第六章 『呂氏春秋』に見られる城郭観

第一節 『呂氏春秋』の研究視座

 『呂氏春秋』は、秦の宰相呂不韋が、彼の門下に集まった天下の学者たちに著述編纂を命じて、戦国末期の前二四一年に完成させた文献である。『呂氏春秋』の編纂意図について、『史記』呂不韋列伝には次のようにある。


当是時、魏有信陵君、楚有春申君、趙有平原君、斉有孟嘗君。皆下士喜賓客以相傾。呂不韋以秦之彊羞不如。亦招致士、厚遇之。至食客三千人。是時諸侯多弁士。如荀卿之徒、著書布天下。呂不韋乃使其客、人人著所聞、集論以為八覽・六論・十二紀、二十余万言、以為備天地万物古今之事、號曰呂氏春秋。布咸陽市門、懸千金其上、延諸侯游士賓客、有能増損一字者予千金。


 つまり、大国であるはずの秦の学術文化が東方諸国に比べて劣り、荀子一門の書のように、天下に広く読まれるような書物がないことを問題として、秦国の学術振興と、大国に相応しい文化面での強化発展を画策して、編纂させたものとしている。

 この『呂氏春秋』は戦国末期の秦という成立環境から、秦から漢代にかけての思想研究における重要な文献として扱われてきたが、その儒家・墨家・道家・法家などの様々な思想を組み込んだ多種多様な内容から、『漢書』芸文志に雑家と分類されるように、内容の統一原理を持たない百科全書的な文献であるとされた(注56)。しかし、青山大介氏はこうした『呂氏春秋』の先行研究を整理批判し(注57)、『呂氏春秋』の編集者の置かれた政治的背景を考慮した内容分析を主張し、『呂氏春秋』は編纂の命令者である呂不韋の強い政治的影響下に呂不韋の政策路線を支持し、呂不韋が擁立した秦王政を教化するという、現実的目的で編纂された文献であるとしている(注58)。青山氏の研究視座は、その結論の是非は措くとしても、古代中国の諸子思想の大半が政治的志向性を有していることから考えて、妥当な見解であると判断され、『呂氏春秋』に見られる城郭観も同様の傾向を持つものであると思われる。

 そこで本章では『呂氏春秋』の城郭観を、その成立背景にある戦国末期の秦の政治社会的背景から検討していくことにする。(注59)


(注56) 沼尻正隆『呂氏春秋の思想的研究』(汲古書院 一九九七)

(注57) 青山大介「『呂氏春秋』の研究視座―先行研究批判を主として―」(『東洋古典學研究』六 一九九八)

(注58) 青山大介「『呂氏春秋』の体系的把握―『呂氏春秋』編纂者の政治的立場に注目して―」(『東洋古典學研究』八 一九九九)

(注59) 『呂氏春秋』に関しては、高誘注『呂氏春秋』(諸子集成)を参照した。

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