第15話
朝です。激しい雨音で目が覚めました。
珍しい事に今日のわたくしは誰にも起こされず、ひとりで起きる事ができたようです。
いつもなら行儀良くネリーが来るまでベッドでじっとしているところですが、今日はじっとしてなどいられません。
ベッドから抜け出してカーテンを開けます。ネリーに令嬢らしくありませんと注意されるのも覚悟のうちです!
激しすぎる雨のせいでよく見えませんが、何とか庭を見てみます。
………残念です。今日は庭の手入れをしていないようです。こんな雨の日ですもの、当然ですね。
それから、自分の頬をつねってみました。
――痛いです。夢では、ないようです。
自分が起きていると確認ができたので、日記帳を確認する事にしました。
日記帳は鍵のかかる引き出しに厳重にしまってあります。肌身離さず首にかけているチェーンを引き出し、鍵を手に取ります。
あああ手が震えて……止まって! 落ち着いて!
なんとか日記帳を取り出せました。ふう。
日記の一番新しい日付は昨日のものです。
ぱらりとめくれば小躍りして書いたかのようなへにょへにょした文字が目に入りました。昨日のわたくしは少し浮かれすぎだと思います。気持ちはわかりますが。
“今日は前々からの約束通り、ネリーと遠乗りにでかけました。しかも、護衛がジャックだったのです。
もしかして、少しくらいは話せるかもしれないと、わたくしは期待に胸を膨らませていました。”
そうです。昨日、わたくしは遠乗りにでかけたのです。
時折ジャックも遠乗りに出ているようですから、出かけ続けていればいつかはジャックとも行けるかもしれないと思っていましたけれど、まさか初回から一緒にいけるなんて想像もしていませんでした。
その時はとても驚いていたので気付きませんでしたけれど、考えてみればネリーの人選とすればごくごく普通の事でしたね。ネリーに感謝です。
でももう少し前から言っておいてくれればもっとかわいい服にしましたのに。……いえ。緊張で眠れなくなっていたかもしれませんから、知らされずにおいて良かったのでしょう。ネリー、ありがとう。
“遠乗りはとても楽しかったです。ジャックともたくさん話せましたし、ネリーはお花畑につれて行ってくれました。
お弁当もとても美味しかったです。ジャックも美味しそうに食べていました。ネリーに料理を習おうかしら。
今日のお弁当もネリーが作ってくれました。本当なら料理人に頼むところなのでしょうけれど、ネリーが言うには厨房の朝は忙しいそうなので、負担をかけないためにネリーが作るのだろうです。
ジャックが言うには「ただ単にセラフィーナ様に美味しいと言っていただけるチャンスを逃したくないんですよ」との事です。ネリーったら。
料理人達の仕事がなくならないように加減してね?”
お弁当を食べて、花をながめながら休んでいると、怪しい風体の輩が声を叫び声を上げながらやってきました。
手には木の棒なんかを持っていましたが、全員ネリーに返り討ちにされていました。
ジャックはわたくしを背にかばって守ってくれました。
ジャックの背中は大きかったです。”
わたくしったら、何を書いているのかしら! 冷静さを失っているのではなくて?!
か、書き直さなきゃ……。いいえ、まっしょうしなければ……!
インク壺インク壺……ペンはどこにしまったのだったかしら……。
“ネリーがわざと男達を逃がして目的や本拠地を探り当てに行きました。
わたくしとジャックは屋敷に戻るように言われました。まだジャックのぬくもりが”
キャーーーー!!
わ、わわわ、わたくしったら!!
はれんちです! はれんちですわ! 意味はよくわかりませんけれど!
お茶会でお姉様がたが仰っていたのですけれど、どういう意味なのでしょう。
きっととっても恥ずかしいという意味でしょうね。お姉様がたのお顔が真っ赤でしたもの。
こほん。気を取り直して……。
“まだジャックのぬくもりが思い出せる様です。
ネリーは伏兵がいた場合を考えて私にジャックの馬に乗る様に言いました。ジャックの隠形魔術で姿と気配を消すのですって。
ネリーは「ジャックがもう少しまともに魔術を扱えていたら二人乗りせずとも済んだのに」と不満顔で、涙目になるまでジャックのほっぺを伸ばしていましたけれど、わたくしはジャックと二人乗りできて嬉しかったです。
だって、ジャックとくっついていられるのですもの!”
