第6話 元勇者の場合。
ペンにインクをつけ、紙に文字を綴る。
書いているのは日記だ。
田舎の村を飛び出したあの日から毎日欠かさず書いている。20年分ともなればそれだけで本棚が圧迫される量だ。
片目の感覚にまだ上手く慣れていないせいで字が崩れる。無いはずの左腕の痛みもたまにあるのだ。
「強がってないで代筆でも頼むか」
同じ屋敷に住んでる家族は赤ん坊二人を除いて全員が文字の読み書きができる。
剣士と魔法使いは実家で、神官ちゃんは教会で、戦士は俺が教えた。
あの頃はまさか俺が教育をする側になるなんて思ってもみなかった。
モンスターの群れに村が襲われそうな時に旅の途中だった冒険者達が助けてくれた。
彼等の活躍に感動した俺はカッコいい英雄に憧れた。特にものすごいスタイルのいい妖艶な魔女に。年上好きはここが始まりかもしれん。
考えなしに飛び出した。若さって奴さ。
唯一の持ち物だった剣はすぐ折れるし、宿に泊まる金もなくて馬小屋生活、ダンジョンに行くための準備でなけなしの金はなくなり、先輩たちのアドバイスを無視した結果死にかけたり。
「…………無鉄砲すぎだな」
口に出るくらい馬鹿やってるな。
一時期は問題児扱いされていたのが懐かしい。
剣術道場でコテンパンに叩きのめされて月謝を支払ってメシ抜きになった。
とにかく貪欲に学んだ。
力だけじゃ強くなれない。
命をかける仕事だったから、一つのミスが命取りだった。
運が良いから勝った……なんて言わないような戦いを目指した。
ソロだと限界があるので仲間を募った。
万全の状態で挑んだダンジョンで罠にかかった時は死を覚悟した。その経験があったからこそ魔法使いを助けることができた。
回復魔法を修得するために教会に行って驚いた。
『どの子を買いますか?』
田舎の村は村人全員が家族みたいなものだったから親無しは村全体で育てていたんだ。
それが、都会だと教会の資金源として管理されていた。……家畜と変わりないことを問い詰めた。
結果はどうしようもないってことだった。
依頼の報酬金のごく一部を寄付し始めたのは自己満足だったかもしれない。
だから神官ちゃんの時は勇者として腹を括ったんだ。せめてこの子だけはって。
年を重ねてから勇者になったのは結果的には成功だったかもしれない。
右も左もわからないガキの頃だったら戦士のことを化け物としてしか処理してなかっただろう。
以前に似たような人を見た。高齢の半人半竜の老師から教えられた人生観や武術はしっかりと戦士に継承してある。
『人の在り方を決めるのは外殻ではなく精神だ』
戦士はそれから俺によく懐いてくれた。
神官ちゃんも距離感の取り方に悩みつつも慕ってくれた。
剣士と魔法使いからはお人好しとか言われたし、教会からは俺を聖人認定しようとしていたが断った。
俺は根っからの善人でもなければ博愛主義者でもない。
モンスターを密輸して人里にけしかけていた盗賊を殺した。
ダンジョン内でお宝の奪い合いになった同業者も殺した。
俺が勇者であることを心良く思っていない連中が差し向けた刺客を殺した。
人間をそれなりに殺したんだ。全部にやむを得ない事情があったにしてもだ。
誰かを守ることは誰かを守らないことだ。
人徳に溢れていて敵を赦すことができる素晴らしい神のような万能の勇者であれば魔王とも分かり合えたのかもしれない。
直接対峙したアレは紛れも無い知性を備えた怪物だった。彼等も理由があって地上を支配しようとしていたのかもしれない。
「いかんいかん。……どうも感傷的になるな」
悪い敵を倒してめでたしめでたし。
それでいいじゃないか。
好きだった英雄譚はそれで終わっているのだから。
だから、これは日記に書いておくだけだ。俺の心の内に留めておく。
旅が終わってもやるべきことは山ほどある。
屋敷を建てて畑仕事だけってわけにはいかないのが現実だ。
神官ちゃんと協力して教会の在り方を変える。
剣士と共に対モンスターへの戦闘方法や必要最低限の剣術・武術を修めないとダンジョンに入れないような制限を国と協議する。
魔法使いと一緒に学院とは別のアプローチで魔法を研究する機関の設立。
戦士と旅の道中で築いた人脈を使って迫害や人生のドン底にいる人たちを雇用する商会の立ち上げ。
残りの人生の方が忙しいかもしれないな。
「退屈しないのはいいことだ」
日記を閉じて棚に片付ける。
寝室には剣士と魔法使いが待っているので足取りは重いが寝るとしよう。
旅の道中は意識しないようにしていたが、二人共今はとても魅力的な女性だ。
どうして俺なんかのことを好きなったのが今でも理解しかねる。
神官ちゃんを戦士の嫁にするのもそう遠くない。
子供達が自分ではいはいするのはもうすぐだ。
「勇者になれたおかげだな」
おしまい。
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