腹黒メイドは忙しい
結城暁
第1話
ガレルパティア王国はウォルフェンデン公爵家の第三子にして長女のセラフィーナ・ウォルフェンデン。
その姿は宝石そのものと言い表しても過言ではない。
太陽の輝きすら霞むほどの煌く金髪に、雪より白いということはなく、人としての温かみに溢れる磁器のような肌に、大きな瞳は
国一番、いや、この世一の容姿も素晴らしいが、性格も温和で、下々の者達にもやさしく、文句の付けようなど一切ない。
それが私――ネリーの使える主である。
身長は百四十二と小柄だが、生まれてまだ十三年しか経っていないのだから問題はない。
指は白魚のように細く白く爪ももちろん小さく可愛らしい。
何かあればネリーネリーと己を呼ぶ声は地上に生きるどんな鳥よりも心地良く耳を打つ。
礼儀作法を覚えるために努力を欠かさないし、ダンスをする姿などまるで妖精が舞い降りたかのようだ。
まだこの世に生れ落ちてたったの十三年。つまり十三才であるのにこの可愛らしさ。
あと二年すれば十五才。社交デビューが待っている。このままいけば王太子妃になることだって夢ではない。それほどまでに可愛らしい主が成長したらいったいどれ程の美女になってしまうやら。
今から不安と、それから希望がない交ぜになった複雑な気持ちにならざるを得ない――
「――と思うのだけれど、あなたはどう思う? ジャック」
「とりあえず死にそうになってる坊ちゃんを放してあげればいいと思います」
今ネリーがいるのはウォルフェンデン家の敷地内にある修練場だ。
セラフィーナの兄達が武術を習い、そしてネリーもまた
「でもねえ、お嬢様に見合う男になりたいからお嬢様専属のメイドである私に稽古をつけてくれと仰られたのだから止める訳にはいかないと思うのよ」
「わかりましたから姐さん、気道は確保してあげてください」
「何を言うの。敵はそんな甘っちょろい事など許してくれないわよ」
「そうかもしれませんけど、その方、オールブライト家の方ですよ? 侯爵家の方ですよ? わかってます?」
「わかってるわよ?」
ネリーは言って、ようやくオールブライト家の坊ちゃん――アラステアを解放してやった。
稽古開始直後に突っ込んできたアラステアの拳を避け、足を引っかけて転ばせ、うつ伏せになって倒れたアラステアの背に馬乗りになり、起き上がろうとして伸びたアラステアの首に腕を巻き付け気道を圧迫しただけなのだが、アラステアはもがくばかりで反撃もしてこず、暇だったので同じく立ちっぱなしで暇そうにしているジャックに話をふったのだった。
げほごほとせき込むアラステアの背をジャックがさする。
ネリーは涼しい顔で用意しておいた茶を飲み、息の整ってきたアラステアに勧めた。
「アラステア様、お茶をどうぞ」
「姐さん、坊ちゃんより先にお茶を飲むのはどうかと思います」
「毒味よ毒味。それに稽古中に身分の上下は問わないという話ですもの。ねえ、アラステア様」
「ああ。なんなら呼び捨てで構わないぞ。ジャックも気にするな。オレが頼んだことだし、あとから難癖をつける気もない。あと坊ちゃんはやめてくれ」
それより茶をくれ、と座り込んでひらひら手を振るアラステアにジャックは呆れたように肩をすくめて給仕した。
「そりゃあ、そうでしょうけれども。それを本気にして坊ちゃん――すみません。アラステア様を殺しにかかるのはいただけませんて」
「いやね人聞きの悪い。殺す気なんてこれっぽっちもありませんでしたよ。ただちょっとこんなヨワヨワなのにお嬢様に求婚するつもりなのかと思ったらちょっと力が入ってしまっただけで」
うんざり、といった表情を隠そうともせずジャックは深くため息を吐いてお茶請けのクッキーを傷心のアラステアに勧めた。
ネリーも食べた。
今日も美味く焼けている。お嬢様に喜んでいただけるだろう――、とネリーは微笑んだ。
「あのですね、何回も言ってますけど、それを殺しにかかると言うんですよ。姐さん、自分の馬鹿力がどれほどのものかわかってますか」
「わかっておりますとも。あなたを片手で捻れるくらいには力が強いと十分理解していますよ」
うぐっ、と言葉につまったジャックは仕方なさそうにクッキーを口に運び、悔しそうに「美味い……」と呟いた。
「さてアラステア様。毎日の訓練をさぼっておられないようで何よりでございます。まずは先手を取ろうと元気いっぱい猪突猛進気味に突っ込むのはよろしいのですが、あれしきのスピードでは意味を成しませんからまずは相手の力量を測る事から始めたほうがよろしゅうございます。特にアラステア様は少々短気なところが見受けられますので、今日から意識して頭を使い周囲を観察してくださいね。相手より体格腕力が劣っているのに何の考えもなしに突っ込むのはただの愚か者です。
「姐さん待って。ちょっと少し待って。アラステア様死んじゃう」
ジャックの制止にネリーは首を傾げた。
今は関節技を極めている訳でも、魔術で攻撃をしている訳でもない。なのにアラステアが死に直面しているというのはどういう事なのだろう。
だが実際にアラステアは何故かダメージを受けているようだった。たき火が燃え尽きた後の灰のような有様になっている。
ネリーはとりあえず口を閉じ、空を見上げた。今日もいい天気だ。しかし青い。
どうせならお嬢様の瞳と同じ菫色なら良いのに。
――などと自分の世界に入り込んだネリーにジャックはこの日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
「アラステア様、とにかく基礎です。基礎が大事です。繰り返しになりますけど、体力の向上に受け身の上達をひたすら目指してください。
規則正しい生活と食事を続ければ大丈夫です。背だってまだまだ伸びますよ。アラステア様はまだ十四才なんですから。
無理も無茶も禁物です。姐さんの真似なんか間違ってもしちゃいけませんよ。下手すれば死んでしまいますからね」
言い聞かせるジャックにアラステアは神妙に肯いた。
ネリーはと言えば、二人のやり取りをすぐ隣で聞いているにも関わらず、その一切を聞き流していた。
基本的にお嬢様――セラフィーナに関係のない事柄にはまったく興味を示さないネリーなのである。
お嬢様はもうお茶の時間を終えられたかしら。読書はなさったのかしら。どんな本を読んだのかしら。今日の授業は礼儀作法ね、終わったら息抜きのデザートを用意しなくては。今日のデザートはミルクレープだけれど紅茶はどの銘柄にしましょう――
「あー……姐さん、アラステア様は俺が見ますんで、お嬢様のトコ行っていいっすよー……」
「あらそう? それならお言葉に甘えさせてもらうわ。
失礼いたしますアラステア様。またのお越しをお待ちしております」
楚々と一礼をしたネリーは軽やかに修練場を後にした。その姿は速き事一陣の風の如し。
「姐さんてば、ほんとセラフィーナ様の事しか考えなくていろいろ台無しだなあ。
………………黙って立ってれば美人なのに……」
ぐったり項垂れているアラステアも深く同意した。
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