第4話
「コーラー国の姫、ルルディーア様。今宵、王陛下が御渡りになられます」
「え」
「…………」
女官は衝撃を受けて固まる二人に構わず、室内に他の女官たちを引き入れて王が訪れるにふさわしい部屋になるよう整えていく。
慌ただしく働く女官たちの中でディナトとルルディーアはひたすらに困惑していた。
「ど、どど、どうしよう、ディナト」
「逃げるか?」
「それはお父様に迷惑がかかるからだめ」
「それもそうだな」
「ど、どうしよう」
「どうしたものか」
二人で頭を捻ったが、妙案は浮かんでこない。そうこうしているうちに部屋のなかはすっかり整えられ、再び扉の外から声がかかった。
「陛下のおなりである」
「ひゃああああ!」
ディナトは飛び上がって驚くルルディーアを宥め、衣装箱のあるほうへ背を押す。
「
「ええっ、でも……」
「大丈夫だ。心配するな」
勝算はある、と言えば心配そうながらも、ルルディーアは肯いた。
もし王の機嫌を損ねて戦になってもディナトはもちろんコーラー国の盾になるつもりだ。
万を越す兵を抑えることはさすがにできないが、王の周りの人間をことごとく皆殺しにすれば小国を攻める暇もなくなるだろう。権力闘争で内輪もめを起こし、それに乗じて周辺国が武器を手にする。そうすれば小国にかかずらっている暇はなくなる。
ディナトはひとり部屋の外へ出た。壁際に控えて
下女たちも警備兵もなんの障害にもならない。逃亡するなら唯一立って控え、不満顔を晒している自称大臣を標的にしよう、とディナトは決めた。
ややあって、現れた王がいつの間にか引かれた絨毯の上を歩いてくる。
ディナトよりも上背のある王はまず姿形が整っていた。
夜でもわかる太陽をそのまま映し込んだような瞳に、引き締まった体躯、身に着けた装飾品は簡素に見えたが、値の張るものであろうことは察せられた。
ディナトは王から乾いた風を感じた。無味乾燥、他から水を奪う風ではなく、暑い日に水を浴びた体を心地良く冷やしてくれる涼風の如き風だ。
そして、強い。
柔和な顔つきだが、そうとうに鍛えている様が見て取れた。それは肉体が、というだけではなく、精神もだ。
仮面の下で自然とディナトの口角が上がった。
「わざわざのお越し、恐悦至極に御座います。我が名はディナト。ルルディーア姫様の護衛兼使用人でございます。姫は支度中であらせられるため、今しばらくお待ちいただきたい」
「従者ごときが陛下に無礼であるぞ! 身の程を知れ! なんだその仮面は! 取れ! だいたいなぜここに男がいるのだ、姫の使用人は女と決まっておろうが!」
王が口を開くより先に喚き散らしたカックォウにディナトは仮面の下で眉間に皺を寄せる。しかし、声音はいたって平坦で、苛立ちは欠片も感じさせないものだった。
「それにつきましてはどうかご寛恕を。我が国コーラーはオリヴァシィ国に比べ小国であり、人手が少なく末姫であるルルディーア様に多くの使用人と護衛を裂けぬのです。
この仮面につきましてもどうかご容赦くださいませ。
嘘ではない。人手が足りないのは本当だ。ただ、もしもの事態が起こったときのためにルルディーアひとりを抱えて逃げられるようにしてもらった結果だ。そもそもここは来客用の離宮であって後宮ではないのだから、そこまで怒り狂われる筋合いはない。
カックォウはディナトの答えに顔を真っ赤にして、口角に泡を溜めながら
「陛下に口答えをするのか、この無礼者めがっ! なんたる不遜! なんたる不敬! 陛下、このような不躾なものを側に置く者などロクな人間ではありませんぞ! お渡りを考え直すべきです!」
「よい」
王は静かに笑う。しかしその瞳の奥に見える光は得物を狙う猛禽類のごとき鋭さを宿していた。
その瞳に睨まれ、息をつまらせたカックォウがわずかに後退りする。
「カックォウ、おぬしは席を外せ」
「は……」
「予も忙しいおぬしを夜も付き合わせるのは忍びない。夜くらいゆっくり休むといい」
「いえ、陛下、ですが」
「下がれ」
「……はっ!」
カックォウは恨みがましい視線をわかりやすくディナトと王に向けて去って行った。
ディナトは肩を怒らせて小さくなっていく背を見ながら胸中でアレは駄目だな、裏切る算段を立てていそうだ、と判断した。
「我が部下が失礼した」
「いえ」
「さて、ルルディーア姫の支度はいつ終わるのだ? いきなり訪ねたのだ、待つ用意はある」
