第3話:ジャック

 俺の名前はジャック。家名はない。孤児だから。あえて言うなら孤児院の名前のジンデルホーム。

 旦那様達に拾われたのが十二年前で、孤児院に捨てられたのがたぶん二才くらいだったらしいから、今はたぶん十八くらい。誕生日もわからないから新年にまとめて祝われていた。簡単でいい。今も年が明けると年を増やしている。

 世界は不平等だし、いろいろ理不尽な事が多い。

 今は魔術で髪色をごまかして明るい茶色に見せているけど、本来の髪色は紺色だ。

 白か黒に近ければ近いほど魔力が強い証になるので、俺も平民出身のわりには魔力が多い。たぶん。

 そのせいで親に捨てられたのだろう、と孤児院の院長先生も旦那様も言っていた。なぜなら、白は聖の色として喜ばれるけど、黒は魔の色として嫌悪されているからだ。

 魔術の溢れる世界で何をと思うが、俺は悪魔の子ではないかという訳で捨てられた訳だ。孤児院には俺と同じような理由で捨てられた子どもも大勢いた。

 実際は魔力の多さや扱える属性の多さなんかで決まるものらしい。つまりは迷信だ。

 迷信で捨てられた身としては無知とは怖いものだなあ、と思うけど、今は親の事を恨んでいない。おかげでウォルフェンデン家の使用人となれたんだから、むしろ感謝するところだろう。ここで執事ですと言いきれたら格好がつくのだけど、俺はまだまだで、せいぜい執事見習いと言ったところだろうか。

 先輩の姐さん――ネリーと同じくセラフィーナ様付きの使用人として日々がんばっているんだが、執事がやるような仕事はほとんど姐さんにさらわれていく。姐さんはセラフィーナ様が大好きなので。

 執事見習いの見習いを取るためにも仕事を回してくださいと訴えても、「万が一にでもお嬢様のスケジュールに穴が開くかもしれない事態は避けたいわ」と却下された。ひどい。

 そんな訳で俺は暇を作っては家令のシルヴェスターさんに執事の仕事を教わっている。……よく考えたら恐れ多いな。

 同僚兼上司のネリーこと姐さんは、だいたい八才の時から屋敷にいるらしいと聞いた。俺の体術と魔術の師匠だ。姐さんの師匠たちは隠居したり諸国漫遊したりしている。

 実は姐さんも魔術で髪色を変えている。ふだんは薄い茶色だが、本来の色は黒だ。烏より闇夜より黒い漆黒。俺も数回しか見たことはない。

 もともとはどこかの爵位持ちの貴族に生まれた姐さんは、両親のどちらの髪色でもない黒色を持って生まれたせいで、地下室で育てられたのだとあっさりした口調で言っていた。そこを旦那様に救われたと言っていたけど、もしかして、ウォルフェンデン家の親戚だったりするんだろうか。どうりで桁外れに魔力が強いわけだ。

 顔立ちは整っているし、体形は女らしいし、魔力は多いし、貴族の血筋だし、上手くすれば求婚されまくりそうなものだけど、本人にその気はないそうだ。実際、貴族や二枚目に求婚されても断っている。

 いったいどこから入手してくるのやら、いろんな人のいろんな情報を扱っている姐さんはセラフィーナ様の敵には容赦ない。例え相手が貴族だろうとだ。

 過去、セラフィーナ様が王太子の婚約者に選ばれるかもしれないという噂が流れた時――デマだったわけだが――我こそが王太子妃に! という貴族や、その位置を狙っているお嬢さんたちにセラフィーナ様が嫌がらせを受けた事があった。とはいえ、公爵家であるウォルフェンデンのセラフィーナ様に堂々と嫌がらせをする度胸のある奴はいない。せいぜいこそこそと悪口や陰口を叩いたり、お茶会に呼ばなかったり、オブラートにオブラートを重ねた解りづらい嫌みや皮肉を言ったりするくらいだった。

 もちろん俺たちがセラフィーナ様をしっかり護衛していたから実害などなかった。けれど、姐さんは怒った。


「醜悪で見るに堪えない芽は小さな内に潰しておかなければね」


 と口元だけで笑って、嫌がらせをしていた貴族たちを黙らせた。どうやったのか詳しい事は俺は知らない。ただ、セラフィーナ様がお茶会で故意にドレスを汚された次の日から嫌がらせはピタリと止んだ。前々から準備はしていたんだろうけど、恐ろしい手際の良さだ。

 セラフィーナ様の婚約者候補者たちもなにかと理由をつけて落としてるみたいだし。このままセラフィーナ様が嫁き遅れでもしたらどうする気なのか。アラステア様だってけっこうな好物件なのに落としたし。いやまああれはアラステア様も悪いけど。

 アラステア様はオールブライト侯爵家の次男で、濃い金髪に緑色の目という典型的王子様容姿の美少年で、運動神経も頭も悪くない。父君のオールブライト家のご当主とウォルフェンデン家の当主――旦那様だ――は仲が良く、家族ぐるみで会う事も珍しくない。

 だからひと月前もお見合いの練習みたいなもの、という事で年の近いセラフィーナ様とアラステア様のお茶の席が設けられたのだが、やんちゃ盛りのアラステア様はたぶん可愛い幼馴染の前でかっこつけたかったのだろう。

 いつもよりちょっとだけ乱雑な態度で、剣の稽古で褒められたという素振りを披露したり、庭園の花をちぎったり、と男の子にしてはありがちな事をしてしまった。

 最初はにこにこと話を聞いていたセラフィーナ様もだんだんと笑顔を引きつらせていき、バッタを目の前に突き付けられてとうとう泣き出してしまった。椅子から転がり落ちてしまったセラフィーナ様を指さして、「こんな弱虫がオレの婚約者こんにゃくしゃか!」と笑ったのは駄目だった。噛んで婚約者がこんにゃくしゃになっていたのを笑う余裕もないくらい俺もムカっときたが、姐さんはその比じゃなかった。


「――ジャック」

「ウッス!!!」

「お嬢様を頼むわね?」

「了解ッス!!!」


 ――あの時はアラステア様のご冥福を祈るしかなかった。五体満足で帰ってこられてヨカッタネ坊チャン!

 あそこまで肉体的にも精神的にもボコボコにされてなお姐さんに教えを請おうなんて、意外と根性があるよなあ。俺も人の事は言えないけど。姐さんと何回勝負したって一本すら取れないし。その内取るけど。絶対取るけど。

 まあそんな感じでセラフィーナ様の婚約者はまだ決まってない。アラステア様との婚約話は物理的に潰したけど、他のは裏から手を回してるんだろうなあ。釣書を飛び道具の的にしたり、焚き付けにしたりしてたもんなあ。旦那様の意向に逆らってはいないだろうけど、大丈夫か姐さん。

 俺も後ろ暗い噂が本当の奴らをこの屋敷に入れたくないけど。断られた腹いせにいろいろたくらんでた奴らを潰すの面倒だったからああいうのはなるべくない方向でお願いしたいもんだ。


「で、痛む箇所はありませんか、アラステア様」

「だ、大丈夫だ……」


 姐さんが抜けてからマラソンと受け身をくり返したアラステア様は荒い息を繰り返しながらも強がっている。見栄を張る元気があるなら上等だ。金持ちのボンボンにしたら根性ある。さっすが姐さんに教えを請うだけはあるわあー。

 水分補給がすんだら帰りの支度をさせなくっちゃなあ。

 ティーカップを飲み干したアラステア様はようやく一息付けたようだ。


「なあジャック。体力を付けなくてはいけないのはわかるが、なぜ受け身も練習するんだ? 我が家ではそんなに重要視していないが」

「あー、そうですねえ。それは方針の違いとしか言いようがないです。姐さんうちとオールブライト家の教育方針の違いですね」

「うちと……?」

「そうです」


 オールブライト家のというよりは、アラステア様に剣術を教えている人との違いだろうか。


「アラステア様がふだん師事しているのはセンドリック様――騎士でしょう?」

「ああ、そうだ。将来は騎士になるつもりだからな。素振りや剣の型を習っている」

「で、姐さんうちの場合は騎士じゃなくて、あくまで護衛の技なんですね」

「護衛」


 アラステア様が胡散臭そうな視線を向けて来る。うんうん。その気持ちすごくよくわかる。姐さんは護衛というよりやられる前にやれ! 攻撃は最大の防御! な人だからなー。


「えーと、騎士も素手だった場合の対応をその内習うと思いますが、うちの場合は武器がなくても戦えるように、剣も剣以外も武器にできるよう鍛えるんです。俺もけっこう何でも扱えますよ」


 そう、何でも。戦いになる前に潰すのもその一環だ。情報も武器になる。包丁でも、石でも、木の棒でも、薬でも扱える様にするのが姐さんの方針だ。お師匠様たちが聞いたら腹抱えて大笑いしそうだけども。


「だから素早さが重要なんですね。重い甲冑を着てたらもしもの時に動けないかもしれませんし。一回吹っ飛ばされたくらいで戦えなくなったりしないように受け身を取れるようにするんです。理想は吹っ飛ばされる前に勝つ事ですけど」

「………」


 稽古初日の今日、投げられる事なく終了し、姐さんの弟子にあたる俺に面倒を見られているのだから言いたい事はわからなくもない。


「エート、ですね。鍛えていればその内ぽんぽん吹っ飛ばされるようになるんで、落ち込む事ないですよ。投げられまくるのもわりと屈辱ですし!」

「……………」


 いっけね。さらに落ち込ませちまった。


「だ、大丈夫ですって! 五年も鍛えてれば初撃くらいは受けてもらえるようになりますって!」

「………………………」


 ――人を励ますってムズかしーなー。


「ジャック。正直に言ってくれ」

「う、はい」

「オレはネリーに勝てるようになるだろうか」

「―――………」


 俺は口を噤んだ。正直に生きるのもムズかしーなー!

 打ち沈んだアラステア様は次の稽古の約束をして帰って行った。

 さて、俺も仕事に戻りますか。

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