第12話

 身分の低い母から生まれた末子のシンジュオスは、他の身分の高い妃たちから生まれた兄弟姉妹から虐げられていた。

 そんなシンジュオスを虐めなかったのは長兄のアリステロスで、唯一側にいて親身になってくれたのが神憑きと言われ、大人たちからも畏れられていた次兄のイスキュロスだった。

 十三も年の離れていたイスキュロスは物心つく前に母を亡くしたシンジュオスの親代わりになってよく面倒を見てくれた。余人には触らせることのなかった耳もしっぽも、シンジュオスが頼めば触らせてくれた。

 やさしくて、強くて、大好きなイスキュロスが次代の王だと幼いシンジュオスは疑わなかった。

 イスキュロスが王になったとき役に立てるようにと、苦手だった武道も勉強にも精を出した。

 けれどもちちが王太子に指名したのはイスキュロスではなく長兄のアリステロスだった。イスキュロスは国軍を総指揮する大将軍に任命された。

 王にふさわしいのは兄さまなのに、と拗ねてむくれるシンジュオスにイスキュロスは笑って、静かに諭す。


「父王はよく道理のわかったお方だ。おれは王の器ではない。なってはならぬのだ。おれが持つ力は王となってこの国を治めるために使われるものではない」

「では兄さまのお力はなんのためにあるのですか?」


 膝上に抱き上げたシンジュオスを撫でながらイスキュロスは寂然じゃくねんとした笑みを浮かべた。


「さあ。なんのためだろうな。未だわからん」


 イスキュロスは小さく細く柔らかいシンを抱きしめ、額を合わせた。


「おまえを守るためにあるのだとしたらこの上なく嬉しいのだが。生まれてきた甲斐があるというものだ」


 そう言って壮快な笑みを浮かべてくれたイスキュロスに、自分こそ兄のために生まれたのだとシンジュオスはイスキュロスに抱きついた。


***


 父王が王太子に位を譲ったのち、反乱がおきた。

 イスキュロスの弟妹であり、シンジュオスの兄姉である王子王女たちが、イスキュロスを神憑きではなく悪魔憑きであると断じ、悪魔憑きを国を守る要たる大将軍の地位に就けるとは何事だ、と難癖を大義名分に掲げ、イスキュロスを擁護する前王と王を殺した。

 王位継承一位であったため、暫定的に王位についたイスキュロスがこのまま矛を収めるのであれば王位を譲っても良い、と譲歩したが、イスキュロスの言になど構わず、悪魔憑きがかわいがっているから悪魔に違いないという、ただそれだけの理由でシンジュオスにもその卑しい牙を向けた。

 このときにイスキュロスは生まれて初めて心の底から怒り狂った。

「民こそ国の宝である」という父王の教えに則って、退けはしても決して殺さなかった弟妹たちに従う兵たちを殺して回った。

 戦場は血の海と化し、赤い川がそこかしこに流れた。数百の兵を瞬く間に殲滅し、焦りと恐怖と共に追加された数千の兵すらもイスキュロスを殺せず、将として戦った弟妹たちのうち幾人かがイスキュロスの手で地の底へと送られた。

 神憑き様に逆らうなどなんて愚かであったのか、と反乱軍から離反者が相次ぎ、生き残った弟妹たちはたちまち窮地に立たされた。

 母なる大河を生み出すアイギオ山に逃げ込んだ弟妹たちを追い詰め、シンジュオスは父から賜った宝剣で反逆者の首を刎ねていった。


「やめてくれ、おれたち兄弟だろう?!」

「実の父と兄を殺しておいてよく言えるものだ」


ざん。


「お願い、助けて! もう二度と抗わないから!」

「嘘はよくない」


ざん。


「あなたに永遠の忠誠を誓います、兄上。ですからどうか……」

「そこまでの殺意を抱いてるくせよく回る口だ」


ざん。


「なんでもやる、お前の望みならなんでも叶える。金でも土地でも女でも、私の持っている何もかもをやるから、だから」

「おまえの持ち物でおれの欲するものはなにひとつとしてない」


 ざん。

 どうどう。ざあざあ。

 崖下の急流の中に王子であったのもの、姫であったものが消えていく。


「アイギオ山までおまえたちを追うのは骨が折れたが、最期に清らかな川に抱かれて死ねるのだ、おまえたちには過ぎた待遇だろう。地の底で泣いて喜ぶといい」


 最後に残った一人に血塗れた剣を向ける。


「へへ……、頼むよイスキュロス兄上……。おれと兄上の仲だろう……? あんなによくしてやったじゃないか。その恩を仇で返そうって言うのか?」

「毒蛇を寝所に潜ませたことか? それとも蠍を衣服の中に潜ませたことか?」


 知ってたのか、と反逆者が呻いた。


「どうでもよかったから放置しておいたが、あのときおまえを殺しておくべきだったようだ。

 ああ、どちらも美味だったぞ」

「……化物め」

「趣味趣向の違いだろう。味覚の違いで人を罵るのはよくない」


 イスキュロスは剣を振りかぶる。後ろに控えていたシンジュオスが震えた声で反逆者を睨んだ。


「兄さまは神の御使いだ、化物なんかじゃない! あなたたちのほうがよほど化物だ……!」


 イスキュロスはちらりとシンジュオスを見た。怖がって震えていたが、兵の後ろに隠れたりはせず、自分の足で立っていた。きっとシンジュオスは善き王になるだろう。

 欣幸きんこうの予兆と共に微笑み、イスキュロスは剣を振り下ろした。その瞬間に砂埃が視界を覆う。反逆者の最後の悪あがきだった。

 手間をかけるな、とイスキュロスから逃れようと駆けだす反逆者を気配だけで探り、剣を振るう。地面に落ちたのは首ではなく右手で、痛みに叫んでも、反逆者は止まらない。立て続けに左足を落とした。それでも反逆者は止まらなかった。

 残った手足でもって進んでいく。ここの崖はもろい。イスキュロスが全力で追い付こうとすれば崩れなかねなかった。

 反逆者が兵たちの剣と槍とを躱し、またかすり、新たな血を流しながらシンジュオスに体当たりをした。そのままシンジュオスと共に空中へ身を躍らせる。


「ただじゃ死んでやらねえぞイスぎゅ」


 迷いなくそのあとを追ったイスキュロスは反逆者の首を刎ね、シンジュオスをその腕の中に取り戻した。


「兄さま……!」


 ごめんなさい、となくシンジュオスを最期に抱きしめたかったけれど、その時間すら惜しい。そしてイスキュロスの手は血に塗れ過ぎていた。

 シンジュオスを汚したいわけではないのだ。


「おまえは善き王になる」


 イスキュロスは力の限り崖の上を目がけてシンジュオスを投げた。

 あの場にいる兵たちは全員イスキュロスを慕い、シンジュオスを親しみついてきてくれた者たちだ。この先必ずシンジュオスを守ってくれるだろう。イスキュロスにはなんの心残りもなかった。

 きっと己はこの日のために生まれ、力を授かったのだ。


「父王よ申し訳ない。やはりおれには宝玉を散らした剣よりも石斧のほうがあっていたようだ」


 血に塗れすぎた己も剣も不吉なものでしかなくなるだろう。こうなってよかったのだ。

 母なる大河に洗われれば、少しは清浄に近付くだろう。


「シンジュオスを頼む、我が同胞どうほうたちよ!」

「兄さまあ!」

「イスキュロス様!」


 崖下の荒ぶる波濤にイスキュロスが呑まれて消えた。

 それがイスキュロスの姿をシンジュオスが見た最後だった。

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