第4話
ウォルフェンデン家の一室で報告会が行われていた。時刻はもちろん夜である。
当主のユリシーズが軽く咳ばらいをした。
「それでは今日の報告を頼む」
「はい」
家令のシルヴェスターがネリーに視線を向けた。ネリーは肯く。
「防護結界を超えて屋敷に侵入した二名を裏庭で発見、無力化したのち、ジェフさんたちにお任せしました」
庭師長のジェフが肯く。
「見覚えがありませんのでおそらく外から雇ったのでしょう。力量も大したことはありませんでしたが、口はまあまあ固いようです。賢いとは言えませんが」
ユリシーズは肩をすくめた。
「そのようだ。尋問の内容は任せる」
「了解です」
ジェフが肯き、シルヴェスターが「井戸の毒については」と話を振った。
「そうそう。ネリーのおかげで解毒術がやり易かったわ。いつもありがとうね」
「お役に立てて良かったです」
レイテリージュがネリーに微笑む。ネリーは会釈して返した。
「それも白状はしてませんが、状況を考えると犯人でしょうなあ」
「そちらに関してはまだ決めつけるのは早いと思います」
「というと?」
シルヴェスターの言葉にネリーは続ける。
「井戸に侵入者達は近付いていません。
「なるほど。つまり間者が入り込んでいる、と」
「そうです。バイロン」
「ハイ。先月入ったばかりのトミーですが、黒でした」
ユリシーズは僅かに呆気に取られたよう目を見張ったが、すぐにいつも通りの表情に戻る。
「もうか。随分早いな」
「真面目ですから。初日からやる気満々でしたよ」
バイロンは苦笑したふうに報告書へ目を落とした。
「一週間目は様子見で、その次から週一で遅刻してみました。本当、真面目なやつで三回とも仲間を引き入れてましたよ。まあ俺の名演技あってこそですけどね!」
「バイロン。そういうのはいいから」
「ハイ。で、俺が特訓で今日から四日間朝夕とトミーが一人になるので、たぶん何かやらかすでしょう。今日の夕方は様子見だったようなので、早ければ明日の朝には」
「そこを押さえる訳か」
顎を撫でるユリシーズにバイロンは肯いた。
「です。持ち物からして毒殺か、直接の暗殺だと思うんですけど、時間帯からいったら毒殺かなー」
「いやあ、けっこう腕も立つみたいだし、こっちを出し抜いて直接暗殺に走るんじゃないかあ?」
「お、賭けます? 俺毒殺で!」
「じゃー直接で」
「私は特別手当が欲しいから毒殺の方で」
朗らかにレイテリージュが挙手する。ころころとした笑い声はまるで少女の様だった。
「防ぎ易そうだから直接の方で」
続いて挙手したユリシーズにシルヴェスターが肯いた。
「では給料の一割、旦那様は金貨一枚で」
とたんに不満げな顔をさらしたユリシーズにシルヴェスターは肩をすくめた。
「これ以上は奥様に叱られますよ」
「む………。仕方ないか」
「シルヴェスター様。不謹慎です。バイロンの給料を減額してください」
「ナンデ俺だけ?!」
「じゃあその減らした分を掛け金に上乗せしておいてくれ」
「旦那様?! ヒドイ!!」
「ハハ、冗談だ」
ユリシーズが笑って手を振る。バイロンは胸をなでおろしながらネリーを見た。ネリーはいつも通り、まったくの真顔だった。
「すみません真面目にやります……」
「トミーの処遇ですが、可能ならばこちらに引き込みたいのですが、よろしいでしょうか」
「無視!」
よよよと泣き崩れるふりをしたバイロンだったが、やはりネリーはなんの反応も返してやらなかった。
そんな二人に表情を緩めながらユリシーズは鷹揚に肯いた。
「ネリーのところはいつも人手不足だからね、構わないよ。今度は辞めずに残ってくれるといいね」
「ありがとうございます」
「無理だと思うなー」
今まで静かにしていたジャックはぼそりと呟いた。
バイロンもジャックと同じくネリーの弟子だったが、修業についていけず門番に配置換えとなったのだ。バイロンに限らず、使用人の何割かはネリーの元弟子だった。だというのに現在ネリーの下にいるのがジャックだけというのは、修業内容がいかに厳しいかを表している。
