【9千PV感謝】 婚約破棄されたお嬢様の話

結城暁

婚約破棄されて修道院に行くお嬢様の話

「リリアン。君との婚約を破棄し、学園を退学処分とし、貴族籍から除名したのちアウティ半島のシビィ修道院へ追放する」


 あらまあ、と今しがた婚約を破棄され、学園の退学を告げられ、身分を剥奪され、追放を告げられたリリアン・エドキンズは口元を扇子で隠した。淑女の嗜みである。


 リリアンは外見こそ生き写しであったけれど、内面は感情的であった母には似ず、貴族として、官吏としてそこそこの手腕を持ち、どうでもよい事には一切の興味を示さない父によく似た。

 だから母が死に、その喪が明けた途端、同い年の美少女を妹であると父に紹介されたときも、誰がどう見ても父が腹違いの妹を依怙贔屓し始めたときも、心の底からどうでもよかった。

 むしろ伯爵位を継ぐために婿取りをしなければならない可能性がぐんと下がったので嬉しかったくらいだ。


「このはダリア。今日からおまえの妹だ。家族になったのだから仲良くするように」

「え、無理です。家族と仲良くしたことなんてありませんもの。仕方も教わりませんでしたし」


 対外的にはおしどり夫婦を演じていた見事な仮面夫婦であったくせに、何を言う。家では事務的な事しか話さず、仲良くなどしたことは一度もなかった。

 父はそれきり押し黙った。

 両親は政略結婚の見本のような夫婦で、会話は事務的な報告ばかりだった。母を嫌っていた父は、母に生き写しであったリリアンともまた、なんの交流も持たなかった。

 リリアンが仲良くしてきたのは専らじいややばあやや、庭師達、つまりは使用人たにんであったので、家族間の“仲良く”がどういうものかさっぱりわからない。

 リリアンにとって家族とは家を運営していくために事務的な報告をし合う間柄なのである。


「あの、お姉様は、今日は学園でなにをしていらした、のですか? お姉様のいらっしゃる学園には後日転入する予定で……」

「それを聞くのは優秀な家庭教師が適任でしょう。私はいつも通り登校し、勉学に励み、読書をしただけですもの。

 お父様、この屋敷に来るまで彼女はずっと平民として生活をしていたのでしょう? あの学園に貴族子女として通わせるのならば少し時間が足りないのでは?」

「…………」


 ほーう。困ったときのだんまりだ。

 リリアンは父との会話を諦めた。

 おそらく父は、妹の立場をなるべくはやく貴族として確かなものにしてやりたいのだろう。

 リリアンを始め、ほとんどの貴族子女が通う聖ソリーム学園を卒業すれば立派な貴族、という風潮がこの国にはある。

 愛した女性ひとに生き写しの娘を迅速に貴族として扱わせたいという気持ちはさっぱりわからない。

 わからないが、行儀作法その他、貴族としての基礎がまったくできていないのにいきなりソリーム学園にぶち込むのはどうかと思う。

 どうでもいいので口にはしなかったが。


「それでは失礼します」


 リリアンにとって夕食は素早く終えて自室にどれだけ早くこもれるかというタイムトライアルだ。今日は新記録に届かないだろう。

 押し黙る父と、何か言いたげな妹が目に入ったが、どうでもよかったのでそのまま退室した。

 早々に自室にこもって好きな本を読んでいてはたと気付いた。

 父の言う家族の仲良く、とは本に出てくる家族の描写ではないか、と。

 リリアンは少し考えたあと、灯りを消してベッドにもぐりこんだ。

 あれは我が家では無理だ。諦めろ。


***


 夜明けと共に起き、軽く運動し、汗を流し、朝食を終えたのち登校時間になるまでの読書がリリアンにとって至福の時間だった。

 美味しい食事と睡眠、適度な運動、そして読書。これさえあればリリアンは大満足であった。


「お嬢様、お時間です」

「わかったわ。ありがとう」


 登校時間を知らせてくれたメイドに礼を言い、リリアンはいつも通りの時間に登校した。

 道中、馬車内でお付きのメイドがなにやら興奮していた様子だったが、興味がなかったので聞き流した。今は手元の文庫本のほうが面白い。

 学園についてもリリアンの日常は変わらない。

