第2話
ディナトは大国オリヴァシィの周りにある小国のひとつ、コーラー国の末姫ルルディーアに仕えている従者だ。
二十年前にルルディーアの母親の、コーラー国王妃クリシィーアに川で行き倒れていたところを拾われてからクリシィーア妃の、ルルディーアが生まれてからは彼女の従者をしてきた。
ディナトにとって命の恩人が遺したルルディーアは己の命に代えても良い、と思えるほど大切な存在だった。ルルディーアの誕生から今までを見守ってきたのだから当然ともいえた。
まるで初孫をもった祖父の様だ、とコーラー国王アパイリにはよく笑われる。
だって仕方がない。ルルディーアは目に入れても痛くないほどにかわいいのだから。ルルディーアの願いであれば何でもかなえてやりたい。ディナトはひとり納得する。
だから、今も酔っ払いの仲裁をしていた。
オリヴァシィ国の首都レモ・プロテヴィの賑わう市場にて、お忍びで買い物をしたいというルルディーアにディナトはついてきた。
小国のコーラーとは比べ物にならないほどの喧騒に、多くの人々が行き交い、色とりどりの品物が売買されていた。人混みに酔いそうね、と笑うルルディーアに頷き返し、ディナトは彼女にほんの少しでも彼女に危害が及ばないようにと警戒していた。
争いの嫌いなルルディーアが眉をひそめて酔っ払いたちの喧嘩を心配そうに見ていたものだから、ディナトは仲裁に入った。
声をかけて殴りかかられたので仕方なく制圧したのだ。
「落ち着け、ご両人」
「イダダァ!」
「折れるぅ!」
「大丈夫だ、人の骨はこれくらいじゃ折れない」
「大丈夫じゃねェェェェ!」
「放してくれぇぇぇぇ!」
「ディナト、放してあげて……」
おろおろと遠慮がちにディナトの腕を引くルルーディアに肯く。
「ちくしょう、何しやがるこのヤロウ!」
「こんな暑い日にフードにマントに仮面なんかしやがって!」
「そーだそーだ! 人攫いかよ!」
「怪しいぞコンチクショー!」
痛がりながらも、今度は結託してディナトに対してケンカ腰になる男たちの腕をディナトは放してやった。
「もう仲違いはしないな?」
腕を放され地面に座り込むことになった男たちはそこでようやくディナトをまともに見た。
背は取り立てて高いということはないが、すらりとした体躯が見て取れる。しかし筋肉のつき方が尋常ではなかった。フードと仮面に隠され、晒されている肌は腕くらいのものだったが、明らかに自分たちよりも腕力が上である、と理解せざるを得ないほどに隆々としており、なおかつその浅黒い腕には数えきれない傷跡が大なり小なりついていたのだ。おそらくりんごも胡桃ですらも軽々粉砕できるであろう手のひらに、今まで自分たちの腕が掴まれていたのだ、と理解した。
「しません!」
「もちろんです!」
たちまち酔いの冷めた二人はケンカしていたことも忘れ、ひっしと抱き合い、自分たちはなんて男に暴言を吐いてしまったのだ、と体を震わせた。
「あの、大丈夫でしたか? わたしの兄がすみませんでした」
「ひぃっ?!」
男たちはそこで再び震撼した。自分たちのすぐそばに花のように可憐な少女がいたのである。
ふわふわとやわらかそうな金の髪の毛をまとめ、白磁のようになめらかな肌に、陽の光を受けて茶味がかった金の瞳がきらめいている。薔薇色の頬を持つ少女の華奢な手が自分たちに伸ばされている。
男たちは夢見心地にその手に自分の手を伸ばしたが、少女の背後に立つディナトの姿に我に返り、慌てて手を引っこめた。
「ルル、まずは傷の洗浄からだ」
「ええ、そうだったわね」
ごめんなさい、とルルディーアから謝られ、男たちは恐縮するしかない。下手なことをすればその命をもらうぞ、と言わんばかりの威圧感を放つディナトに縮こまりながら、男たちは互いに殴り殴られ負った傷の手当てを受けた。
ルルディーアは今の世に希少な治癒術の使い手だが、すべての傷に術を施すことはなく、血の滲む箇所だけ術をかける。その他の打撲には軟膏を塗られた男たちはそろって頭を下げた。