「トミーが向かない様だったら新しく雇い入れる事も考えなくてはなりませんね」
「お手数をおかけします。
ジャックも人に教えてくれるようになったらもう少し人を増やす速度が上がるのですけれど」
「いや無理ですって……」
ネリーに視線を向けられたジャックは肩を落とした。
「姐さんから一本も取れないやつが人に教えられませんって」
「――そう」
ネリーは短くそう言って、視線を元に戻す。ジャックはぱちくりと瞬きした。
いつもなら蔑みの視線を浴びせられるのだが、今日は違った。一見、表情の変化は見られないが、何年も近くで見ていればわかるようになる。物憂げと言うか、何事か考え込んでいる様だった。
ジャックはさりげなくネリーとの距離を取る。何を考えているのかわからない時のネリーには近づかない方がいい。触らぬ神になんとやら、である。
その後、報告会は何事もなく終了した。
***
報告会の翌日の、昼下がりの事である。
ネリーは本を読んでいた。
読書はウォルフェンデンの屋敷に来てから覚えた習慣である。文字を覚え、文章を読む事ができるようになってから、いかに自分が物を知らなかったかを知ったネリーは体を鍛える傍ら、暇さえあれば本を読み、知識を吸収していった。ネリーの蓄えた知識のほとんどは本から得た物である。
「あ、姐さん……?」
「何かしら」
「な、なにをしてイルンデス………?」
「読書だけれど。何かおかしな事でもあったの?」
「あー~~、いえ、あの、おかしいというか、もしかして熱でもあるのかと……あっ、セラフィーナ様に薦められたんですね?!」
ジャックの指差した先にはネリーの読んでいる恋愛小説があった。最近巷ではやっているもので、庶民はおろか、貴族の令嬢までこぞって読んでいるらしい。ジャックは興味がないが、セラフィーナが読んでいるのを見た事があった。
けれどネリーは否定した。
「本の事? 違うけれど」
「えっ?!!」
セラフィーナが大好きなネリーの事だから薦められるがまま読んでいたのかと思えばそうではないようだ。ジャックは明日、いや今日は大雪でも降るのだろうかと思わず空模様を確認する。眩しいくらいの快晴だった。
「え、あの、じゃあ、それ、もしかして、………姐さんのご趣味で……?」
「そういう訳ではないけれど。参考になるかと思って」
なんの参考ですかとは聞けなかった。藪をつついて大蛇を出す気は毛頭ないジャックは「へぇーそうですかー」としか返せない。
「ジャック。あなたの指導時間を増やそうと思うのだけれど、体は平気かしら」
指導時間、イコール、ジャックが吹っ飛ばされる時間、である。
「えっ?! ええと、大丈夫ですけど。ハイ」
「そう。それなら予定が狂わなければ四日後から増やします。よく食べよく寝てすごしなさい」
「はい」
ネリーが何を考えているかはまったくわからなかったが、ジャックは神妙に肯いた。そっとネリーの顔色を伺うも、やはり何を考えているのかわからなかった。
「それから――」
「はい! なんでしょう!」
「街へ行こうと思うのだけれど」
「はあ。どうぞ……?」
ウォルフェンデンの屋敷から王都の城下町へは歩いて行ける距離だ。むしろ屋敷の門を一歩出ればそこが城下町だ。外出届を出せば簡単に行ける。
なぜわざわざ宣言を? と首を傾げたジャックにネリーは本の表紙を突き付けた。ハートや花が乱舞している、いかにも少女趣味な表紙だった。
「確認したいことがあるから付き合ってちょうだい」
「えっ」
「こちらは五日後。あなた、休日でしょう?」
「えっ、あっ、そうですけど、姐さんは休みじゃないでしょうに」
「問題ないわ。朝十時。噴水前に集合で」
「ええ? あの、うう、はい……。俺の休みが……」
こうして休みの予定が埋まったジャックだったが、ネリーと外で待ち合わせるなどまるでデートではないか、と気付いたのは前日の夜の事だった。
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