第2話

 修練場を後にしたネリーはそのままセラフィーナの部屋に向かうのではなく、裏口を出て井戸端へ向かった。

 井戸の縁をなで、水をくみ上げる。一口飲んでから懐から取り出した常備薬のいくつかを井戸へ落とし入れた。

 そのまま裏庭へ歩いて行き、いつの間にか取り出していた針型の暗器を無造作に木々の間に投げた。しかしそれは見る者が見なければ投擲動作を行ったなどとはわからないものだった。

 そのまま裏庭に罠が仕掛けられていないかを見回り、結界の綻びを直し、再び木々の前まで戻って来た。木々に紛れていた間者の意識がなくなった事を確認する。


「先輩方、お願いしまーす」

「はいよー」


 控えていた裏庭師達に声をかけ、裏庭を後にする。次に向かったのは門番の詰所だ。


「今日の当番だーれだー」

「うわっ! ネリー先輩!」


 飛び跳ねて驚く新人のトミーに構わず、ネリーは同じ言葉を繰り返した。笑顔で。


「今日の当番だーーれだーーあ」

「うっ、あ、あの、バイロン先輩です!」

「てめっこのやろ先輩を売るんじゃねえ!


 詰所の机に隠れていたバイロンはトミーを睨む。そんなバイロンを養豚場の汚物を見る目でネリーは見下ろした。


「バイロン。あなたはもう少しトミー君に先輩らしいところを見せてあげたらどうなんですか。どうせまた二日酔いか女性に振られたとかくっっだらない言い訳をするのでしょうけれど聞くだけは聞きましょう。今回はなにあってサボったんですか」

「イヤ、エット、今日ハデスネ、エート」


 あからさまに目をそらし、言葉を濁すバイロンの代わりにトミーが苦笑いして答えた。


「寝坊しちゃったんすよね、先輩」

「ア゛ーッ! テメー! トミー!」

「へえそうふううん」


 ネリーは笑顔だった。あくまでも。どこまでも。


「なるほど。理解しました。寝坊をしたから適当に敷地を巡回し、侵入者に易々と屋敷の土を踏ませたのね?

 ――――……そんなに死にたいのかしら」


 最後にぼそりと呟かれたネリーの一言にバイロンは青くなった。


「これで三回目よ? やる気あるの? 今回も私が処理しておきましたけどね、同じ失敗を繰り返して楽しい? 私だったら自分で自分を許せずに死を選びそうになると思うのだけれど、バイロン。あなたはどう思ってるの?」

