第9話
当初二日三日で帰る予定だったオリヴァシィでの滞在期間は延びに延びていた。
ルルディーアとディナトが毎日のように繰り出している市場では顔見知りも増え、奢ったり奢られたり、遊びに誘われたり、手伝いに呼ばれたりと王宮にいる時間のほうが少なくなっていた。
昼食を食べ終えて、ディナトは大食いチャレンジを掲げている店はないかと辺りを見回した。出禁になった店の店主たちがいっせいに顔を背ける。
「今日の屋台も美味しかったわ」
「それはよかった。デザートも期待しててくれ」
「シンは乙女の敵ね。私、本当に太ってしまいそう!」
「ははは、まさか。俺は乙女の味方だとも。それがルルみたいな麗しい女性相手ならなおさらね」
「もう」
口が上手いんだから、とルルディーアが頬を赤らめてシンの肩を叩く。微笑ましい、とディナトは一人うなずいていた。
ざくろケーキの蜜掛けを頬張り、ルルディーアがとろけそうになる頬を押さえる。ディナトも仮面の下で頬を膨らませていた。
きゃあきゃあと子どもたちがはしゃぐ賑やかな声が聞こえる。
見れば蝉の抜け殻を服にびっしりとつけたガキ大将らしき子どもが怯える子どもたちを追いかけ回していた。シンとディナトとルルディーアの三人がかりで泣く子をなだめ、ガキ大将に灸をすえ、とその場を収めた。
「すごい光景だったわね……」
「ああ、視界の暴力だったな。虫は平気だがさすがに堪えた。なにもあそこまで数を集めなくてもいいだろうに」
「子どもはそういうものだ」
「それはそうだけど……」
ケーキを食べて終わっていてよかった、とルルディーアが一息つく。まったくだ、とシンもそれに肯いた。ディナトは追加のケーキを食べてた。
こんがり狐色に焼かれたそれは蝉の抜け殻色に見えなくもない。多少げんなりとした表情でシンはいつものように仮面をしたままケーキを頬張るディナトを見やる。
「俺の兄や姉たちもクモや蛇がダメで見つけるたびに騒いでたな。それがもううるさいのなんの」
「私も虫は苦手だわ。前に一度、小さな羽虫が体中についたことがあって。それ以来たくさんの虫はちょっと」
「それは誰でも苦手になると思うぞ……。ディナトはどうだ?」
「縫い物だ。繕い物など一生できないだろうな」
「ディナトが持つと針がすぐ曲がっちゃうのよね」
「そりゃ、できないな」
「ああ無理だった」
ディナトは肩を竦める。赤子の産着を縫おうと挑戦したこともあったが、針がもったいないからやめなさいと止められた。あなたの代わりに私が縫うから、と笑ってくれた彼女の助けになりたかったのだが。
むきになっていくつ針をダメにしたことか。もう三十年以上前のことだ。
「そういうシンはどうなの?」
「んー……。俺は高い所がダメなんだ、実は。昔、崖から落ちそうになってな」
「それだって誰でも苦手になると思うわ」
「ははは」
夕暮れのせまる市場を忙しく歩く。晩さんまでには離宮に戻っていなければならない。
別れ際だからか子どもたちに手を引かれ先を行くルルディーアの背を見ながらディナトは珍しく隣を歩くシンを見た。
「なあディナト」
「なんだ」
立ち止まったシンには構わず歩みを進める。
「おまえはルルにどんな男なら相応しいと思う?」
「ルルが選び、ルルを選んだ者ならどんな者でも。
「そうか」
マントを翻し、ディナトはシンを見た。
「選ばれる自信がないのか?」
曖昧に笑ったまま、シンは答えなかった。
***
夜の帳が落ち、また王が訪れた。
共はひとりも連れておらず、護衛兵や下女たちも下がらせ、持っていた剣の二振りのうち一振りをディナトに差し出した。
「今日は剣で勝負だ」
「……死ぬかもしれませんよ」
「さすがにそれは困るのでな。刃は潰してある。殺すのも殺されるのも真っ平御免だ」