「今しばらくかかりましょう。なにせコーラーは小国です、オリヴァシィのような大国を統べる陛下にお目通りが叶うなど夢にも思いませんでしたので、まったく準備ができておりませんでした。
しかし待って下さる心広き王陛下をお待たせする間、退屈させるのも申し訳ない。どうでしょうか、
「勝負か。なにをするのだ?」
「どのようなものでも構いません。陛下がお決めになってください。陛下が勝てば
「ほう。よほど自信があると見える。おもしろそうだな。では呑み比べでどうだ。おぬしたち、すまぬが準備をしてくれ」
王が手を振れば控えていた下女たちが下がり、しばらくすればクッションや毛足の長い絨毯、酒の満ちた
磨き上げられた石床の上に絨毯が敷かれ、その上にクッションたちと酒と酒器とつみとが所狭しと置かれる。
「申し訳ないが、水も
そう下女に注文したディナトを王が笑う。
「言ったわりに弱気だな、従者殿」
「ははは。酒を呑むときは水も呑まねば悪酔いしてしまいますからね。
では始めましょう」
「ああ」
注がれた酒を二人は同時に呑み干した。
***
三時間後。
ディナトはいつものように仮面を外さず巧妙に酒杯を空にする。ディナトが酒甕を空にするたび下女に往復してもらうのが申し訳ないが、これも勝負なので仕方ない。
久しぶりの高い酒を堪能するディナトは下女に小さく肯き、王の杯には水を注がせた。
王の目蓋が眠たそうにとろんと下がってきたあたりから合間合間に水を飲ませてきたが、そろそろ限界のようだった。
ディナトは酒杯を置き、ぐらぐら頭のゆれている王の肩を叩く。
「今宵はここまでにいたしましょう。
「うう……おぬし、強すぎだろう……」
「従者ですので、これくらいは。それでは約束通り
ぐぬぬ、と呻いていた王がこくり、と肯いた。その丸まっているけれど、大きな背をさすってやる。
「ルルディーア姫様にお会いしたいのならば
さあ陛下。寝所へ行きましょう」
「いや、いい……、ひとりで行ける………」
仮面の下で方眉を上げたディナトはルルディーアの待つ部屋の扉の前まで行き、素早く叩く。心配しなくていい、というノック音に了解、のノック音が返ってきた。
扉の錠がかかった音を聞いたディナトは取って返してふらふらと覚束ない足取りで自室に戻ろうとする王を抱き上げた。下女たちに飲み勝負の片付けを頼んで王の寝室に向かう。
まるで赤子のように抱き上げられた王から非難の声が上がるが、ディナトは無視した。
「おい、下ろせ……」
「赤子より頼りない足取りの陛下を放っておいては寝覚めが悪うございます。どうぞおとなしくしておいでになってください。心配はご無用です。陛下におかれましては羽根の如き軽さでありますので絶対に落としません」
「皮肉か、それは……うっ」
「一度吐いたほうが良さそうですね。失礼いたします」
ディナトは後ろについてきていた下女を招き寄せ、持たせていた空の壺に王の頭をよせさせた。
「ご無礼仕ります」
「う゛っ、うえぇ」
ディナトは王の喉奥にまで指をつっこみ吐き戻させた。背をさすってやり、水を持たせていた下女を手招く。
「はい、水を飲んで。口の周りを拭きますよ」
テキパキと指示を出して、また王を抱き上げ歩き出す。
閉まっていた王の寝所の扉を足で無造作に蹴り開け、大きく豪奢な寝台に王を横たわらせた。
大きな窓から入る月明りの下で見る王の顔色は少しよくなったようだった。
「水差しはこちらに。あたたかくして、よく眠ってください」
「……情けないな。完敗したうえ、面倒まで見られるとは」
顔を腕で隠した王のつぶやきにディナトは仮面の下でうすく笑う。
「従者として、男として、年下に負けるわけにはいきませんので。ご容赦を」
「そう……なのか? 声が若いからてっきり予よりも若いかとばかり……」
「さあ、お眠りください。良い夢を」
王の目蓋が完全に落ち切ったことを確認し、掛布をきっちり肩までかけてディナトは寝所を出た。警備兵に挨拶をして来た道を戻る。
途中で王の寝所からくすねてきた香を握り潰して、捨てた。数ある香の中で唯一毒物が混ぜられていたものだ。贈り主はカックォウだろうか。
ディナトはコーラーに戻るまで夜寝る前に王の寝所を訪ねることにした。無論、誰にも、王にすら知られぬようこっそりと。
「誰が紛れこませたのか調べなくてはな」
ディナトの独り言は誰にも聞かれることのないまま消えた。
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