ微笑ましいだけなんだけどね…」
その言葉でアルメニアが現長の娘であると知った。イズミルがため息をつく。
「既に私が元長の血筋であるからと睨まれているのに、アルメニアが見舞いに来たと知られたら、もっと立場が悪くなるな…。」
「まあ、僕も竜の人間だし、元からそんなに良く思われてないからさ、諦めなよ。」
ヤレンがぽんっとイズミルの肩を叩いた。イズミルが複雑そうな顔で、ヤレンを見降ろした。
「万が一、今の長が私たちを不要だと判断していたら、全員死ぬことになるんだ。それは、さすがに看過できないだろ?」
「そうだね…。そんなことが起きないように努力しないとね。」
ボクは黙って2人の話を聞いていた。ボクはまったく分かっていなかったが、レイト人の中にも派閥争いがあるようで、現長を推す派閥と、元長のイズミルを推す派閥が内部でにらみ合っているらしい。
ボクは既に竜の国という敵がいるのだから、内部に争わずに仲良くすればいいのにと思った。
先にイジュマだけが下りてきた。
「しばらく、2人で話したいそうです。」
「そうか、分かった。それなら、私たちは食事の支度を続けようか。」
そう言われて、ボクは止まっていた手を動かした。
ややあって、泣きながらアルメニアが2階かろ下りてきた。ジユルもアルメニアを追いかけて下りてくる。
アルメニアがわぁっと泣いて、イズミルの懐に飛び込んだ。
「イズミルさん!お願いします。どうか、ジユルに戦いに参加しないように言ってください!」
「ちょっと待ってくれ。そんなこと急に言われても困る。一体、どうしたんだ。」
「だって、だって、愛する人が傷だらけで帰ってきて、もしかしたら、次はし、し、死んでしまうかもしれないんですよ!?そんなの耐えられない…!」
イズミルが困り果てて、アルメニアの頭を撫でた。ジユルが申し訳なそうに謝った。
「本当にすみません。アルメニア、イズミルさんから離れろよ。迷惑かけんな。」
「あなたが戦いに出ないって誓ってくれるのなら、離れるわよ!わたし、いつも怖くて仕方がないの。自分の愛してやまない人が死ぬかもしれないなんて…」
アルメニアが癇癪を起して泣きじゃくった。ボクはその「愛」という言葉に頭を殴られたかのような衝撃を感じた。その言葉、アルメニアの表情、すべてがボクには初めての経験だった。こんなにも強い感情を他者に持つことができるなんて、すごい。ボクは心の底から沸き立つような感動を覚えた。
一方、イズミルにすがりついて泣いているアルメニアをどうすることもできず、ジユルが困り果てて眉をよせた。
「そんなこと言われても…。オレは神様に力を与えてもらったんだから、それを使わないわけにはいかないんだ。それにさ、オレはアルメニアを守りたいから戦ってるんだぜ。」
「でも…わたしは…あなたが隣にいてくれるほうが、ずっといい!」
その言われてジユルが黙り込んだ。あまりに解決しそうにないので、イズミルが助け船を出す。
「アルメニア、落ち着いてくれ。ジユルだって、本当はそうしたいさ。でも、その権利が宝石にないことを、君も知っているだろう?」
「分かっています!でも、でも…イズミルさんだって、愛する人が死ぬかもしれないと思ったら止めるでしょ?」
その言葉にイズミルの顔が強張った。ほんの一瞬だけ視線をヤレンに投げた。そこにいた全員が気づいたはずだ。
イズミルは目を伏せて口を開いた。
「…止めるかもしれない。だが、もうどうしようもないんだ。私たち宝石はレイト人の未来のために戦うしかない。どうしてもジユルを戦いから遠ざけたいなら、君の父上を説得する以外に道はないんだ。」
アルメニアの顔には諦めが浮かんだ。イズミルから離れて、すんすんと鼻をすすった。
「その通りですね…。本当にごめんなさい。イズミルさんに言っても、どうしようもないのに、八つ当たりですね…」