「……左様ですか。御意に」
渡り廊下の脇の庭に出て向き合った二人が剣を構える。
「骨の二、三本は覚悟していただいてよろしいですか」
「余裕だな。構わんぞ。おまえこそ仮面をつけたままで月と燭台の光だけで戦うのは心もとなかろう」
「心配はご無用です。慣れておりますので」
言い終わるが早いか、ディナトが恐るべき速さで踏み込み、切り込んだ。
「本当に手馴れたものだな!」
王はそれを辛うじて剣の腹で弾き、切り返した。ディナトはそれを避け、下がる。だがまたすぐに距離を詰め、剣戟を繰り出す。
王はそのひと太刀ひと太刀をあるいは避け、あるいは剣でや鞘で弾き、足を動かし続けた。
「素晴らしい逃げ……避けっぷりですね。感動しています」
「そりゃどうも!」
嫌味か! と王の振るう剣を払い、ディナトもまた剣を繰り出す。しかし王は素早く身を躱し、四阿を障害物としてディナトの追撃を防いだ。
ディナトの膂力ならば柱ごと切り壊しての追撃が可能だったが、そうはせず仮面の死角を狙う息もつかせぬ刃の数々を潜り抜け、回り込む。
四阿を壊しても修理代など払えぬし、なによりそこまでする意味がまるでない。これは殺し合いなどではないのだから。
王の剣を紙一重でよけ、弾く。
王の手から剣が飛んで、壁面に突き刺さる音をディナトの良すぎる耳が拾う間に、剣を握る手とは逆の手で王の首を掴み、地面へ引き倒してその首の真横に剣を突き立てた。
「もうひと勝負しますか?」
「……冗談だろう。予の負けだ」
ディナトは王の首から手を放し、立ち上がり剣を鞘に納めた。荒く呼吸をくり返し倒れ込んでいるの王に手を差し伸べたが、王は自ら体を起こした。悔しそうな王の顔に仮面の下に思わず笑みがこぼれた。
王は立ち上がらずに座り込んだまま、もにゅもにゅと言い辛そうに口の開閉をくり返したのち、意を決したらしく口を開いた。
「ルルディーア姫に会わせてほしい」
「いくら陛下のご下命とはいえどもお断り申し上げます」
「俺の頼みでもか?」
王がそう言うと姿が変わった。腕にしていた魔術具は身を守るためのものだと思っていたディナトだったが、姿を変える魔道具であったらしい。
ディナトの前に現れたのはシンだった。
「ああやっぱりあなたでしたか、シンジュオス国王陛下」
「知っていたのか?!」
驚くシンの姿をしたシンジュオスにディナトはいたって平静こくり、と首肯した。
「気付いたのはつい先ほどだが。最接近したときに匂いが同じだな、と。王のときとシンのときとで香水を使い分けているとは周到だ。おかげで体臭を感知するのが遅れた」
「体臭……。度を外れた身体能力だな。獣人か?」
「ははは」
シンジュオスとディナトは笑いあう。
ひた、と笑いを収めたディナトが静かに尋ねた。
「ルルディーアが好きなのか」
「ああ」
変身を解いたシンジュオスの、太陽をそのまま映し込んだような瞳がディナトを射抜く。その視線の強さに仮面の下で微笑みながらディナトは息を吐いた。
呆れが多分に含まれていたが、安堵のひと息だった。
「なら最初から小細工せず正面切って会いに来い」
「もっともだ」
呼吸を整えたシンジュオスが衣服の汚れを払いながら立ち上がる。
「明日の昼、ルルに俺の正体を話す。妃になって欲しいことも言う」
「そうしろ」
剣をシンジュオスに渡し、ディナトは踵を返す。
「応援してくれるか?」
「ああ。
「そういう奴だよな、おまえは。それでこそディナトだ」
声をあげ、腹を抱えて笑うシンジュオスに背を向けたままひらひらと手を振り、ディナトはルルディーアの待つ部屋へ戻っていった。
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