第3話
「ディナトがあんなに警戒するなんて、あのひと、怖いひとだったの? そうは見えなかったけれど」
シンと別れた方角を名残惜しそうに振り向き見ながらルルディーアはディナトに尋ねる。
ディナトは後ろ髪を引かれているルルディーアをちらりと見てから答えた。
「無論、殺し合いならば
それに、とディナトは内心で呟く。魔術で姿を変化させている人間を信用する気にはなれない。見た目はどこにでもいそうな、凡庸な姿形をしていたが、本来の姿とはまるきり違うのだろう。
「できれば二度と会いたくない」
「あら」
夕陽に照らされたルルディーアが華やかに、けれどどこかさみしそうに笑う。
「オリヴァシィは広いもの。もう会うことはなんじゃないかしら」
「だといいが」
***
「――ってことがあったのよ、楽しかったわ、お父様」
「そうかそうか。よかったなあ」
ルルディーアとディナトが戻った宿――オリヴァシィの宮殿でルルディーアは父のコーラー国王に今日あった
宮殿といってもオリヴァシィ王の住む王宮ではもちろんない。王宮の離れにあたる来客用の離宮だ。
戴冠二十周年記念の式典に参上した父王のアパイリにつれられ、ルルディーアもオリヴァシィを初めて訪れていた。式典への招待状には是非未婚の姫も参上させるようにと添えられていたため、アパイリは万が一にも自分のかわいい末娘のルルディーアがオリヴァシィ王に見初められでもしたら、と心配していたのだが、式典は何事もなく終わり、胸を撫で下ろしていた。
ディナトはといえば、アパイリほど心配していなかった。招待される周辺国は多く、大国の王妃の座を狙う人間は、国外は元より国内にも多い。その中から小国の末姫が王の目に留まることはないだろうとふんでいた。明日にはコーラーに向けて出立するのだから、要らぬ心配であったわけだ。
ディナトは個人的にオリヴァシィを何度か来遊しているが、国王が花嫁を探しているとは噂にも聞いていない。大国にありがちな野心家大臣あたりの横やりかなにかだろう、と干しイチジクを口に放り込んだ。
仮面で表情が隠れているのをいいことに、ディナトは遠慮なく小太りの男を観察した。男の名乗りをそのまま信じるならば、大臣の一人であるそうだが、王宮はよほど人材不足であるらしい。
「コーラー国王におきましてはご機嫌麗しく。我が名はカックォウと申します。偉大なるオリヴァシィ国王陛下からの信厚き者にございます。
コーラー王は明日に国へ帰られるご予定かと存じますが……」
回りくどく、粘着質な語り口で自称大臣が述べた言によると、各国の未婚の姫は残るように、とのことだった。はっきりと明言したわけではないが、側妃候補として残れと言っているに等しい。
よければ、とは言っていたが、大国が小国に頼むのは命令と同義だ。
翌日、アパイリはルルディーアに謝りながらも泣く泣くコーラーに帰っていった。ディナトは護衛兼使用人としてもちろん残った。ルルディーアの意に添わぬ婚姻など叩き潰す満々で。
しかし、それから三日経っても王はルルディーアの元を訪れなかった。
ディナトが少し調べただけで理由はすぐわかった。王はコーラーよりも豊かな国や大きな国、国内の有力貴族たちの相手で忙しいようだ。
緊張していたルルディーアもディナトからの報告を聞いて強張っていた肩の力を抜いた。
それならば政務で忙しいだろう昼にますます王の
***
「やあ、また会ったな」
「………」
仮面に遮られていても不本意な雰囲気を隠さないディナトに代わり、ルルディーアがにこやかに挨拶をした。
「こんにちは、シン様。またお会いしましたね」
ルルディーアをシンの視覚から隠すように立ちふさがるディナトに頭をかきながら、シンは人好きのする笑みを浮かべる。
「今日は屋台巡りか?」
「ええ。せっかくオリヴァシィの市場に来たのですから、美味しいものを食べないと損ですもの」
