第5話

「いやー、すげえよトミー。仕事熱心にもほどがあるわ」


 ウォルフェンデン家の地下の一室に簀巻きにされたトミーが転がっていた。悔し気に顔が歪んでいたが、口は堅く結ばれたままだ。


「で、誰に頼まれた? コザーズ家? スカーナー家? それともミゴット商会?」


 ニヤニヤとした笑みを隠さず転がされている自分に話しかけるバイロンを一瞥しただけでトミーはもとの体勢に戻った。眉間の皺が増えたのは気のせいではない。


「バイロン。あれほど無駄口は叩くなと言ったのに学習してくれないのね。特訓日数を伸ばしましょうか?」

「ウヒィ! イヤアノスミマセン、調子乗りました。仕事に戻りマース!」


 ネリーにねめつけられたバイロンがそそくさと出て行ったので、部屋の中にはネリーとトミーだけが残された。

 しんとした沈黙が降る。蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れた。


「トミー。これからあなたを尋問します。けれど体に聞く事はありません。あくまで口頭のみとなります」

「おやさしいことで」


 吐き捨てる様に言って、トミーはネリーを睨んだが、ネリーの表情は小動こゆるぎもしなかった。用意しておいた書類に目を落とす。


「まず、トミーというのは偽名ね?」

「……」

「出身を偽るなら特産品くらいは把握しておいたほうがいいと思うわ」

「…………」

「毒は質が悪すぎます。解毒が簡単なのは良いですが、本当に殺す気があるのかと疑いました」

「……………」

「仲間の引き入れ方は上手でしたよ。けれど、仲間はきちんと選びましょうね。捕まえた彼らは全員あなたの事をしゃべりましたから」

「………………」

「もちろん彼らもプロに相応しい程度の口の堅さではあったようなのですけれど。逃げられないと悟れるだけの賢さ、それを悟ったら自害を選ぶくらいではないと」

「…………………」

「他の屋敷では通用したかもしれませんがウォルフェンデン家では通用しませんよ。もっと事前調査を綿密にしないと。それから――」

「いっそころせ………」


 暗殺者としてのプライドをズタズタにされたトミーだった少年は屈辱で震えていた。暗殺を失敗したうえ、それを低評価されるなどどんな拷問だと叫び出したいくらいだった。

 ネリーは顔を伏せた少年がなぜ震えているのかがわからず首を傾げる。


「殺す気はないわ。あなたには転職を勧めたくて。あなたは若いし、身体能力はそこそこだから鍛えればそれなりになると思うの。魔力もないよりはマシな程度にあるし」

「ぐぅ……っ」


 自分の腕に自信があっただけ、ネリーの率直すぎる評価が心に深く突き刺さった。呻いた傷心の少年に再び首を傾げたネリーだったが、構わず続ける。


「月給のほかに特別手当が出る場合もあります。有給や傷病手当ももちろんありますし、今いる団体より厚待遇になりますが、どうでしょう」

「どうでしょうって言われてもな……」


 いつの間にやら自分の縄がすっかりと解かれている事に気付いた少年は起き上がる。すっかり強張ってしまっていた体をゆっくり解した。

 体を動かしてもネリーには何ら警戒した様子は見て取れなかったが、隙もまったくない。少年は舌打ちした。


「無理にとは言いませんが、依頼を達成できなかったあなたを再び雇おうという人間は皆無に等しいと思いますよ。ともすれば口封じの為に命を狙われるかもしれませんね。ですからこの屋敷で雇われたほうが安全ですよ?」