「すみませんでした……」


 床に座って反省を示すバイロンにネリーは肩をすくめた。


「門番に異動になったからって気を抜きすぎちゃったのね、きっと」

「そうです! 気を抜いていてすみませんでした!」


 ここが許してもらえる最後のチャンスとばかりにバイロンは勢いよく土下座した。手本のような素晴らしい土下座だった。


「気が抜けていたのなら、仕方ないわよね?」

「はいそうです! その通りです!」

「なら、気合を入れるために特別訓練を再開させましょうね」

「はい! ……エッ?!」

「再開、させましょうね?」

「………ハイ」

「では今日より四日間を特別訓練とします。朝夕遅れず、必ず出るように。もちろん職務怠慢も許しません。居眠りをしないよう気を付ける事。いいですね」

「ハーイ……」

「いいですね?」

「……ウッス」


 唇を尖らせて視線を逸らすバイロンにネリーはため息を吐いた。呆れを隠さない視線でバイロンを見やり、それからトミーに視線を移す。

 トミーは礼儀正しく背筋を正して立っていた。


「……トミー君、よく見張っておいてくださいね」

「わかりました!」

「テッメェートミー!」

「それでは失礼しますね」

「はい! ネリー先輩、また来てくださいね!」

「ええ、また」

「ちぇー。おまえ可愛がられてんなーコノー」

「やめてくださいよ先輩、自分がモテないからって」

「ギエーーーー!!」


 聞こえてくる奇声にまったくの無反応に歩くネリーは詰所を後にして厨房へ向かう。

 時間通りならばセラフィーナのお茶の用意ができているはずだ。

 厨房からはわずかにカスタードクリームの匂いが漂ってきている。


「ああ、ネリー。もうできてるよ」

「ありがとうございます。ではさっそくすませてしまいますね。ヘザーさん」

「は、はいっ。がんばります!」


 料理人見習いのヘザーが強張った表情でミルクレープに手をかざす。

 解毒術を終えたヘザーは身を固くしたまま、「どうぞ」とネリーにミルクレープを差し出す。ネリーは黙って食べた。

 丹念に咀嚼し、ミルクレープを飲み下す。


「良くできています。中級の解毒は完璧ですね。次からは上級の解毒に進みましょう」

「はいっ! ――あの、もしかして今日のミルクレープは……」

「ええ。せっかくがんばってもらったのに申し訳ないのだけれど、私達でいただくわ。料理長、調理許可をいただけますか」

「もちろんもちろん。好きに使ってくれ。レイテリージュ様には連絡しておこう。

 ヘザー、あとで報告書を持っていってくれ。」

「お願いします」

「わかりました!」


 いつもの隠し戸棚から材料を出す。隠し戸棚というよりは隠し貯蔵庫だ。中は広く、薄暗く、冷えている。魔力の登録をされていない人間には開けられない。

 小麦機、卵、砂糖、牛乳、バター、塩はひとつまみだけ。

 最近のセラフィーナは背を伸ばしたいらしいので、栄養たっぷりのミルクレープにするべきだろう、と果物の棚をうろうろとネリーの指が行き来する。

 しかし、横には成長したくはないとのことだった。乗馬を薦める時がきたのかもしれない、とネリーはチョコレートを選び取った。チョコレートはセラフィーナの好物だ。食べた分だけ消費すればいい、と。

 まずは左手で風の魔法を起動させる。安定させたら、風に巻き取らせて粉類をふるう。その内にバターや火の魔術でひと撫でし、室温に戻す。また風の魔術を起動させ、卵を割り入れよく混ぜる。それから塩をひとつまみ。また混ぜる。右手で粉をふるっている風魔術をすくって左手の魔術に合流させて混ぜる。牛乳を少しずつ入れいき、クレープ生地のかたさになったらやめる。右手の指でくるりと魔術円を描いたら、生地はそこで休ませておく。

 その間にクリーム作りだ。生クリーム昨日から放っておいた牛乳から必要なだけのクリームを取って、砂糖を少しだけ足してからまた魔術を起動させて混ぜる。あまり固くならないうちにまた円のなかにいれておく。今度は水魔術の応用で温度を低温に保てる術も組み込んでおく。

 カスタードは卵と砂糖も魔術を起動させて混ぜる。小麦粉を振るいながら足して、牛乳も混ぜる。風魔術に火魔術を使う時は要注意だ。下手をすれば燃え上がる。温度だけを徐々に上げていき、カスタードを温めていく。こちらも固くなり過ぎないようにほどほどのところで円にいれておく。

 水を生成して苺を洗う。風の魔術でカマイタチを発生させてヘタを取り、薄切りにしたら冷蔵円にいれる。

 クレープ生地を焼くための魔術陣を起動して、焼いていく。きれいな丸い形になるように風で調節して、焼けたら皿にのせて冷却、クリームを伸ばし苺を並べたら焼き上がった生地を乗せ、と繰り返していき、ぶ厚い専門書くらいになったら八等分に切っておく。それからリンゴや苺を並べ、溶かしたチョコレートで飾れば出来上がりだ。