「よければ案内しようか? この辺は庭みたいなものだからな。もちろん、怪しければすぐ憲兵に突き出してくれてかまわない」
ディナトは視線をルルディーアに向けた。ディナトに笑み返し、ルルディーアはシンの申し出を受ける。
「ありがとうございます。実は美味しそうなものばかりで、なにを食べたらいいか迷っていたのです」
「なに、礼は不要だ。貴女のような美しい人といっしょにいられるなら役得だからな。それから貴人に丁寧に遇されるのは座りが悪い。もっと砕けた態度で接してくれ。そのほうがありがたい」
「まあ、貴人だんて、そんな。でも言葉に甘えさせてもらうわ。本当はこっちのほうが楽なの、田舎育ちだから。どこに連れて行ってくれるのかしら、シン?」
「それはもう、とびきりの店さ」
ウィンクを決めるシンにディナトは仮面の下で閉口していた。ルルディーアがかわいらしく頬を染めたもので。
シンの案内する店はどれも美味で、そのうえ安かった。
店主たちは誰も彼もがシンの連れならばとオマケを持たせてくれるので、ルルディーアは嬉しい悲鳴をあげるはめになった。
「もう! なんでどれもこれもこんなに美味しいの? これ以上食べたら太っちゃうわ!」
「お気に召したならなによりだ。どんどん食べてくれ」
「シンったらひどい!」
朗らかに笑うシンにじゃれつくルルディーアを見ながらも、ディナトはひたすらにルルディーアが味見した残りを腹に収めていた。
本当ならば心ゆくまで堪能したいだろうに、王宮で出される食事を残さないために控えているのだ。仮面をしたまま器用に食べ進めるディナトにシンが感嘆の声をあげた。
「ディナトの食いっぷりは見てて気持ちがいいな」
「成長期だ」
しれっと嘘を吐いたディナトにわずかに苦笑して、ルルディーアが引き継ぐ。
「ディナトは大食い大会で優勝したこともあるの。食べすぎてしまって出禁になっちゃったけど」
「すごいな」
シンに水を向けられてもディナトは特に反応を返さなかった。シンが頭をかく。
「うーむ、どうもディナトに嫌われているなあ」
「兄は私の護衛でもあるからいつも気を張っていてくれるの。シンにだけじゃないから気にしないで」
「そうじゃないかと思ってはいたが、こんなに腕の良い護衛がついてるってことはかなりいいとこのお嬢様なんだな。どこから来たんだ? オリヴァシィには観光で来たのか?」
さりげない会話だからルルディーアは気付いていないが、シンにルルディーアたちを探る気配を感じたディナトは肉を咀嚼しながら仮面の下で目を細めた。大事な妹に危害を加える気ならば容赦しない。
「そんなにたいそうなことじゃないのよ、父が心配性なだけで。父の仕事の関係でコーラーから来たの。コーラーでは見たことのないものばかりで、楽しかったわ。たぶん、もうすぐ帰ると思うからそれまでたくさん思い出を残しておかなきゃね」
「ルルと会えなくなるのはさみしいな」
「まあ、お上手。また次も会ったら案内してくださる?」
「もちろん」
今日何本目になるかわからない肉串を頬張りながら仲睦まじく笑いあう二人を見るディナトはアパイリになんと手紙を出せばいいのか考えていた。大国の軍でそこそこの地位についているだろう男に末姫が嫁ぐのはありだろうか。
おそらく、ルルディーアはシンに恋をしている。
そして、シンも。
魔術で姿を変えていても、その目に宿る情熱の炎を見違えるほどディナトの目は節穴ではなかった。
あんなに小さかったルルディーアもついに恋を知る日がきたのか、とディナトは手近にあった店で追加の焼肉を頼んだ。
***
その夜、のんびりと湯浴み後のルルディーアの髪を乾かしていると離宮付きの女官から声がかかった。
「コーラー国の姫、ルルディーア様。今宵、王陛下が御渡りになられます」
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