アルメニアが悲し気に微笑んで、ジユルを見た。
「ジユル、必ず生きて帰ってきて。わたしも、どうにかできないか、お父さんに言ってみるから。」
「必ず生きて帰ってくるって。だから、安心して待っててよ。」
ジユルがアルメニアをぎゅっと抱きしめて、頬にキスをした。
ボクは昔、父から聞いていた恋人の定義とあまりにかけ離れた様子に、自分の知識は間違っていたのだと改めて認識した。
恋人とは肉体的な関係だけではなく、精神的に強く結びついたものだと知った。
ボクは彼らを悲しませたくない。彼らを守りたいと強く思った。
*
ふと目が覚めた。
ボクはもう一度寝ようとしたが、何だか目が冴えて起きあがった。
ぐっと伸びをして髪紐で髪を結び、立ち上がった。今何時くらいだろうと窓の外を見る。まだ皓々と照る月が昇り、辺りはしーんと静まり返っていた。
ボクは窓から屋根に出た。冬と春の間の柔らかくほんのりと温かい風に髪が揺れた。
随分と髪が伸びた。そろそろ切ってもらおうか、などと考えていたら、ふと視線を感じて振り返った。
2階の屋根の上にヤレンが座っていた。ボクに気づき、目を細めて微笑んだ。
「こんばんは、ベオグラード。眠れないのかい?」
「ええ、目が覚めてしまって。」
「そっか。僕も何だか眠れなくてね。僕と少し話さない?」
ボクにはヤレンが疲れて見えた。ボクは頷き、屋根を蹴って飛び上がり、ヤレンの隣に着地した。
ヤレンがぱちぱちと手を叩いた。
「すごい!そんなこともできるんだね。いつもはちょっと眠そうにしてるのに。」
「元々、そういう顔なので…」
「ふふふ、そんな困った顔しないで。ちょっとからかっただけだよ。」
面白そうに笑ったかと思えば、考え深そうにポツリと呟いた。
「こうやって2人きりで話すのは初めてだね。あんなに無表情だったのに、ベオグラードは変わった。とてもいい変化だ。イズミルに逃がしてあげると言われて、君がその提案を受け入れなくて良かった。」
ボクは驚きのあまり「えっ」と声が出た。今までにないほど、自分がぽかんと口を開けているのが分かった。
「なんでそれを…」
「たまたま聞こえてたんだ。本当にイズミルはさ、甘いよね。」
ヤレンの口調は穏やかだった。ボクは責められると思っていたので安堵した。
「良かった。てっきり怒られるかと…」
「まさか、怒ることじゃないよ。ベオグラードが拒否するのは分かってたし、それに、イズミルの気持ちも分からなくないしね。もっと非情になればいいのにって思うんだけどね。僕の中で苛烈に燃えている怒りが、イズミルといると、ほんの少し弱まってしまうんだ。迷惑な話だよ、本当に。」
そう言いながら、ヤレンが右頬から顎にかけて薄っすら残った傷をなぞった。ボクはほとんどヤレンのことを知らない。だから、ヤレンの怒りが何かは分からない。昔なら、「どうでもいい」と切り捨てていたかもしれないが今は違う。
ボクは今まで疑問に思っていたことを、思い切って口に出した。
「ヤレンは竜の国の王族ではないんですか?どうして、レイトの味方をしているんですか?」
ヤレンは「ああ」と短く返事をして、申し訳なさそうに謝った。
「その質問には今は答えてあげられないよ、ごめんね。でも、まあ一言だけ教えてあげられるとしたら、僕は復讐のためにレイトの味方をしているってことかな。」
それ以上は教えてくれなかった。ボクはむしろ疑問ばかりが増えて混乱した。ではと、質問を変える。
「ヤレンはアドニを助けてくれました。それは、どうしてですか?」
「あー、まあ、その質問には答えられるかな。アドニは僕の兄のような人なんだよ。僕のことを本当の弟のように可愛がってくれた。だから、助けたんだよ。」
昔を懐かしむように目を細めた。ボクはその口調から、ヤレンにとってアドニは特別な人だと悟った。
「ヤレンはアドニが好きなんですね。」