――インク壺とペン探しを再開しましょう。まっしょうしなければ。
こんなものを誰かに読まれたらしゅうちで死んでしまいます。
ちゃんと鍵をかけてしまっていますけど、万が一という事はありますもの。
“ジャックと乗る馬はとても乗り心地が良くて、ふわふわとした気持ちになってしまいました。
背中にジャックの体温を感じるのです。陽だまりで昼寝をする猫はきっとこんな気持ちなのでしょうね”
ありました! インクとペン!
うう、ペンで間に合うでしょうか……。いっそ絵筆でもって塗りつぶしてしまいたいくらいです。
“ジャックは俯いて黙ったままのわたくしを怖がっていると思ったようで、いろいろな話をしてくれました。
出かけた先で見たいろいろな風景に、出会った人の話、食べて美味しかったもの。
王都を出たのが今日の遠乗りが初めてだったわたくしにはどれも興味深かったのですが、ジャックは姐さん姐さんとネリーの話ばかりをしました。
ですから、わたくしは”
思わず日記を閉じます。ううう。わたくしのばか。ネリーはちっとも悪くないのに。
ジャックだって、わたくしがよく知るネリーの話をしてくれただけだったのに。
“ですから、わたくしはおもしろくなくて、ばかな事を言ってしまいました。ああネリー、ごめんなさい。許してちょうだい。
本当にわたくしってば考えなしなんだから!
「ジャックはネリーが好きなのね」
なんて!
主人の立場にある人間が言うべき言葉じゃないわ! 恥を知りなさい!”
以下、数行にわたってわたくし自身への悪口が並べられています。
ここは残しておきましょう。未来への戒めに必要だと思うの。
――それを考えるとこの日の文章はすべて残しておくべきなのかしら。
――いいえ、やめましょう。ものすごく恥ずかしいもの。
わたくしへの愚痴がようやく終わった行に神妙な字で続きが書かれています。少しは落ち着いた様ですね。
“ジャックはわたくしの言葉を聞いてとても慌てました。慌てすぎて、馬から落ちそうになったくらいです。
「自分は姐さんの事を異性としてみていない」
「他に好きな人がいる」
と弁解するジャックを見て、わたくしは腹が立ってきました。
誰が見たってジャックはネリーの事が好きじゃない、ネリーだってジャックの事を憎からず思っているに違いないのに、なんて思ってしまったのです。ああ本当にばかなセラフィーナ!”
またわたくしへの罵詈雑言が続きます。わたくしは本当にばかですから仕方ありませんね。救いようがありません。
こんなわたくしを毎日、毎回、何をやってもほめてくれるネリーは実は天の御使いだったりするのかしら。
“不機嫌になったわたくしの機嫌を取ろうとするジャックに、いつもなら嬉しくてしかたがないくせ、その時は苛立ってしまうばかりで
「ネリーの事が好きじゃないならいったい誰が好きだっていうの?」
なんて事を聞くの、わたくし!! ぷらいばしーの侵害です! 雇い主失格です!
案の定ジャックは黙ってしまいました。
いくら主人とはいえ、ジャックを雇っているのはお父様です。
わたくしはお父様の娘だと言うだけで、ジャックの主人として振る舞ってられただけだったのに、黙ってしまったジャックにようやくその事に気付いたわたくしは慌てて謝ろうとしました。
けれどジャックはわざわざ馬を止めてまでわたくしの顔を覗き込みました。
顔を赤くして、少し怒ったような表情はいつだって大人っぽかったジャックをひどく幼く見せていました。つられてわたくしの頬も熱くなります。
「俺が好きなのはセラフィーナ様です」
すぐに前を向いてしまいましたけれど、私から見える首も顔も真っ赤でした。きっとわたくしの顔も全体が同じ色をしていた事でしょう。
「――言うつもりはありませんでした。忘れてください」
そう言われてしまいましたけれど、わたくしは大声で「いやです!」といいながらジャックに抱き着きました。ジャックが慌てようと、馬が動揺しようとお構いなくです。今思うととても危険でした。よく落ちなかったと思います。
「わたくしだってジャックが好きですもの!!」”
その後はまるで夢でも見ているかの様でした。
ネリーが帰って来るまで二人きりですごせましたし、昼間の報告が忙しかったネリーにかわって寝る前のお休みなさいをジャックに言えたり――。おかげで寝る直前までふわふわと夢心地でした。
今日ネリーに会ったら一番に伝えなくっちゃ。わたくしに好きな人がいて、それがジャックで、昨日両想いになれたって!
ジャックは平民だからお父様に反対されるかもしれないけれど、ネリーはいつだってわたくしの味方をしてくれるもの。
きっとわたくしが駆け落ちすると言ったって応援してくれるはずだわ。
――そういえば、今朝のネリーは遅いのね。外が暗いから寝坊しちゃったのかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます