第10話

 ディナトは燦々と降りそそぐ日光から逃げるように天幕の下にいた。今日の太陽はひどくまぶしい。どこの影も黒々と己の存在を主張していた。

 周囲は半そでやら袖なしやら、見るだに涼し気な格好で溢れているというのに、仮面にフードにマントと厚着をしているディナトは軽々と陽ざしに当たり続けているわけにはいかなかった。あまり平気な顔をしていると化物扱いされかねない。

 若人が告白する場面ともなればなおさら化物扱いされる訳にはいかなかった。若者の未来は明るいものでなくては。

 日に照らされ白く光る地面と相反する暗さの影の中で、ディナトはじっとルルディーアとシンジュオス――シンを見つめていた。二人の顔が赤いのはなにも太陽のせいばかりではないだろう。

 ディナトの良すぎる耳にはシンの声が雑踏の騒がしさに紛れることもなく聞こえていた。


「俺の求婚を受け入れてくれるなら、今夜はディナトに針と糸を持たせてくれ。下手くそだがなんとか繕えるようになったんだ」


 それだけを言い残してシンは去って言った。

 店の親父によく冷えた果実水を頼んでから、ディナトは顔を朱に染め切ったルルディーアを迎えに行く。


「ルル、日射病になるぞ」

「…………うん」


 心ここにあらず、という風のルルディーアを日陰まで誘導しながらディナトは口角を上げた。

 ルルディーアの恋が実る日も近そうだ。


***


 夕陽がすっかり沈み込み、昼間とは打って変わって涼しい風がディナトの腕を撫でた。

 ルルディーアはあわあわそわそわしながらもディナトに針と糸を持たせ、「が、がんばってね」と真っ赤に染まった顔で言う。

 赤子であったのに成長したものだ、と感慨深く、なおかつ微笑ましい気分のディナトからはひどくやさしい声音が出ていた。


「では負けていってくる」



 扉の前で王を待つディナトだったが、いつもなら来ている刻限になってもシンジュオスは現れなかった。


「おかしいですね、そろそろ陛下がお渡りになる時間ですのに」

「なにか聞いているか」

「いいえ、なにも聞いていませんわ」

「緊張して遅れていらっしゃるのかも」

「いやいや、ルルディーア姫とは両想いなんだから喜び勇んでくるだろ、ふつう」

「バカね、当事者はそんな自信満々になれないわよ」

「だからおまえは女にフラれるんだ」

「ウルセー!」


 シンジュオスと勝負をするようになってから気安く話すようになった警備兵と下女たちと一緒になって首をひねる。

 兵たちと下女たちがあーだこーだと言いあうなかで、ディナトの首筋に鋭いものが走る。

 それは冷たく恐ろしい、一瞬の予感だ。単なる勘だと言ってしまえばそれだけだが、ディナトは自分の第六感に従うべきだと知っている。


「様子を見に行ってくる。女たちは部屋の中へ。かんぬきをかけろ。窓も鍵を閉めろ。カーテンでとざせ。外から見えないようにしろ。近付くな」

「はい!」

「兵は扉の前へ。おれと陛下以外の何人たりとも扉を開けさせるな。近付くならば殺せ。責はおれが負う」

「はっ!」

「姫を頼む」

「はいっ!」


 下女たちと兵たちの力強い返事を背中に聞きながらディナトは廊下を駆けて行った。

 離宮から廊下を抜け、王宮へ出たとたんうなじが泡立つような嫌な空気を感じた。ディナトは勘が命じるまま全速力で走って行く。


「無事でいろ、シンジュオス」


***


「ああ嘆かわしい嘆かわしい。大国オリヴァシィの国王陛下たる貴方があのような小国のしょうもない姫の元に足繁くお通いになるなど、この国の品を疑われますぞ。なぜワタクシめがご紹介した姫たちにはお会いになってすらくださらないのか! 理解に苦しみます!」