 短い付き合いではあったが、ネリーの性質は見てきた。嘘をついている気配はない。


「はっ。ほとんど脅しじゃねえか」


 肩を回しながら、少年はネリーを睨み上げた。ウォルフェンデン家に来てから幾度となく見てきた表情にはやはり何の変化も見られない。


「そんなつもりはないのだけれど」


 言って、ネリーは地下室の冷えた床石に膝をついた。少年と目を合わせる。見つめられたほうはわずかに身動みじろぎした。


「ねえ、名前はあるの?」

「――ない」

「そう。ならこれまで通りトミーと呼んで構わないかしら。それとも希望する名前があるのかしら」

「………」


 目を逸らし、黙り込んだ少年を上向かせ、ネリーは顔を覗き込んだ。動揺に揺れる瞳を不思議そうに眺める。


「ないなら、トミーと呼ぶけれど」


 ネリーの髪と同じ黒の瞳が蝋燭の灯りに照らされて、ゆらゆらと色を変えた。自分は魅了術チャームにかけられているのかもしれない、と思いながら少年は震える声をからからに乾いた喉からどうにか絞り出した。


「あんたに、付けて欲しいと言ったら?」


 ネリーの瞳が無表情に瞬いた。立ち上がり、考え込む。


「私が命名する場合は誰かに相談する様言われているのだけれど……」

「ジャックにか?」

「ええ。よく知っているわね。そんな訳だから名前を付けて欲しいのなら二、三日後になってしまうけれどいいかしら」


 少年は眉間にしわを寄せてひどく機嫌を損ねたようだった。その理由はネリーにはさっぱりわからない。


「今すぐ思いつくのはポチとかミケとかチビとか、シロとかクロとかチャイロとか」

「トミーでいいっすわー」

「あらそう」


 特に残念がることもなく、ネリーはあっさり考えるのをやめた。トミーになった少年は顔に似合わない凶悪さで舌打ちをした。


「それで、雇われてくれるのかしら」


 トミーは頭をかく。あぐらから立ち上がり、深く息を吐いた。門番をしていた頃の人懐こい笑顔はない。


「わかった。雇われてやるよ。今まで通り門番でいいのか?」

「いいえ。私の下で見習いから始めてもらいます。仕事内容は解りやすくいうなら護衛、かしら」

「護衛ィ? 暗殺者を護衛にするなんざ、正気じゃねえな」

「ですから見習いです。見習いは鍛錬しかさせませんよ。私は」


 ネリーの口の端がきゅうっと吊り上がった。骨の髄まで凍ってしまいそうな笑みだった。


「一人前になれるまで、しっかり鍛えてあげますからね」


***


 トミーは果実水をヤケ飲みしていた。レモン水に蜂蜜が入れてあって、さわやかで飲みやすい。

 バイロンが酒を片手に肩を叩いてくる。果てしなく鬱陶しかった。


「いやーすげーって! 一週間ももったんだろー? 誇っていいって! 俺は三日しかもたなかったから!」

「一日休みがあったんで六日ですよ」

「あ、そうだった? それでもすげーって!」


 今度はばしばしと遠慮のえの字もない力加減で背中を叩かれる。非常に鬱陶しかった。

 黒い髪をなびかせたネリーは恐ろしいほど美しく、かつ恐ろしく強かった。そのネリーと互角に渡り合っていたジャックを羨ましく思っている事に気付いたトミーはグラスの果実水を一気に呷った。先程からバイロンもジョッキを勢いよく空にしていっている。


「先輩。ジャック……さんに勝ちたいです」


 バイロンは束の間動きを止めて、それからジョッキを置いた。


「やめとけ。俺もせめてジャックにはってベッロベッロに酔わせたことがあるけどな」

「わあ、最低さすがです、先輩」

「うるへー。………それでも勝てなかったんだよ。こっちは本気出してんのに、ヘラヘラ笑いながら避けられて、手刀くらって終わったよ。そんなジャックが負け続けてる人に勝てっこねえよ。諦めろ」


 居酒屋に連れられて来てから初めてやさしく肩を叩かれた。トミーはつんと痛む鼻の奥をごまかしたくて果実水を注文した。酒を飲みたい気分ではあったが、酒を飲むと背が伸びないと聞いたためである。せめて背丈くらいは、と出された果実水を呷る。

 傷心の男達の飲み会は夜遅くまで続き、翌日トミーは初めて寝坊した。

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