第11話

「無事か、シンジュオス」


 ディナトの問いかけにわずかに首を上下させたシンジュオスに、ディナトは敵に気取られぬよう胸をなでおろした。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃに目を白黒させているカックォウを見る。黒だった。間違いなく真っ黒だった。

 シンジュオスに牙をむくような人間だ、ルルディーアにも害を成すだろう、とディナトは邪魔にしかならない仮面を取り去った。懐かしい空気を胸いっぱいに吸う。


「な、なんだキサマはァ! 悪魔かッ、悪魔が出たぞ!」


 カックォウの叫びを聞いたディナトは眉をしかめる。

 悪魔とは失礼な。この獣の耳を見て言っているのだろうか。ディナトは登頂部の獣の耳を振るわせた。父にも兄にも、かわいい弟にも大人気だったというのに。

 もともと怒り心頭だったディナトだったが、さらに自分のはらわたが煮える感覚を味わった。いつもは滑らかに流れる尻尾の毛も逆立つ。

 ディナトに生える獣の耳と尻尾は神憑きたる証であり、父に吉兆の証だと喜ばれたものだ。それを悪魔などと、よくも侮辱してくれたな。


「殺せ! 悪魔を打ち殺……ギャア!!」


 口角に泡を吹いて喚くカックォウの目玉に持たされていた針を送ってやる。上がった叫び声に驚いた拍子に飛んできた矢も掴み、前衛の剣を構えている兵たちに返してやった。矢を贈った代わりに取り落とされた剣をもらい、兵たちを切り伏せていく。ディナトにとって呼吸をするように簡単なことだ。

 床に落ちている剣をもう一振り足で蹴り上げ、尻尾で弾き、シンジュオスのほうに飛ばした。後ろを見なくても受け取るだろうとディナトは確信していた。やはり剣の落下音は聞こえてこず、ディナトは犬歯を剥き出して笑みを深めた。

 手近にいる兵士たちの腕や足や胴を剣の腹や柄で強かに打ち付ければ、兵たちはみんな呻き声と共に石床で眠りについた。石床は冷えるからカゼを引く前に決着をつけてやろう、とディナトは立ち上がろうとした勤勉な兵の背中を踏みつけ、昏倒させた。

 いくらかディナトをすり抜けてシンジュオスのほうに駆けて行った兵士もいたが、シンジュオスはすぐにそれらを片付け、ディナトのすぐ後ろまでやってきた。それでようやく王に歯向かうことの恐ろしさを思い出したのか、兵士たちがわずか動揺する。その隙を逃す二人ではない。

 前衛を片付けられ、王に睨まれ、浮足立ち弓を射るのも忘れた弓兵たちは懐に入れば難なくのせた。天晴にも不利と見るや弓を捨てて懐剣でディナトに切りかかる兵もいたが、相手が悪すぎた。荒れ狂う嵐か獣のごときディナトにあっという間に沈められた。

 すべての私兵が倒れ伏し、あとに残るは片目を押さえて蹲る哀れなカックォウだけになると、ディナトは剣を振るい、ついた血糊を払う。

 ディナト個人としてはこのまま首を刎ねてしまいたいが、この国の王はシンジュオスだ。ディナトはシンジュオスを見る。ケガはしていないようだった。


「シンジュオスよ、この不忠者は如何どうする。おれとしてはおまえに背いた者を生かしておきたくない。どうせ死罪だろう。悪辣な言い訳を聞く前に首を刎ねてしまいたのだが」


 足元の虫が悲鳴を上げたがディナトはもちろん黙殺した。

 シンジュオスはゆるく首をふる。


「ありがとう。だがこやつは裁判にかけたうえで財産没収したのちに正しい手順をふんで死罪にしたい」

「わかった」


 命乞いを垂れ流す虫の鳴き声が煩わしくてたまらず、ディナトは素早くカックォウを気絶させ、気絶している兵たちのベルトを使い手足を縛って転がしておく。

 念のため兵たちの武器を取り上げたところで私兵に追い立てられた警備の兵たちが応援を連れて戻ってきた。


「陛下! ご無事ですか!」

「ああ、ディナトのおかげでな。おまえたちもよく来てくれた。反逆者たちを捕らえて牢に入れておいてくれ」

「はっ!」


 シンジュオスはディナトの横まで来て縛り上げられていく私兵たちを眺めた。深く息を吐く。


「巻き込んですまん。助かった。しかしこれでは勝負は延期だな」

「なにを仰います」


 いつの間にやらボロボロになったフードを被りなおし、仮面を付けなおしていたディナトが面白がっている声音で言う。まるでころころと鈴を転がすような軽やかさで笑い、肩を震わせた。


「勝負はわたくしの負けですとも。姫様からお預かりした針と糸が使い物にならなくなってしましたので」


 瞠目し、大口を開けて呆気に取られるシンにディナトはますます肩を振るせたのだった。


***


 ルルディーアとシンジュオスは無事に結ばれた。

 報せを受けたコーラー国王もルルディーアの兄姉きょうだいも祝福にかけつけ、大国の偉大な王とその王がようやく迎えた可憐な花嫁を周辺国もこぞって祝いに訪れた。

 三日三晩経っても祝宴は続いている。

 ディナトは宴の席から離れ、ひとりテラスから月を見上げていた。


「ディナト、少しいいか」

「ああ構わんが。主役が花嫁をおいてきていいのか」

「今は家族と話しているから大丈夫だ」


 シンジュオスはやわらかく笑う。

 皓月こうげつが二人を照らしていた。夜にしては濃い影が伸びている。


「おまえの……いや、貴方の出自だが」

おれは二十年前、今は亡きコーラー国女王、クリシィーア妃に拾われたただの流民だ」

「違う」


 有無を言わせぬ、否定などは許さぬ語気だった。

 シンジュオスが自身に伸ばす手を避けることなく、払うことなく、フードと仮面を外されてもディナトは静かにそれを受け入れた。

 新調したフードの下から現れたのは獣の耳だった。ディナトの髪色と同じ獣の耳。神憑きの証のひとつとされる耳だ。その右耳はわずかに欠けていた。


「その耳には見覚えがある。賊に襲われた幼い俺を守ってくれた兄に負わせてしまった傷だ」


 ディナトは月光に煌く琥珀色の瞳を見つめた。

 太陽をそのまま映し込んだようなその瞳が、ディナトは好きだった。

 生まれたばかりのシンジュオスがきらきらとあたたかな色で自分を見た時から。

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