 それはこっちのセリフだ、と心中で悪態をつきながらシンジュオスは湿った髪をかき上げた。

 ルルディーアに会う前に身を清めておこうと湯浴みしたシンジュオスを待っていたのはカックォウとその私兵たちだった。

 剣を預けていた下女たちも警備の兵たちも姿が見えない。血の跡も臭いもしないから私兵に追い立てられたのだろう。怪我がないといいのだが。

 カックォウは自分の息がかかった姫たちを選ばないシンジュオスが不満らしい。人手が足りないからと目溢ししていたのだが、まさかこんな馬鹿をやらかすほどの愚か者だったとは。

 自分の人を見る目はまだまだだな、とシンジュオスは肩を落とした。


「それで? 理解に苦しむから叛逆すると? 短絡にすぎないか? 今ならまだ罪を軽くしてやることもやぶさかではないが、どうだ?」


 きれいな笑みを形作りながら、心底ではぜったいにそっ首を落としてやるがな!!! とシンジュオスはカックォウを見た。カックォウはへらへらとした醜悪な笑いを浮かべたまま、ぶくぶくと肉を纏わせた芋虫に見える手指を広げておどけて言う。


「ほほほ、怖い怖い。そのように睨まないで下さいませ、陛下。蚤の如きワタクシの心臓が止まってしまいそうです。ですが陛下はご自分が短剣のひとつも持っていない事実を思い出して下さいませ? こちらには私兵がいることも」


 ニタニタと歪んでいた口角をさらに歪めさせてカックォウは両手を揉む。

 心臓が蚤どころか、毛がびっしりと生えている厚顔無恥さであるくせよく言う、とシンジュオスは心の中で悪態をついた。


「叛逆などと、とんでもないことでございます陛下。ワタクシはただ王陛下にワタクシの言葉を届けたい一心にございます。我が娘はコーラーの田舎娘など比べ物にならぬほどの美姫でございますし、ヘドモ国の姫も我が娘に負けぬほどの美姫でございますよ?」


 舌打ちをしたかったが、シンジュオスは耐えた。

 カックォウの娘は会ったことなど一度もないが、美姫などと初めて聞いた。父に似て性格が捻じ曲がっているとは何度も耳に入ってきたのだが。ヘドモ国の姫はカックォウが取引している中で一番の得意先だ。

 ここで肯けば首に刀を当てられ、薬漬けにされて行為に及ばされるのだろう。操り人形になるなどごめんだった。


「悪いが衆目に晒されながら女を抱く趣味はなくてな。他を当たるといい」


 シンジュオスの返答にカックォウはできの悪い生徒を見た教師のような大仰な溜息をついた。


「まったく我が王は頑なであらせられる……」


 カックォウが片手を上げ、それに合わせて弓兵が弓を番えた。

 王は両の足に力をこめ、重心をわずかに下げる。


「ご安心ください陛下。貴方亡き後のオリヴァシィはワタクシがしっかりと運営致しますゆえ。……放て!」


 シンジュオスは天に加護を祈り足を踏み出す。上着ととっさに掴んだ燭台で矢を払い飛ばした。

 だがシンジュオスが三歩進んでもまだ兵とは距離があった。矢は次々と飛んでくる。そのうちのひとつがシンジュオスを捉えた。

 右手の燭台も左手の上着も、身をかわすのも間に合わない。当たる。

 それがどうした、致命傷でなければどうとでもなる、とシンジュオスは目を逸らさずに進み続けた。

 その、刹那。

 シンジュオスに命中しようとしていた矢はすべて弾き落とされた。

 石床に矢の落ちる硬質な音がこだまする。

 シンジュオスは目を見開く。自分と兵たちの間に立っているのは、その後ろ姿は。


「ディナト……?」


 矢に裂かれ、千切れたフードが落ちる。

 夜の闇よりもなお深い黒髪が広がり、見覚えのある獣の耳が頭頂部からシンジュオスをうかがっていた。


「無事か、シンジュオス」

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