「イテテ……」
「ありがとうな、嬢ちゃん」
「いいえ、これくらいなんてことはありません。もう、どうしてケンカなんてなさったの?」
ルルディーアからの問いに男たちは顔を見合わせ、首を捻る。
「ええっと……なんでだっけ?」
「うーん、しこたま飲んでたからなあ」
眉尻を下げながら頭をかく元酔っ払い二人にディナトは呆れるばかりだったが、心やさしいルルディーアは心配そうに寄せた眉根のまま近くの薬草屋や飲み物屋にあれこれと注文をつけ、男たちに二日酔い防止の薬湯を淹れてやった。
ディナトが素早く料金を払う傍ら、薬湯が二日酔いにもきくのだと説明を受けた薬草屋と飲み物屋の店主がルルディーアの注文した薬湯が売れそうだと判断し、今後の業務提携について話し合っていた。どうやらこの市場には多くの酒飲みが出没するようだ。
「はいどうぞ。ゆっくり飲んでくださいね」
「はい……」
「ありがとうございます……」
微笑むルルディーアの後ろで腕を組みながら立っているディナトの圧に怯え、男たちはおとなしく薬湯を飲んだ。
「それを飲んだら仲直りしましょうね」
「ええー……」
「いやあ……」
「……………」
言いよどむ男たちをディナトは無言で眺めた。ただ静かに。仮面で眼差しは覆われ、直接見られているわけでもないのに男達は畏縮し震えあがった。
「オレたち仲良し!」
「もうケンカしません!」
「ふふ、よかった」
咲いた花のように笑うルルディーアに男たちは見惚れた。
クリシィーア妃に似て相変わらずの人たらしだな、とディナトは今までルルディーアたちの様子をうかがっていた男からルルディーアを遮るよう体を割り込ませた。
「
「いやあ、ご両人とも見事な手腕だったな!」
「あ、ありがとうございます……?」
「……」
破顔しながら男は手放しでディナトたちを褒めた。
意思の強そうな光をその目に宿した男にディナトは警戒水準を引き上げた。わずかな身のこなしからただ者ではないと敏感に感じ取ったからだ。
「特に兄さんは良い腕をしてる。どうだ、オリヴァシィの国軍に入らないか? ツテがあるんだ、いい給料が出るぜ」
「断る」
「そうか、残念だな」
にべもないディナトの態度に気を悪くするでもなく、男はカラリと笑った。逆に周囲の人間から残念がる声が上がる。
「なんだ、もったいねえ。シンの誘いを断っちまうなんて」
「シンに見込まれるなんてやるなあ、兄チャン!」
通りすがりたちに背を叩かれるが、ディナトの体は
「申し訳ございません。せっかくの申し出なのですけれど、私たち、ええと……旅の者でして、この国の軍には入れませんの」
「そうなのか。それは残念」
茶目っ気たっぷりにウィンクしながら笑うシンが、ルルディーアの頬に触れようと伸ばした手をディナトがやんわりと払う。
「失礼した。記念に名前を聞かせてくれないか? 俺はシンという」
「ルルと申します」
「ディナト」
「良い名だな」
ディナトは並みの女人ならば十人中十人が恋するだろうシンの笑顔を見せないよう体でルルディーアの視界を遮った。
「えーと……ディナト、どうしたの?」
「そろそろ宿に戻る時間だ。行くぞ」
「それならぜひ送らせてくれ。この辺りには詳しいんだ」
「いらん世話だ。知り合ったばかりの人間に道案内を頼むほど迂闊じゃない。他を当たれ」
「うーむ、嫌われたものだ」
「ディナト、失礼よ」
ディナトをたしなめるルルディーアにシンもまた笑い返す。
「いやいや。ディナトは君の護衛だろう? これくらい用心深くないと。良い護衛だ」
「まあ、ありがとうございます」
「兄だ」
「おや、そうなのか?」
微笑み合うルルディーアとシンの二人をフードと仮面の下からディナトは静かに眺めていた。
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