 いつも通り授業を受け、昼食を食べ、合間の休み時間に本を読み、放課後は図書室で読書にいそしむ。まったくもって充足した日常である。


 リリアンは本に集中していたためまったく気付かなかったが、どこから仕入れてきたのか学園はエドキンズ家に迎え入れられた新しい少女の話題で持ちきりであった。


「愛妾の娘だそうですわ」

「おかわいそうに」

「伯爵はリリアン様より平民出の娘のほうを可愛がっているのですって」

「まあなんてこと」

「もしかしたら跡継ぎに考えていらっしゃるのでは?」

「リリアン様はどうなるのかしら。まさか廃嫡?」

「おかわいそう」


 面白半分に噂する貴族の令嬢達の声などまったく聴かずにリリアンは下校時刻まで読書に没頭した。


 そんな日々が変わらず続き、それは妹が入学してもやはり変わらなかった。

 リリアンは授業を受け、本を読み、昼食を食べ、本を読んですごした。

 変わったことと言えば入学してきた妹に話しかけられたり、ふだん話したことのない生徒に話しかけられたりしたくらいのものである。

 もちろん読書の方が大事であったので、適当にあしらいつつ、当たり障りのない応答をしておいた。

 学園生活も残り半年となり、十八になったリリアンに父から王族との婚約が決まったと告げられた。

 とはいえリリアンが婚約したのは王位継承権第八位のサミュエルだった。現王の二番目の弟の次男。公爵家の生まれではあるものの、長男が優秀で当主にはなれない、が王族の血は引いている。

 別段王家にコネがあるわけでもない伯爵家としてはがんばったほうではないだろうか。

 父としてはサミュエルを婿にして伯爵位を継がせ、王族との関係を築いたのち継承権第二位のマーティンか四位のエドウィンにでも妹を嫁がせる気ではないだろうか、とリリアンは予想していた。

 平民であった娘が王族に嫁ぐなど夢物語でしかないが、家の繁栄を願う当主ならば一度くらいは見る夢だろう。

 幸か不幸か妹が学園で仲良くしているらしい複数の男子生徒のなかにマーティンが含まれているようであったので、もしかしたら実現するのかもしれない。

 実現した場合、自分は踏み台にされたと周囲に思われるのだろうか。そうして妹はまた評判を落とし、同性に嫌われるのだろうか。

 考えても仕方のないことだったので、リリアンは再び本に視線を戻した。


***


 そんなこんなで妹が入学してから一年以上が経った。つまりは現在のことである。

 全生徒が講堂に集まる卒業前の舞踏会でそれは起こった。

 婚約者であるサミュエルと、その彼と親交があったり妹と仲が良いと噂されている男達が集まってリリアンに告げた。

 告げた、というよりはなんだか裁判のようだった。

 サミュエルがリリアンを睨む。


「リリアン。君は腹違いとはいえ、実の妹であるダリアを不当に虐げていたな。証人がいるし、私自身もそれを目撃した。そんな女性とは結婚はできない。婚約は破棄させてもらう」


 数学教師のポールがその眼鏡を押し上げる。


「多くの貴族子女の集まる由緒正しいこの学園でこのような問題を起こすなどと、恥を知れ。君は退学だ」


 騎士見習いのハロルドが高らかに宣言する。彼は侯爵家の人間だ。


「君のような人間を跡継ぎにするなどとんでもない話だ。エドキンズ家には君の廃嫡を勧告させてもらう」


 女子生徒から圧倒的人気のあるグレゴリーがにこやかに笑う。


「残念です、リリアン先輩。大人しそうな外見の裏で、まさかあーんなあくどいことをしていただなんて」


 裁判官が木槌を下ろす時の顔はこんな顔をしているのだろうか、と口の端をつり上げていくサミュエルの顔を見てリリアンは思った。

 たかだか王位継承権第八位の、特に王とも親密でもない人間のくせに越権行為甚だしいな、と。


「リリアン。君との婚約を破棄し、学園を退学処分とし、貴族籍から除名したのちアウティ半島のシビィ修道院へ追放する」

「あら、まあ」


 上がってしまう口角を隠すためにリリアンは扇子を口元まで引き上げる。


「サミュエル様がそう決められたのならばわたくしに否やはございませんわ。ただ、私の処遇を決めるのはお父様ですの。ですからお父様にお伝えくださいませ。お父様も王からのご下命であれば背きはいたしませんわ」

「ふん。今更だが殊勝な心掛けだな」



 暗に王でもない人間が指図をするな、と言ったリリアンの言葉はどうやら届かなかったらしく、サミュエルは得意げな顔で胸をそらした。

 ざわざわと周りが騒がしいが、サミュエルの決定事項に異を唱える気は無い。

 サミュエルと話したのは婚約者として数度だけだったが、思い込みの激しい気性である、というのは理解している。彼がそうだと言うのなら、彼の中ではそうなのだ。


「即刻荷物を纏めて学園から立ち去りたまえ」

「はい」


 頭脳を買われて就任しただけの貴族でもない、担任も持っていない数学教師に果たしてそこまでの権限があるのかどうか大いに疑問であったが、リリアンはおとなしく従った。

 静かに本が読めないのならこの学園にいる意味がない。

 学園の全生徒が見守るなか、静々と講堂から出て行くリリアンに待ったがかかった。


「お待ちください!」


 今まで男達の後ろに隠れて見えなかった妹だった。


「お待ちください、お姉様!」


 リリアンに駆け寄ろうとする妹をサミュエルが押しとどめた。甘い笑顔と声で、幼児を諭すような調子で妹を宥める。

 リリアンは吐き気がした。サミュエルが箪笥の角に足の小指を思い切りぶつけて悶え苦しみますように、と願っておく。


「どうしたんだ、ダリア。そんなに震えて。もう君を脅かす者は誰もいない。私達が追放したのだから、君は安心していいんだ」

「離してください! さっきからあなたたちは何を言っているんですか?! いくら地位があるからと言って何でもできるだなんて思い上がらないでください!」

「ダ、ダリア?」


 サミュエルは困惑しているようだった。

 目に涙を浮かべ、興奮で頬を朱に染める妹はまくしたてる。


「お姉様は一度だって私に嫌がらせなんかをしていません! あなたたちが言った、私の制服を汚したり、教科書を破いたりしたのはデブラ・モーズレイ様とその周りの方々ですっ!」


 周囲がどよめき、デブラ嬢の周りから人が消える。


「それは本当か、デブラ・モーズレイ嬢」

「な、なにを仰っているのかわかりませんわ。わたくしたち、たしかにリリアン様がダリア様を……」

「嘘しか言えないのなら黙ってください!」


 妹は続ける。


「お姉様は私に親切にしてはくれませんでしたけれど、それは当然なのです。だって私はお父様がお姉様たちを裏切った象徴なのですもの。むしろお姉様が私を嫌っていたって、私は文句を言う立場にありません。だって私は浮気相手の子どもなんですから!」


 もしかしてダリアはストレスをため込んでいたのだろうか。

 呆気に取られる周囲に頓着せず叫ぶ妹を眺めながらそんな事を思う。

 ストレスだったのだろうなあ。あの父と、あの男達に毎日べったり張り付かれていたものなあ。


「それなのにお姉様は私が話しかければ必ず答えてくれました。この学園には挨拶すら返してくれずに無視する人たちばかりだったのに!

 私がなにをしたっていうんですか! 私は確かに平民で浮気相手の子どもですけど、私が望んだわけじゃない! お姉様のお母様が死んだらいきなりお父様が迎えに来て、伯爵家の娘になれとか訳がわからない! 平民を伯爵家に入れるとか正気ですか!」


 ストレス確定。

 どうやら父はなんのフォローもしていなかったようだ。

 そうだろうなあ。あの人、自己中だから。

 リリアンは初めて妹に同情した。

 今までの状況がストレスフルであったなら、これから彼女に訪れる未来はさらなるストレスでしかないだろう。


「失礼。少々よろしいですか」

「な、なんだ」


 サミュエルたちは動揺しきっていたが、そんなことはリリアンの知ったことではない。


「妹を好きな殿方がいらっしゃるならご忠告をしようと思いまして。結婚する気があるなら私が伯爵家を出る前に娶ってあげた方が良いです」

「な、なにを?!」

「まずは卒業してから……」

「結婚なんて嫌です!」


 多様な反応が返ってきたが、リリアンは無視した。


「ダリアは彼女の実母に生き写しなのだそうです。父に長年仕えている執事に聞きましたので間違いありません。そして父は我が母と不仲でした。母に似た私を遠ざけるくらいには不仲であったのです。まあですから母が死んで喜んでダリアを迎えたのですけれど。

 父はよく言えば一途、悪く言えば執念深い粘着男ですので、おそらく私が家を出れば確実に妹に手を出すでしょう」


「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

「………………………………………」


 その場にいた全員が絶句した。

 面倒事に関わらない様に、と講堂から出て行く賢い者も現れ始めた。


「途中までサミュエル様との婚約は王族との縁作りのためで、ダリアをマーティン様かエドウィン様と結婚させる気でいるかと思っていたのですけれど、予想が外れました。

 父は私を家から出したのちに男爵家かもしくは商人か、自分に逆らえない地位の者をダリアの婿として迎え入れ、裏で自分がダリアの夫になろうとしているのでしょう」

「そ、そんな馬鹿なことが……」

「……どうしてそんな事がわかるんだ」

「父の性格を考えたうえで妹の結婚相手のリストを見ればわかりますわ」

「………………」


 男達は黙って、それから震える妹に向き直った。


「こんな形でするつもりはなかったのだが、ダリア。どうか私の求婚を受けてくれないか」

「結婚は君が卒業してからということになるが、必ず君を幸せにする。僕の手を取ってくれ」

「俺なら君を守れる。君といっしょなら家を捨てたってかまわない」

「ボクは先輩のこと、大好きだよ。先輩もボクのこと好きだよね? 結婚しよ?」


 サミュエルはまず王が認めたリリアンとの婚約を解消しなければならないが、それさえなんとかなれば一番安全だろう。

 ポールは貴族位を持ってないので論外。

 騎士見習いはせっかくの爵位を有効活用しないとはどういう事だ。脳筋なのか。

 後輩もまた論外だ。男爵位では父を止められない。


 物語を読んでいる感覚で、妹はいったい誰を選ぶのかしら、とワクワクしていたリリアンであったが、妹は予想外の行動に出た。


「冤罪をお姉様に被せて、お姉様を悪く言ったあなたたちなんて選ぶわけないでしょう! いつもいつも人の胸ばっかりじろじろ見てきて! 全員大っ嫌い! 顔も見たくないわ!」


 対王族サミュエルへの態度としてそれはどうだろう、とリリアンは感じたが、呆気に取られている男達の顔は面白かった。


「お姉様が学園を辞めるなら私も辞めます! お姉様が修道院に行くのなら私も行きます! どうかお供させてくださいお姉様!」


 リリアンの腕に取りすがる妹は泣き出す寸前だった。

 伯爵家より修道院がいいなんて、よほどストレスを溜めていたのだなあ、と妹がかわいそうになり、リリアンは母に言われたことを思い出した。


「いいですか、リリアン。私が死んだあと、あの男はかならず妹をつれてきます。あなたが本にしか興味を持てなくなってしまったのは知っていますが、死に逝く母の願いです。あの男からどうか守ってあげてちょうだいね。

 あの女性ひとの娘だもの。きっと貴族になりたいなんて望んでいないでしょう。ましてやあの男のちょうなんて望む訳もないわ、まともな神経の持ち主だもの。万が一、あなたが家を出る様な事になったら妹を、ダリアを逃がしてあげてね――」


 仕方がない、とリリアンは帰りの馬車の中で息を吐いた。

 姉妹仲良く修道院で一生を終えるとしますか。

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