 できあがったミルクレープに魔力が残留していないかをよくよく見てからティーカートに乗せる。


「やっぱりネリーさんはすごいです! 何回見ても溜息出ちゃいます。憧れちゃうなあ……」


 ほう、と気を吐いたヘザーに少しだけ笑いかけて、ネリーは


「あなたにはあなたにしかできない仕事があるじゃない」


 とティーカートを押して厨房を後にした。茶葉もティーセットももちろん隠し戸棚から出した物だった。

 今日は寄り道をしたので、このままではお茶の時間に遅れてしまう、とネリーは空間魔術を使った。適正属性がなければ使えない術なので、王城でも使い手は少ない。

 そんな魔術をあっさり使ってセラフィーナの部屋の前まで出たネリーは扉を静かにノックした。


「お嬢様。ネリーです。お茶をお持ちしました」

「どうぞ、入って」


 ネリーはゆっくりと扉を開け、優雅に見えるようティーカートを押して部屋に入っていく。窓際のテーブルにはセラフィーナが座っていた。

 いつだって眩いばかりのセラフィーナを見て、ネリーは少しだけ目を細めた。


「いい匂い。できたてですか?」

「ええ。焼き上がったばかりの物を急いでお持ちしました。今日の授業はいかがでしたか?」


 給仕をしながらセラフィーナの表情を伺う。少しだけ気まずそうな顔をしていた。


「ちょっとだけ怒られてしまいました。でも、本当にちょっとだけです。それに姿勢は素晴らしいって、ほめてくださいました」

「それはようございました。今日はミルクレープにしてみました。どうでしょうか」

「ありがとう! ネリーの作るおやつ、わたくしどれも大好きだわ!」


 カップを両手で持ち、セラフィーナは満面の笑みをネリーに向ける。つられて、ネリーも微笑んだ。

 でも、とお嬢様は頬をふくらませた。


「わたくし、あまり甘いものはとりたくないって言ったのに。ネリーの作るお菓子はどれも好きだけれど、どれも美味しすぎるわ。わたくしがぶたさんになってしまったらどうするの?」


 言いながらセラフィーナはミルクレープを口に運んだ。すぐに頬を押さえて隠しきれない嬉しさで顔がいっぱいになった。


「うう、おいしい……」

「お嬢様。わたくしはお嬢様がどのような姿になったとしても変わらず忠誠を捧げますが、お嬢様が気になさるというのならばご協力申し上げます」

「協力?」


 首を傾げたセラフィーナは八分の二切れ目にナイフを入れていた。


「はい。なにも食事制限をする必要はないのです。お嬢様の年頃ならば成長期という事もあり、過度の飲食に気を付ければ肥え太るという事は稀だそうです。無論、例外もあるでしょうが、旦那様も奥様も太り易い体質ではありませんし、お兄様方も違いますので、適度な運動を心がければ太る事はないかと。ダンスと併せて馬術を習うのはいかがでしょうか。そうすれば食べる量よりも消費量が上回り、お嬢様が太る事もないでしょう」


 八分の四まで数を減じてしまったミルクレープをフォークで刺しながらセラフィーナはそうねえ、と口に運んだ。

 ミルクレープを咀嚼しながら考えるセラフィーナにネリーはおかわりの紅茶を提供した。


「うん。やってみたいです。危ないって言われていたけれど、わたくしももう十三ですもの。お兄様たちはもっと小さなころからやっているのだし、ちゃんとした先生がつけば大丈夫……ですよね?」

「ええ。もちろんです。おとなしい馬なら落馬の危険も少ないですし、受け身の練習もすれば落ちても安心ですよ」

「ええ、そうね! 楽しみだわ! 上手になったら遠乗りもできるのでしょう? わたくしもお兄様たちみたいに森へ行ってみたいの! ………だめ、かしら」


 上目遣いのセラフィーナにネリーはしばし考えた。


「旦那様が御許しになるのならネリーに否やはございませんよお嬢様」

「嬉しい! お父様にはわたくしから言いますね。まえに乗馬がしたいって言ったら危ないからって止められてしまったけれど、ネリーが勧めてくれたって言ったら、きっと許していただけるわ!」


 そう嬉しそうに語るセラフィーナにネリーはにっこり微笑んだ。

 ミルクレープは完食だった。

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