「うん、そうだね。兄としてだけどね。君もアドニが好きなんでしょ?」
「えっと、そうですね。これが好きという感情なのは間違ってないです。でも、ボクは男だし、アドニも男なので、たぶん、友達とか兄弟とかに感じるものなんだと思います。」
「そうかな?僕には違うように感じるよ。それにね、性別はそんなに重要じゃない。好きだという感情はね、そう簡単なものじゃないんだよ。」
ヤレンが膝を抱えて、ボクに微笑んだ。ボクは月明かりに照らされて、淡く輝く青い瞳をじっと見つめた。
「…ヤレンはイズミルのこと、好きですか?」
突拍子もない質問に、ヤレンが動揺しているのが分かった。
「え?何で急に、そんなこと聞くんだい?」
「いえ、何となく気になって。」
本当は違う。霧の街に来てから、ボクはイズミルがヤレンを好いているのに気づいていた。だけど、ヤレンがイズミルを好きかどうか、ボクには分からなかった。
ヤレンはどう答えるか迷っているようだった。さっき、ボクがアドニが好きかと聞いた時には、すぐに答えたのに不思議だ。
ややあって、ヤレンは苦しそうに顔をしかめながら答えた。
「僕は…イズミルのこと、嫌いじゃないよ。」
「嫌いじゃない?つまり、好きってことですか?」
ヤレンは、今にも泣き出しそうな顔でうつむいた。
「僕には、その言葉を口にする権利がないんだ。意味が分からないだろうし、僕自身説明する気もない。だから、それ以上は聞かないで。」
ボクにはどうしてそんなことを言うのか理解できなかった。だが、あまりに悲し気な様子に何も言えなくなる。だけど、何だかこのままではいけない気がした。
ボクはアルメニアが言っていたことを思い出す。もしかしたら、明日死ぬかもしれないのに、何も伝えずに永遠に別れてしまうのは悲しい。何か理由があるのかもしれないが、ボクはちゃんと伝えるべきだと思った。いなくなってからは遅いんだ。ボクはそれが嫌というほど、よく分かっていた。
「ボクは最近好きという言葉や愛を知りました。今までずっと内側でもやもやしていた感情をやっと言葉にできるのが、今は嬉しいです。ボクは伝えたくても伝えられませんでした。だから、その…気持ちを伝えるってとても大切なことだと思うんです。だから、好きだという気持ちがもしあるなら、素直に伝えてあげてください。」
ヤレンの呼吸が一瞬止まった。うつむいていて顔はよく見えないが、肩が微かに震えている。ボクはすぐに嗚咽を堪えているのだと分かった。
ボクはヤレンを泣かせてしまったことに、激しく動揺した。
「ご、ごめんなさい…。ボク、何も分かってないのに…」
ヤレンは首を振った。
「…謝る必要はないよ。本当に…その通りだって…思ったんだ。まさか…君からそんなことを言われる日が来るなんてね…」
そう言って、ヤレンが顔を上げた。涙で髪が張り付いている。ボクは手を伸ばして、その髪を指でそっと払った。
ヤレンはごしごしと涙を袖で拭って、鼻をすすった。
「最近、自分の感情がうまく制御できないんだ。びっくりしたでしょ、ごめんね。」
「いえ…。ボクこそ、すみません。」
「そんなに謝らないで。むしろ、君からそう言ってもらえて、何だか目が覚めた気がするよ。僕は臆病だから、君のようにはできないけど…。それでも、いつか終わると分かっていても、伝えるべきなのかもしれないね。」
ヤレンが濡れた髪を耳にかけながら、独り言のように呟いた。その横顔は月明かりのぼんやりとした光に照らされているからか、儚くもあり、美しくもあった。
ボクはその言葉にこもっていた本当の意味を知ることはなかった。ヤレンは、ボクには本心を隠し、何も教えてはくれなかった。
でもヤレンの顔から、ほんの少しだけ疲れや怒りが消えたことは、確かに分かった。
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