第9話
わたくしには悩みがあります。
侯爵家に生まれ、裕福に育ってきたわたくしが悩みなんて、と言われるかもしれません。わたくしもそう思います。
けれど、今のわたくしには
わたくしの専属メイドのネリーはどこからどう見ても大人の女性です。
背はすらりと高く、いつもは魔術で隠している長くて黒い髪はつややかで、同じ色の瞳も夜空みたいでとてもきれい。
胸だってわたくしとぜんぜんちがって……。やっぱり男の人は胸の大きな大人の女性が好きなのよね……。
わたくしなんて背も小さいし、体のおうとつなんてぜんぜん見当たらないし、誉め言葉をもらう事があってもかわいいばかりだし……。
胸元に手を当ててみる。わたくしのまっ平な胸はわたくしの小さな手が余ってしまうほどにはまっ平です。ネリーの胸なら片方だけでもわたくしの両手ではこぼれてしまうくらい豊かなのに。
わたくしも大人になればあれくらい豊かになれるのかしら。豊穣の女神様にお祈りしておきましょう。
ネリーのようにぼん! きゅっ! ぼん! な体形になれますように。お願いします女神様……! あと背も伸びますように……!ネリーくらいとはいかないまでも、ジャックと並んだ時に兄妹に見えないくらい背が伸びますように……!
そう、わたくしの悩みは恋の悩みなのです。
叶うはずもない、必ず捨てなくてはならない悩みなのです。
ジャックもネリーと同じくウォルフィンデン家の使用人です。わたくしが八才のころからもう五年も仕えてくれているのですね。
たぶん十三才だったジャックも今年で十八くらい。昔からすごく大人っぽくて、背も伸びて、長身のネリーと並んでもすごくお似合いで………。
二人はいつも一緒にいるし、この間の休みにも二人で出かけたみたいだし……。やっぱり恋人同士なのかしら……。息ぴったりだし、ずっとわたくしの世話はネリーだけにまかされていたのにジャックも……。
……ううん、それはちゃんと理由があるし、ネリーは公私混同なんてしないもの。だから、二人が恋人同士の可能性は低いはず……よね? 二人からは何も聞いていないし………。ちがいますよね……?
今はジャックを見られる時間が増えた事を喜びましょう。
***
魔術無しでの戦闘訓練を終えた直後のジャックとネリーはひどい状態でした。
い、いったいどんな戦いをしたのでしょう。リージュがいなければ危なかったと聞いて血の気が引きました。
く、訓練……だったのですよね……?
応急処置しか済んでいなかった二人にリージュといっしょに治癒術を使いましたけれど……く、訓練………。
武人の訓練というものはこんなにも激しいものなのですね……。修練場も修理しないといけなくなったらしいですし……。
一度くらい見学してみたいと思っているのですけれど、ネリーが見学させてくれない理由がわかった気がします。ジャックの戦うところを見たいのですけれど。
……いつか見られる事を期待しましょう。その時のために防御と治癒を磨いておかなくては。がんばればネリーも見学を許してくれるはずです。……たぶん。
わたくしもネリーにけいこをつけてもらおうかしら。せめて護身術くらいは身につけておいたほうが良い気がしてきました。ネリーに頼んでみましょう。
訓練を終えたジャックはなんだかこれまでと雰囲気が少し変わったようです。
前はどこか自信なさげでしたが、魔術無しとはいえネリーに勝てたことで自信がついたのでしょう。ネリーにもしっかりと自己主張をするようになっていました。
ネリーの態度からするとそれすら想定内なのかもしれませんけれど。
ジャックのかっこいいところを見られたわたくしは幸せ者ですね。嫁ぐまではこの幸せが続けばいいのですけれど。
お父様とお母様はお見合いだったと聞きました。けれどとても仲が良いのです。
わたくしも将来は家のために嫁ぐのでしょうけれど、お父様とお母様のような関係を築ければいいなと思います。
――……ジャックの事が好きでも、わたくしは公爵家、貴族です。平民であるジャックと結ばれる事などない、という事くらいきちんとわかっています。
それでも想うくらい、憧れるくらいなら許されると思うのです。
それにジャックだってわたくしのような子どもに好かれたって迷惑なだけしょうし。ですから、この気持ちを告げる事はありません。
まだ十三才だからと婚約者も決まっていませんが、最有力候補者として名前が上がっているのはアラステア様ですね。
お父様同士も仲が良いですし、家柄も申し分ありません。釣り合いが取れています。
わたくし個人としてはアラステア様のような乱暴なかたとはあまりお近付きになりたくありませんけれど、貴族として生まれたからにはしかたありません。
なんとかして友好な関係を………。わたくしは虫が苦手なのですけれど、それでも友好関係を築けるでしょうか………。
やはりネリーに頼んで鍛えてもらったほうが良いようです。
ネリーやジャックほどの武人にはなれずとも、虫に怯えないくらいの胆力を育てなくては。でないとアラステア様と婚約しても続けられる気がしません。
うう。苦手を克服するのも貴族子女として大切な事ですものね。まずはちょうちょから始めてもらいましょう。ちょうちょはきれいですもの。ちょうちょは……。
それよりも今は楽しい事を考えましょう。
体力づくりにとネリーがすすめてくれた乗馬は予想通り楽しいものでした。
前は危ないからと、止められましたけれど、わたくしだっていつまでも子どものままじゃないのですよ。エヘン。
馬のルースもおとなしくてとても良い馬で、名前は我が国の神祖と言われている魔法騎士の一人からいただきました。最強の戦士だったそうです。
ルースはたいへん頭の良い子でわたくしが指示を出さなくても動いてくれるのですけれど、きちんと馬に理解のできる指示を出せるのが良い騎手だと言われてしまいました。
ネリーのような良い騎手になるにはまだまだ時間が必要なようです。
けれど、始めたばかりのころよりはずっとうまくなりました。「これなら遠乗りに行くのも問題ありません」とネリーのお墨付きをもらえましたもの。
ネリーの時間の都合がつきしだい遠乗りに行けるのです。まだ日程はわかりませんけれど、今からとても楽しみです。
遠乗りはお兄様達につれて行ってもらった事がありましたけれど、お兄様につかまっているのに精一杯で景色もあまり楽しめませんでしたもの。
たしか森の見える丘でお昼をとったはずですけれど……あまり記憶がありませんね。疲れていたのでしょう。帰りはネリーの馬に乗せてもらってゆっくり帰ったのですけれど寝てしまってやっぱり覚えていませんし。その後は怖くてお兄様達に誘われてもお断りしていました。
今度の遠乗りはゆっくり行って景色を楽しみましょう。ネリーならわたくしがゆっくり行って帰って来れる場所を選んでくれるはずです。
そういえば、お兄様達がつれて行ってくれたのは魔獣の出る王都郊外の森でしたっけ。
ネリーなら大丈夫でしょうけれど、いちおう言っておきましょう。遠乗りで行く場所は魔獣も魔物も出ない場所にして欲しい、と。できれば花畑が良いのですけれど……。
「お嬢様。ネリーです。入ってもよろしいですか?」
噂をすれば、というやつですね。さっそくネリーに言っておきましょう。
わたくしは元気よく返事をしました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます