どうしてこんなことに
サミュエルはその報せを聞いて、足元が崩れ落ちたような衝撃を受けた。
よろよろと椅子に座りこむ。
報せを告げた使用人はとうに部屋から姿を消していた。
「どうして……」
からからに渇いた喉からしわがれた声がもれた。
「どうしてこんなことに……」
卒業前に全生徒が集まった学園の舞踏会から三か月。
サミュエルはその場で愛する
しかし、それは間違いだった。
ダリアをいじめていたのは別人で、ダリアに好意を持たれていたと思っていたのは勘違いだった。
デブラ・モーズレイに巧みに嘘を吹き込まれたとはいえ、王族として軽率な行動を取ったことを咎められ、謹慎を父から言い渡された。
王都在籍の貴族だけではなく、地方の貴族も多く通うソリーム学園で、全生徒の集まる場で、無実の人間を
もともと王族とはいえ、王位継承権八位という奇跡でも起きなければ王座につくことなどできない地位にあったサミュエルだが、これで奇跡が起きたとしても王座につくことなどできなくなった。
それは別にいい。
優秀な現王の跡継ぎに相応しい第一位と第二位がいるのだから、とうの昔に望むことすら諦めていた。公爵子息という、安穏とした地位を捨ててまで王座を奪おうなどとはとても思えなかった。
ただ、愛しいと思える
ダリアと出会ったのは、ダリアが学園に転入してきた一年と少し前のことになる。
一目惚れだった。
彼女の笑顔を見たときから、その笑顔を守りたいと思った。
平民だとか、愛妾の子だとか、そんなことは関係なく、彼女だから守りたいと、確かに思っていたのだ。
どうにかしてダリアに会えないか、会って弁解をさせてもらえないか、毎日考えていた。
そうこうしているうちに三か月がすぎ、ダリアが修道院に赴く途中で事故に遭い、姉妹共々死んだことを聞かされた。
「どうして……」
葬儀はとうの昔に済まされていた。
「どうしてこんなことに……」
私は守りたいと思った女性の死に目にすら会えなかったのだ。
取り乱した拍子に手に触れた
***
ガシャン、と陶器の割れる、耳障りな音がする。
自分で投げ落としたというのに、グレゴリーはさらに苛立ちを募らせた。
舞踏会の失態で、グレゴリーをかわいがっていた取り巻きたちはあっさりとその姿を消した。
己の容姿を利用して、愛玩動物のような扱いを甘んじて受けていたとはいえ、ここまでいっせいに姿を消されるとは思わなかった。
ゆくゆくは女当主の婿として子爵以上の家に入り込むか、金持ち貴族の愛人として楽に贅沢な暮らしをする計画が水の泡だ。
計画の練り直しを余儀なくされたグレゴリーはマイナスからの再スタートに爪を噛んだ。
グレゴリーを始め、
ざまあみろ、とグレゴリーは悪態をついた。
ただ、グレゴリーも退学にこそなってはいないが、状況はあまりよくない。
グレゴリーの過ちを知っている人間は計画にもう狙えない。
けれど、国中の貴族が知っているといっても過言ではない。
つまり、貴族の婿、もしくは愛人になる可能性は潰えたということだ。貴族と付き合いのある商人たちも知っていると考えたほうがいい。
けっきょくのところ、楽して贅沢な生活を送る術が消えたのだ。
「もう! 計画が台無しだよ! どうしてこうなったんだ!」
ダリアは容姿も家柄も申し分なかった。性格だって良かったのに。
長女よりもエドギンズ伯にかわいがられていて、確実に伯爵位を継ぐと思っていたから近付いたのに。
うまくいっていれば、あの柔らかな胸に毎日埋もれながら朝を迎えられるはずだったのに。
姉のほうにしておくべきだったかな、とグレゴリーはソファーの背もたれに体重を預けた。
***
頭脳を買われて、ポールは貴族子女が通うソリーム学園の教師に抜擢された。
きっと人生の幸運をそこで使い果たしてしまったのだと、今になって思う。
給与は良かったが、生徒たちの態度は程度が低かった。生徒に模範を示すべき教師達も、平民だからとポールを軽んじた。気位の高い者達に囲まれた学園生活はひどく息がつまった。
おまけに生徒達は勉学にあまり熱心ではなく、特に女生徒たちにはその傾向が顕著に見られた。
社交界に出て、良い条件の結婚相手を得られるならば、学歴など関係ないと考えているのがありありとわかった。
けれど、ダリアは違った。
いつでも真面目にポールの授業を受けていたし、わからない箇所は熱心に質問をしにきた。
ダリアをいじめているらしい腹違いの姉にも朗らかに接していた。勉学や学園のことでわからない箇所を聞きにいっていたようだった。
それくらいなら自分がいくらでも教えるのに、と思った自分が教師としてあるまじき感情をダリアに向けていることに気付いた。
ダリアが卒業したら想いを告げようと思っていたのに。
そのときは彼女も自分の手を取ってくれると信じて疑わなかった。
それなのに、どうしてこうなったのだろう。
どこが、何を、自分は間違えたのだろう。
ただのいち教師が貴族を独断で退学勧告した責を問われ、ポールはソリーム学園を追われた。
女生徒に
今は学生時代の知人を頼って、王都から離れた田舎で家庭教師をしていた。
王都にいる知人から届いた手紙を思わず握り潰す。
手紙には行方不明になっていたダリアの葬儀が執り行われたと記されていた。
「ダリア……、どうして……」
姉に教えてもらったからだ、と高得点を取った小テストの結果を嬉しそうに話すダリアの笑顔を思い返した。
そういえば、姉のほうも授業を真面目に受けていたな、と今さら気付いた。
***
貴族だが、次男に生まれたハロルドは自分が家を継げないことをそうそうに理解していた。
だから騎士になって自立しようとしていた。
どうせなるのなら強い騎士になりたいと訓練に明け暮れた。
後継者争いから外れたとハロルドを嘲笑する者もいたが、尊敬する兄を押しのけてまで得たいと思うほどの地位ではない。
そもそもハロルドは体を動かすことのほうが性にあっていた。
ダリアは騎士になろうとするハロルドの努力を笑わなかった。
ダリアもハロルドのように姉と仲良くなりたいと笑っていた。
ああ、冷静に考えれば、自分をいじめている相手に対して、あんな花の開いたような笑顔を浮かべるはずがなかったのだ。
無実の人間を勘違いで断罪するなどという、騎士にあるまじき愚行を犯したハロルドは謹慎だけで済んだ。
自分のように愚かな人間が騎士になってもいいのか悩んだが、罪を犯したと思うのなら生涯をかけてそれを償え、という兄と父の説得に背を押され、騎士団に入団した。
騎士団の寮に入ってからはがむしゃらに訓練に没頭した。
兄からの手紙でダリアが夜逃げ同然に修道院へ向かったことを知った。
行方不明になったことを知った。
乗っていた馬車が崖の下で発見され、姉共々、ダリアが死んだらしいと知った。
葬儀には出られるはずもなかった。
ダリアが死ぬきっかけを作った人間がどうして葬儀に出られるだろう。
葬儀が終わってから初めての休日に墓所を訪れた。そうして花束を供えるくらいしかできなかった。
真新しい墓石は、当たり前だがダリアの面影など一切感じさせなかった。
供えた
姉のように凛とした佇まいが好きだと言っていたから供えた花だが、小さく可憐な花ばかりのなかでは少し浮いて見えた。
自分と同じように、リリアンには引け目を感じている人間が多いのか、彼女の墓には花はひとつも供えられてはいなかった。
ハロルドはダリアから聞いていたリリアンの好きだったという本を置いて、墓所をあとにした。
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